ポジスパールDX

いちいち医者の許可など要らん!私はもう大丈夫だ!
というわけで、私は、私の判断で、通院を止め、昨日、薬が完全に切れた。

歩いている時、若干、浮遊感があるがしかし、思考回路はポジティウ゛ィティがスパークリングだ。

今週末、私は神戸へ行く。目的は、ない。行きたいから行く。そして歩く。歩きに歩いて浮遊感を克服する。

ポジティウ゛ィティがスパークリングだ!


桜のせいで

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伊丹最北端の桜である。

私の家の真裏に、「天神川」という、お世辞にも見事とは言えない川があって、その川沿いが見事な桜並木なのである。
今日は、晴天の日曜日ということで、昼間から大勢の人が来て、「花見」の大義名分の下、桜の樹の根元、バーベキューなんかやりながら、楽しそうに酒を呑んでいる。私も仲間に入れてもらえないだろうか。

我が身の陰気加減と、孤独が、桜のせいで身に染みる。


休日の寂寥

何かしら作るか、学ぶかせにゃあならん。

「遊ぶ」ということを心から楽しむ為にも、その前に必ず、何かしら作るか、学ぶかせにゃあならん。

作ること、学ぶことなしに、楽しい休日はあり得ない。


ピカペグス

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一念発起、隅々まで掃除して、弦を張り替えた。ペグが光っている。部屋に置くと、人間一人分の存在感がある。

ちょっと弾いてみた。が、何も浮かばないのでやめた。

「今まで通りじゃ駄目だ。」という気持ちがめちゃくちゃ強くて、普通にコードを押さえただけで、もう嫌になる。
でも、今まで通りじゃないものの片鱗が、少しでも見えてくれば、あとはズルズルといけるような気がしないでもないから、今後は、時間さえあれば、ポロンポロン爪弾くことにしようと決意した。

次の曲は重要だ。勝負だ。分岐点だ。私自身が驚くようなものじゃないと、意味がない!といった理由から、最近は、ソニックユースを愛聴している。


処女短編集『リスパダール』

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これが、私の記念すべき処女短編集『リスパダール』である(400字詰原稿用紙、56枚)。

内容は、前ブログ『イッケイノウタ』の中で発表した5作品を大幅に改良したものが、「つみき」「麦乃助の憂鬱〜全てのバンドマンに捧ぐ」「ウ゛ァイブル」「カラータイマーズ」「和解〜祈りの少女」(旧タイトル「ミノルとシンジ」)の順に並んでいるというもの。
実は、個人的にはかなり気に入っていて、是非とも多くの人に読んでもらいたいと思っているのだが、こればかりは、ちゃんと本として出版されないことにはどうにもならないので、新聞等で調べて、いくつかの出版社に送り込んだ。所謂、「持ち込み」ですね。

ところで、私が、この短編集を書くにあたって、最大のテーマとしたのは、「絵を描くように文章を書く。」ということだった。それも、私の嫌いな、「風景描写」を極限まで削った形で、である。
「絵」は、書き手である私の想い浮かべるものと、読み手が想い浮かべるものとが、同じものである必要はなく、むしろ全然違う方が好ましく、例えば、10人の人が読んだ場合には、10通りの絵がそこにあって、読み手と読み手が読後の感想を語り合ったとしても、会話が全く噛み合わず、じゃんじゃんじゃんじゃん迷宮入りしていく…そんな絵を描こうと思って書いたのである。

シュール―読んでもらった身近な人たちから、一番よく聞いた感想がこれで、さらに、某出版社(一次審査はパスしたものの、4つある枠に入ることが出来ず、代わりに自費出版を勧められたが、そんな金はないと言って断った。)から送られてきた感想文には、「前衛的な作品」とか、「不条理な世界を突き詰めた一作」とか、「物語性は希薄だが、イメージ喚起力がある。」とか書いてあったが、全て、間違いではないと思うし、全て、私の計算通りで、素直に、嬉しい。
私は、この短編集に、大阪で暮らしていた時のことを書いた。それも、ありのままに、ストレートに書いたつもりだが、これが読み手にはシュールに響くというのが面白い。

1+1=2的な思考回路でガチガチになっている人はすぐに、「わかる」か「わからない」かで物事の良し悪しを判断したがるが、世の中には「わからない」けどしっかり存在していて、「わからない」からこそ面白いものもあるんだ!というのが、この短編集『リスパダール』の根底に流れるメッセージっちゃあメッセージなのである。

今、3つの出版社から返事を待っている(持ち込みを受け付けていない出版社からは、原稿が送り返されてきた。)ところなのであるが、どうだろう、本にしてくれるかな。これが書店に並んだらきっと面白いことになる。
「わからん!わからんけど面白い!」って言われたい。

ちなみに、「リスパダール」とは、介護の現場などで使用する薬品の名前である。これを服用すると、どんなに暴力的なおじいちゃんでも、舌が回らなくなったり、涎が止まらなくなったり、ベッドから自力で起き上がれなくて失禁したり…ふにゃふにゃになるのである。


夜の聖母

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安らぎの夜。

不安の「ふ」の字も見いだせない夜。

布団に潜り込めば、良い夢を見るに違いない夜。

ベランダに出て、空を見上げれば、夜空一面に一人の女性。

「あ、この人のお陰か。」と、私。


秘境大冒険

子供の頃、狂おしい程に愛読していたコミックが一冊、あった。
大長編ドラえもんシリーズの中の一作で、たぶん、『のび太の秘境大冒険』というタイトルだったと思うが、、ドラえもんの道具が、この地球上に於いて、一ヶ所だけ、人間がまだ知らない、足を踏み入れたことのない場所を発見して、行ってみようということになって行ってみたら、そこに大冒険が待ち構えていた。―という話で、私は何故か、この「地球上に未知の場所がある。」という設定に異常なまでの興奮を覚えて、数え切れないくらい何度も何度も読み返したが、全く飽きるということがなかったのである。

私は、私自身にとって芸術とは何ぞや!みたいなことを考える時、いつも、この『のび太の秘境大冒険』が頭をよぎる。
「未知なるもの」があるということへの期待と、そこで大冒険したいという願望を満たしてくれるものが、私にとっては、芸術意外に考えられない、と。そういうことなんだと思う。

『秘境』は人の内にあって、この秘境を形として表したものが、芸術作品で、誰かの拵えた秘境の中に飛び込んでって大冒険するのも楽しいし、それより何より、自分の中の秘境を大冒険するというのは、これはもう、筆舌し難く楽しいから、私は芸術というものが大好きなんだと思う。だから、私は、基本的にはバンドマンで、バンドマンとしてのプライドを持って生きている音楽の人だが、音楽だけでは物足りないのだ。
音楽が秘境なら、絵画や文学もまた秘境で、要するに私は、年がら年中冒険していたい、子供心の抜け切らない、冒険野郎なのである。

戦場カメラマンは、戦場へ行くことが病み付きになるというが、わからんでもない。彼ら戦場カメラマンは、精神的に、どこかまだ完全に子供なんじゃないか?と思う。

男は永遠に男の子で、男の子は永遠に冒険好きである。


胎動

どんな形でも良いから、そろそろ、音楽をやらねばと思っている。

音楽的な部分にさほどの変化は無くとも、言葉の部分でだいぶ変わってくるはずだから、言葉の部分に変化があれば、音楽的な部分もおのずと変わってくるはずなのだ。
言葉も音ですから。

とりあえず、新曲を一つ書いてみて、いけるかどうか、判断してみたいと思います。

めちゃくちゃ凄いのが出てきたりして。


1st完成!

『一憩合格』も、これで100本目である。

スタートからまだ一ヶ月も経っていないことを思えば、ペース的に、『イッケイノウタ』の時と何も変わっていないことは一目瞭然、「早いよ馬鹿野郎。」などと、誰かに罵倒されたとしても、私としても、反論の余地が無いのであるがしかし、このペースこそは、私のブログの特徴の一つなのであるからして、そこんところは、失礼ながら、知ったこっちゃないのである。

さて、前ブログ『イッケイノウタ』では、文章100本でひとくくり、1枚のレコードが完成したと仮定して、毎回、タイトルを付けるのが恒例となっていましたが、この企画は、『一憩合格』でも引き続き、行なっていきたいと思っております。そこで、『一憩合格』に於ける、記念すべき1stアルバムのタイトルを発表致します。

『三重人格』

私という人間は、和田一憩、新田茘枝、阿仁真梨の三人格が渾然一体となって成立しており、私のこの度の復活は、この体制の確立無しには語れないので、ザ・フーの歴史的名盤『四重人格』を彷彿とさせる、『三重人格』でいきたいと思います。

「1本の矢はたやすく折れても、3本束ねればそうそうたやすく折れるものではない。」と、毛利元就。
三人格、手に手を取り合って、日々精進、前進して参りますので、読者の皆さん、今後とも御愛読の程、よろしくお願いいたします!