ザキ

「〇〇系〇〇やったら、やっぱり〇〇が効果的でよねぇ。」
「あの〇〇は手強いんですよねぇ。〇〇もあんまり効きませんしねぇ。やっぱり〇〇で真っ向から斬りつけて、〇〇をより多く稼がないと。」
「〇〇を〇〇して、〇〇を〇〇することによって、〇〇を温存しつつ、〇〇が〇〇しやすくなりますよ。えっ!知らなかったんですかあ!?それはまた、あは、アハハハハ!」

何を言っておるのかはさっぱりわからんが、極めて幼稚な会話だということだけは、端で聞いていてはっきりとわかる。いい歳をして気持ちの悪い。
どう考えてもお前らに彼女なんてできるはずが…え?いる!?じゃ、その彼女とやらは、お前らに輪を掛けて気持ちの悪い、〇〇な人間なんでしょうねぇ。えっ!知らなかったんですかあ!?それはまた、あは、アハハハハ!

と、いうわけで、もし私が女なら、ゲーム好きな男だけは絶対に避ける。


ギャッピング・ジャック・フラッシュ

ムスッとした女の人が苦手である。
「そんなに警戒しなくても、誰も襲やあしねぇよ。」と言ってやりたくなる。が、偶然、話をする機会に恵まれて、喋ってみたら意外とざっくばらんなイイ人であった場合、こちらのあちらに対する印象は、一気に鰻登る。

「人間の目というものは、横の変化には対応出来ても、縦の変化には非常に弱い。」と、以前、掛布が言っていたのを思い出した。


コメントへの返信〜さかえ様宛

『桜』は、私自身、気に入っておる一文です。書いた記憶が無いくらい、スラリと自然に書けました。私の、最近の心境が滲み出ていて、いい感じです。

この調子で地道に、切実に、たまに大きく脱線しながら、書き連ねて参りますので、今後とも御愛読の程、よろしくお願いいたします。


早い話、もう、どうでも良いのである。

良い意味で、あくまで良い意味で、もう、どうでも良いのである。

「桜が咲き始めましたね。」

「綺麗ですね。」

どうでも良いのである。

どうでも、「良い」のである。


続・ラインを越えて

「精神的崩壊によって、生命を維持する。」ということを、シラフで出来る女性が、生来、それが出来ないようにできている男性に対して、「呑むな。」と、禁酒を促すなどというのは、極めて酷な話なのである。

男も、たまには崩壊せねば、やってられないのである。
確かに、男の場合の崩壊は、あくまで、酒の力を借りた疑似崩壊ではあるが、疑似でも何でも、たまには、女性みたいに、ブッ壊れてみたいのである。


帰還拒否

職場にて。
つい先程、私と同じく新人の女の人から、「おいくつですか?」と年齢を訊かれたので、「実年齢34、精神年齢16です。 」と、真顔で答えたら、えらい笑われた。
たぶん、信じていないんだろうけれども、事実なんだからしょうがない。

実年齢と精神年齢の間にある、18年もの歳月は、一体どこへ行っちゃったんだろう。
帰ってきて欲しいとは、微塵も思わんが。


好きな女性芸能人BEST10[2011.4.3 版]

しつこいようだが、これは本当に大切なことなのであるからして、変更があれば、随時発表する。

〈1位〉松坂慶子
〈2位〉川瀬智子
〈3位〉中川翔子
〈4位〉たかはし智秋
〈5位〉浅田真央
〈6位〉戸川純
〈7位〉宇多田ヒカル
〈8位〉矢口真里
〈9位〉内田恭子
〈10位〉真矢みき

*昨日、旧友と語り合っておった際、宇多田ヒカルの存在を忘れておったことに気付いたのである。
宇多田ヒカルは、絶対に、外せない。


I am a anti ghost

霊なんていない。いてたまるか!
何故、人生の始まる前は「無」なのに、人生の終わった後だけ「有」なんだ?何故、人生後のことは偉そうに語れるクセに、人生前のことについては一切語れないんだ?こんなもの、幼児でもわかる矛盾だろう。
霊というのは、人間の、死にたくない願望、もっと言えば、「死んでも死にたくない」願望の表れだろう。めちゃくちゃ幼稚な発想だ。苛々する。

言っとくが、「生きたい」と、「死にたくない」は違うぞ。

頼む!霊を語るな!


ラインを越えて

ものすごい勢いでブッ飛んでおるのに、ものすごい勢いでブッ飛んでおるという自覚が微塵も無い…という救い難く残念な人間を、今まで何人か見てきたが、考えてみれば、これが不思議なことに、皆が皆、女なのである。男で、この手の重症患者は見たことがない。
考えられないくらい頭の悪い奴や、ブッ飛んでおるフリをしている奴は、腐るほど見たことがあるが、男で、真に壊れた奴というのは、未だ嘗て見たことがない。

崩壊女は怖い。もう本当に、ゾッとするくらい怖い。何を言ってるのか、サッパリわからない。宗教や、宇宙や、霊の話を、会話の脈絡というものを完全に無視して、何の知識もなく嬉々として語り、何故か怒りだし、突然意味不明の唸り声を上げたかと思うと、何も無かったかのような満面の笑み。怖い。何人かわからん外人より怖い。あんなのと比べれば、私はただの人、至って安全な凡人である。

男は、壊れた人間のフリができるし、壊れた人間のフリをすることが結構好きだったりするが、女には、これができない。正常か、異常かのいずれかである。
松本人志が、「女に笑いはできない。」と言ったことの意味がよくわかるし、森三中がいかに奇跡的なトリオであるかがよくわかる。

昔から、お笑い芸人の絶対数も、芸術家の絶対数も、男の方が圧倒的に多いが、その理由の一つには、男が「壊れないから」というのがあるのではないだろうか。
或る一線を越えた場合、女は壊れる。精神的に完全に崩壊することで、生命を維持するのであるが、男の場合は、その或る一線の手前でなんとか踏み止まろうとする。そうして、この時に、笑いや、芸術が生まれるのであるが、もし、踏み止まることができず、一線を越えてしまった場合には、男は、精神的に崩壊して生命を維持するなどということは生物的、生理的に出来ず、ただ単純に、絶命、死んでしまうのである。
昔も今も、自殺率は男の方が断然高い。例えば、作家でいえば、男性作家で自殺したのは吐いて捨てるほどいるが、女性作家で自殺したのは皆無らしい。
自殺率は高いわ、平均寿命は低いわで、まったくもって、男という生き物は踏んだり踏んだりであるがしかし、精神的に崩壊してまで、自殺率を下げ、平均寿命を上げる必要はないと思うし、そこは、決して曲げてはならない、男のプライドというものだろう。

「絶対に壊れない」という決意。これは、現代男性の武士道とでも呼ぶべきもので、この決意が、自殺率を上げ、平均寿命を下げている要因なのだとすれば、これは、ある意味、現代男性に於ける「切腹」とも言えて、昨今、何かと馬鹿にされがちな現代男性ではあるが、なかなかどうして、潔いではないか。やりよるではないか。と、思うのである。

ラインを越えて…しまってからでは遅い。というのは、男も女も同じことなのである。