ラインを越えて

ものすごい勢いでブッ飛んでおるのに、ものすごい勢いでブッ飛んでおるという自覚が微塵も無い…という救い難く残念な人間を、今まで何人か見てきたが、考えてみれば、これが不思議なことに、皆が皆、女なのである。男で、この手の重症患者は見たことがない。
考えられないくらい頭の悪い奴や、ブッ飛んでおるフリをしている奴は、腐るほど見たことがあるが、男で、真に壊れた奴というのは、未だ嘗て見たことがない。

崩壊女は怖い。もう本当に、ゾッとするくらい怖い。何を言ってるのか、サッパリわからない。宗教や、宇宙や、霊の話を、会話の脈絡というものを完全に無視して、何の知識もなく嬉々として語り、何故か怒りだし、突然意味不明の唸り声を上げたかと思うと、何も無かったかのような満面の笑み。怖い。何人かわからん外人より怖い。あんなのと比べれば、私はただの人、至って安全な凡人である。

男は、壊れた人間のフリができるし、壊れた人間のフリをすることが結構好きだったりするが、女には、これができない。正常か、異常かのいずれかである。
松本人志が、「女に笑いはできない。」と言ったことの意味がよくわかるし、森三中がいかに奇跡的なトリオであるかがよくわかる。

昔から、お笑い芸人の絶対数も、芸術家の絶対数も、男の方が圧倒的に多いが、その理由の一つには、男が「壊れないから」というのがあるのではないだろうか。
或る一線を越えた場合、女は壊れる。精神的に完全に崩壊することで、生命を維持するのであるが、男の場合は、その或る一線の手前でなんとか踏み止まろうとする。そうして、この時に、笑いや、芸術が生まれるのであるが、もし、踏み止まることができず、一線を越えてしまった場合には、男は、精神的に崩壊して生命を維持するなどということは生物的、生理的に出来ず、ただ単純に、絶命、死んでしまうのである。
昔も今も、自殺率は男の方が断然高い。例えば、作家でいえば、男性作家で自殺したのは吐いて捨てるほどいるが、女性作家で自殺したのは皆無らしい。
自殺率は高いわ、平均寿命は低いわで、まったくもって、男という生き物は踏んだり踏んだりであるがしかし、精神的に崩壊してまで、自殺率を下げ、平均寿命を上げる必要はないと思うし、そこは、決して曲げてはならない、男のプライドというものだろう。

「絶対に壊れない」という決意。これは、現代男性の武士道とでも呼ぶべきもので、この決意が、自殺率を上げ、平均寿命を下げている要因なのだとすれば、これは、ある意味、現代男性に於ける「切腹」とも言えて、昨今、何かと馬鹿にされがちな現代男性ではあるが、なかなかどうして、潔いではないか。やりよるではないか。と、思うのである。

ラインを越えて…しまってからでは遅い。というのは、男も女も同じことなのである。


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