Fragile

子供の頃、外で遊んでいて、膝などを擦りむいて家に帰ったら、母親が、「おっ、男の勲章やな!」と言って笑った。

人生、たった一度きりだから、「こわれもの」として取り扱うのか、それとも、たった一度きりだからこそ、一つでも多くの「勲章」を求めて、悪戦苦闘、獅子奮迅、戦い続けるのか。
もし、人生を「こわれもの」として、慎重に慎重に取り扱ったとして、限りなく無傷に近い状態で寿命を全うすることに成功したとして、その無傷の人生とやらに、一体何の価値があるのだろうか。
あの世で、神様が、中古CD屋の店員のような恰好でもしていて、その綺麗な人生を、高価買取でもしてくれるのだろうか。でも、その場合の、「価」って一体なんなんだろう。高価で買い取ってもらえたら、どんな特典があるんだろう。ひょっとして、もう一度、霊長類の頂点に立つ生き物として生まれ変われるとか?でも、それは、罰ゲームではないのか?

私は、最近、人生ってのは、物語だなあと思っている。
この世に生を受ける直前、神様が一冊の、何も書かれていない真っ白な本を我々人間に手渡して、こう言う。「ここにあなたの人生を、物語を書いてきてください。そうして、書き終えたら、またここへ戻って来て、私にその本を返し、私にあなたの人生を、物語を読ませてください。喜劇にせよ、悲劇にせよ、面白いものを期待していますよ。」

「こわれもの」として取り扱われた人生、物語よりも、傷だらけの、「勲章」だらけの人生、物語の方が、本の虫の神様は、喜ぶのではないだろうか。でも、あんまり良くできた、面白過ぎる本にしてしまうと、「続編をよろしく!」などと言って、またまた霊長類の頂点に立たされる危険性があるから、あえて、所々に誤字脱字を書いておくしたたかさもまた、我々人間には必要なのではないだろうか。
この本の、誤字脱字の必要性を思えば、人生のちょっとした失敗や後悔もまた、必要なものとして、受け容れられるような気がしないでもないさね。


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