俺、和田怜士と言えば、そう、赤いギター。どこへ行っても「変わったのをお持ちですね」とか「初めて見た」とか言われる。実際に耳にしたことはないけど、俺のライブを初めて観た人の中には、ライブの後、店を出てから俺のことを「赤いギターの人」と呼んで、良かったとか悪かったとか言ってるんじゃないかなと思う。
このギター、俺は「ギブリン」って呼んでるけど、正式名称はギブソンJ−180(ギターに詳しい人はエヴァリーブラザーズって呼んだりもする)。ピックガードの形が特徴的で「ヒゲギター」なんて呼ばれ方をすることもあるけど、俺は、これはヒゲではなく女の人の髪だと思っている。ギブリンの髪。で、J−180自体は特に珍しい機種でもないんだけど、この色、チェリーレッドは凄く珍しくて、世界に65本しかない。
救い難い雨女で、とにかくよく雨を降らせる(買った日も大雨だった)のが玉に瑕だけど、音については申し分ない。ギブソンらしいギャリギャリした音で、低音も高音もよく鳴る。ギャイ〜ン!と一発、コードを強く叩いた時の迫力が違う。闘争心を掻き立ててくれる最高の相方だ。
そうそう、俺はギターを相方だと思っている。ギター一本で音楽やってる人たちは皆そうなのかもしれないが、俺は他の人たちと解釈が違う。俺はギターの音を自分の歌を引き立てる「脇役」だとは考えていない。これは大きな違いなのだ。
ライブ前。リハでPAさんに「ギターの音を上げて下さい」と言う。言わなかったことはない。で、上げてもらうが物足りない。さらに上げて下さいと言うと怪訝な顔をされる。PAさんはあくまで「ギター=脇役」だと捉えているから、そんなに上げたら主役である歌の邪魔になると考える。でも、俺はギターと同じ立場でぶつかり合って、その衝突音みたいなものを聴かせたいと思っている。調子が悪い時にはギターに食われる、それで良いと思っている。
他の人のステージを見ていると、演者とギターとのバランス、コントラストからして、ツービートや紳助竜介の漫才を見ているような気がしてくる。主役と脇役がはっきりしていて、ギターがビートきよしや松本竜助に見えてくる。でも俺は、俺とギターの間柄はダウンタウンとか、サンドイッチマンとか、笑い飯みたいであって欲しいと思っている。どちらが主役でも脇役でもない…というところに限りなく近づけたい。だから俺にはあのごく一般的な肌色で木目柄の没個性的なギターはあり得なかった。初めてギブリンを見た時、「コイツなら俺の相方がつとまる!」と思った。板尾創路がホンコンを見つけた時のように。
ギブリンに怒られるわ!