雪の華

毎年、この時期になると必ず書いているような気もするが…。

いよいよもって本格的に冬だな…と思う。というのも、街を歩いているとそこら中から中島美嘉の「雪の華」が聞こえてくるようになったから。

毎年、冬になると降るもう一つの雪。冬という季節の縮図のような名曲中の名曲。

一瞬で涙腺がおかしな事になる。


モーゼ

嫌いなものは嫌いだとはっきり言い、好きなものは好きだとはっきりと言う。ただそれだけのことで、身辺の人的なことが淘汰、整理されてきて、海が割れて道ができるように、自分の進むべき方向がはっきりしてくる。

確かに「嫌いだ」と思ったり言ったりすることはネガティブなことなのかもしれないが、「嫌いだ」と思ったり言ったりするのと同じくらい「好きだ」と思ったり言ったりしてるんだから、プラスマイナスゼロだ。真っ二つに割れた海の片方が「好き」で、もう片方が「嫌い」で、自分は好きも嫌いもない、ゼロの部分を歩いていく。好きと嫌いをはっきりさせないと、ゼロの部分が、道が、浮かび上がってこない。

人は、「好きだ」という思いや発言にはさほど興味を示さず、あっさりスルーするくせに、「嫌いだ」という思いや発言には過敏に反応して、クローズアップして、深く記憶にとどめる。

ネガティブなのはどっちだ?


☆ライヴ決定☆

来年一発目のライヴが決定した。

2018年1月30日(火) 扇町para-dice

私にとって40歳最後の日。そして、現時点で対戦相手が一人だけ決まっている。

バニー・マツモロさん。

現在制作中の『爆弾』と『ROCK&REISHI(remaster)』を引っさげて、圧巻としか言いようのないライヴをする。絶対観に来て欲しい。観に来なかった場合、損をするのは俺ではない。アンタだ。


物販廃止の理由

店頭に魚が並んでいる。

並んでいる魚が新鮮で美味そうに見える時、我々はその魚が死んでいるとは認識しない。ところが、並んでいる魚に鮮度を感じることができず、不味そうに見えた場合には、その魚が死んでいると認識する。美味かろうが不味かろうが死んでいることに変わりはないんだけど、美味そうに見えるか不味そうに見えるかによって、人間の認識というものはこんなにも変わってくる。

私が、自分の音源を販売しないことに決めたのは、ライヴハウスの物販席に並んでいるCDがことごとく死んだ魚に見えるようになったからだ。

ライヴ前に物販席に並べた音源が、ライヴ後、販売する頃にはなんだかもう埃を被った感じになっちゃってて、絶望的な鮮度の落ち方をしている。だから手渡しで、受け取る人に鮮度を感じてもらいたいと考えるようになった。

物を見た人が、それがそこにあることを認識してから受け取るまでの時間が短ければ短いほどいい。となると、お金をやり取りする時間だって無駄で、省くに越したことはないし、そもそも、そんな目先の利益なんてどうでもいいし、考えてないから、販売することをやめた。

これまで、販売の形をとってきたのは、受け取る側としてもお金を払って手に入れた方が手に入れた実感があって良いかなと思っていたから。でも、それは間違いだった。大事なのは、「自分と相手の接点として音楽がある」ということで、それが全てで、そこに焦点を絞るべき。

だいたい、ロックスターが二つ折りの財布から100円玉を取り出して「はい、お釣り」なんて、絶対やったらアカンことよな。


バニー・マツモロ

(写真上)バニーさん。(写真下)流暢な日本語で対談するキース・リチャーズとリアム・ギャラガー。

嫌いなものは嫌いだとはっきり言う代わりに、好きなものは好きだとはっきり言うのが我が性分。

昨日、扇町パラダイスでバニー・マツモロさんのライヴを観てきた。

日本語を大切にした、ポエトリーリーディング的な曲が恐ろしく味わい深い。そして、しわがれた声が救い難く渋く、使っているギターも、ギターのトーンも、私にとって頭に「ド」が付くストライク。ついでに、ルックスもイケてる。私の魂が奥の方で低く唸った。そんな素晴らしいライヴだった。

ライヴの後、楽屋に招いて下さったので、色々と話をさせて頂いたのだが、その中で、不思議な響きのするギターのコードを一つ教わった。新曲は是非、そのコードを軸にして書いてみようと思っている。

私はバニーさんの音楽が好き。なぜ好きなのかというと、バニーさんが音楽人として真摯で信用できるから。なぜ信用できるのかというと、好きなものと嫌いなものがはっきりしていて、それをはっきり言葉や態度に出すし、目先の薄っぺらい好感度みたいなもんのためにくだらない嘘をつくくらいなら誤解されてる方がマシだと言い切れる性分の人だから。

バニーさんと私。やってる音楽は似ても似つかないけど、スピリットは似通っている。


タイトル&ジャケット発表

自分の中にあるもの。音楽を通して言わんとしていることや、音楽を通さずには言いたくても言えないことや、自分の思う自分のあるべき姿や、この音源に託さんとしているものなどの全てを一つの言葉に凝縮させるとしたら?と考えていたところ、「爆弾」という言葉が浮かんだ。浮かんだ数時間後、職場の食堂でご飯を食べようとしているところへ同僚が「これ、良かったら食べて」と言って、ゆで卵をくれた(その日の献立にゆで卵はなかった)。そういえば、ゆで卵を丸ごと使って作る料理に「バクダン」ってのがあったな、と思って、このタイトルに決めた。

現在マスタリング中。

12月中旬、前作『ROCK&REISHI』のリマスター盤と併せて二枚同時完成予定。


シスターマロン

⬆︎photo by sister marron

我が海賊ライチrecordsにサウンド・エンジニア「Dr.F」に続いて、専属カメラマン「シスターマロン」が就任!

特に芸術に興味があるわけじゃないし、写真家志望でもない。ただの趣味として撮っていただけの彼女のセンスと才能に惚れて、半ば無理矢理に口説き落とした。

彼女の写真はことごとく「記録」ではなく「作品」。「写真」ではなく「絵画」。

実は『ROCK&REISHI』のジャケ写もマロン女史によるもの。今後、私の音源のジャケット写真には全て、彼女の「作品」を使用する。

天才を見出すのはいつも天才だ。


Dr.F

我が海賊ライチrecordsに専属のサウンド・エンジニアが就任。名はDr.F。今後、あらゆる機器と知恵を駆使して、私の音源制作に手を貸してくれる。写真は彼が所有しているスタジオである。

現在、私の新しいライヴ盤の制作と、『ROCK&REISHI』のリマスターを並行してやってくれている。

彼は、私の音楽を非常に高く評価してくれているし、私がどんな音を好むのかについても熟知してくれている。

鬼に金棒だ。


潔さで拓く道

ライヴやってると、色々な人から色々な言葉を頂戴する。全て大事にしてるけど、特に印象に残っているのが、thanのギター・ヴォーカル、キタさんから頂戴した「潔い!」という言葉。簡潔な言葉だけどズドンときて、他の人になくて自分にはある「売り」にすべきものって、まさにその「潔さ」なのかも知れないと考えるようになった。発言も行動も潔くいきたい。

ところで、自分はこれまで12枚の音源を制作してきた。基本的には、スタジオ盤が作品で、ライヴ盤は記録だと捉えてきた。でも、最新ライヴ盤『ROCK&REISHI』(以下『R&R』)を作ってからというもの、捉え方がガラリと変わった。これまでの12枚については、スタジオ盤が記録で、ライヴ盤が作品なのだ。そして、もっと言えば、私自身、胸を張って作品だと言えるのは『R&R』のみ。

私は10回目のライヴで、自分でも予期せず、突然化けた。『R&R』はその瞬間をパッケージしたもの。過去9回のライヴと11枚の音源はこれに辿り着く為にあった。聴けばわかる。私の声も、ギターの音も、セットリストの組み方も、お客さんの反応も、全てが違う。だから、過去11枚の音源を全て廃盤にして、「ブートレッグ・プロジェクト」に幕を下ろすことにした(先日気付いたのだが、『R&R』のジャケットには、内ジャケを含めて「bootleg」の表記がない。自分でも不思議なのだが、これに限って表記し忘れたのだ)。「もったいない」という声もあるかもしれないが、アーティストにとって「もったいない」という概念ほど無駄なものはないーということを親父から教わった。陶芸家が納得のいかない壺を次々と割っていく。あの陶芸家の気持ちを汲めないようではアーティストとは言えないのだ。

今後、私は、スピーカーから血が吹き出してくるようなライヴ音源のみを「作品」として発表していく。スタジオ盤はサポートメンバーを調達することができたら制作する。音源の発表方法についても、これまでのやり方をやめる。物販を設けない。つまり、販売しない。あげる。私が聴いて欲しいと思った人や、ライヴの後、私に話しかけてきてくれたお客さんにあげる。お客さんにとって、出演者に声をかけるのはめちゃくちゃ勇気のいることだから、その勇気と引き換えに、喜んで、あげる。

過去11枚の音源については、「ま、いつでも買えるだろう」などとたかをくくっていた人はご愁傷様。もう二度と手に入らない。買ってくれた人たちは、私としても決して間違ったものを作った覚えはないし、たまに引っ張り出してきて聴いて、保管しておいて欲しい。いつか「家宝」と呼んでもらえるように精進しまっさかいにな!


降臨!ビートれいし

人間、40歳と50歳の差は大した差ではないが、80歳と90歳の差は大きな差であるーという話をよく聞く。

ライヴで80%の力を発揮するのと、100%の力を発揮するのとでは、そこに大した差はないように思う。80%〜100%発揮できれば、お客さんの耳に自分の音楽を届けることができる。耳に届けることはできるが、ハートにまで届けようと思えば、120%の力を発揮しないと駄目だと思う。100%と120%の間には天と地ほどの差がある。120%発揮した後は2日くらい心身ともに茫然自失としてほとんど廃人みたいになるけどね。

良いアーティストは、ステージに上がる前、楽屋で挨拶した段階で「この人やるな」と思わせるものがある。大抵、椅子やソファーに腰掛けて、黙って煙草を吸っていたりする。黙々と自分の中にある炉に石炭を放り込んでいる。傍目には至って冷静に見えるが、ハートはごうごうと燃えたぎっている。外は冷たく内は熱い。これがステージに上がった瞬間に逆転する。傍目にはメラメラと燃え上がって見えるが、ハートは至って冷静で、どこか落ち着きがある。この時彼は、外が熱く内は冷たい。

私は、そんなアーティストとなら、120%の力を出し合った殴り合いの末に握手を交わして仲良くなれる自信がある。でも、闘争心のカケラもなく、ただFacebookの「友達」を増やしたいが為にステージに上がっているような、ステージの上下を問わず絶えずヘラヘラと軽薄な笑顔を浮かべて「楽しい」を連呼しているような奴らとは一生仲良くなれないし、なりたくない。そんな奴らに限って、ライヴハウスではなくライヴバーに出続ける理由について、「ライヴやるのに金(出演料)払うなんてありえへんから」などと、鳴らす音楽にはロックの「ロ」の字もないくせに突然都合よく取って付けたようにロックなことを言う。でもそんなもの、ただライヴハウスに出て負けるのが怖いだけの話だろう。だいたい、お前らみたいなレベルの低い人間こそ金払ってステージに上がらんとアカンのんと違うか?ステージに上がることに対して驚くほど責任感がない。責任感がないから恐ろしく恐怖心がない。恐怖心がないから覚悟なんて抱けるわけがない。ステージに上がる資格のない人間はせめて金くらい払え。それに、お前はびた一文金を払いたくないと言うが、お前はお前が呼んだ客に金払わせてることを分かっとんか?と言いたい。それから、投げ銭って一体何なんだ!?ただ箱が置いてあって、投げるも投げないも客の自由というのならまだ分かるが、募金箱みたいなものを持って客席を回るのは勘弁してくれ。断るに断れないんだから、強要以外の何物でもない。おのれはライヴするのに一切金出さんくせに客からはチャージ以外にさらに金取るって、気は確かか!?無闇矢鱈に「楽しい」くせに、都合良く貧乏な歌うたいを装って同情を買おうとするな。

客が呼べない内は自腹を切る。自腹を切らねばならないのは自分がまだまだ未熟だから。そうして、これでもか!これでもか!と自分の音楽に磨きをかけていく。もちろん、客が呼べるようになれば自腹を切る必要はなくなるし、プラスが出ることにもなるけど、問題は金じゃない。より多くの人に自分の音楽を気に入ってもらって、自信を付けて、それをまた自分の音楽の成長に結び付けていくことこそが大事。まともに客を呼べない分際で金銭的にプラスを出そうなんて虫が良過ぎる。

ただでさえ、一般の人達とライヴバーやライヴハウスとの間に救い難い溝があるというのに、何をしとんねん馬鹿野郎!!!