悲惨の木

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以前、社会的に脱落して、日課と言えば散歩しかなかった時に、家の近所の高架下にあるこの枯木に目を奪われたのである。

頭をコンクリートに押さえつけられて、もうこれ以上上に伸びることができず、さらに、雨が降っても一切水を飲めず、そうして、こうして枯れてしまったのだろう。

辞書で「悲惨」を引くと、この木の写真が出てきて、「凶悪」を引くと、ここにこの木を植えた野郎の顔写真が出てくるんじゃないか?とあの頃、しみじみ思ったことを覚えている。

でも、この枯木が私の中に、何らかの「前向きな」変化をもたらしてくれたのは確かで、これは小説『人間失格』についても同じことが言えるが、負のイメージのものに接した人間が、そのまま負なものを精神的に受け取るのかというと、それは疑問で、そんなに単純な話じゃないだろうということを、私は、あの頃考えたのである。

「頑張れ!」―決して悪い言葉ではない。同様に「自信を持って!」という言葉も決して悪い言葉ではない。でも、絶望の淵にあるような人間に対して掛ける言葉、態度としては、何か他に、別に、もっともっと適切なものがあるような気もする。

残念ながら今の私には、それが一体どんなものなのか、さっぱりわからんが…。


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