イメージ打破

そういえば昨日、バンドで写真を撮ることになった際、剣吾くんが「一憩くんまた椅子に座ったら?」と言ったので、私が「椅子はもうええわ。おじいちゃんみたいやし」と答えたら、剣吾くんのスマホを手にしたなっちゃんが「哲学家みたいでいいと思いますよ」と言ったのを、私は聞き逃さなかったのである。

私がスタジオのスタッフ、なっちゃんと喋るのは、メンバーが勢ぞろいして練習が始まるまでのほんの数分である。そんな短時間でそんなイメージを持たれるはずがない。ということはつまり、このブログを読んでくれてはるんかなとも思ったがしかし、それにしたって、早過ぎる。なにしろ、「芸術家」ではなく「哲学家」だ。このクソ堅苦しいイメージをあっという間に持たれてしまっているというのは、もしそれが事実であれば、痛い。先が思いやられる。絶対に出世できない。

「哲学家」という言葉からイメージする人間というのは要するに「難しい人」だろう。私は難しい人だと思われているのか?ちっとも知らなかった。そりゃモテないはずだ。これはイカン。何とかせねばならん。

B’zを聴きながら村上春樹を読んで、ホワイトロリータをつまみながら甘い紅茶を飲まねばならん。レノンを聴きながら太宰治を読んで、柿ピーの柿のみを選ってつまみながらビールを飲んでおる場合ではない。


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