ある本から(2)

心的エネルギーは、全体にバランスよくふりむけられなければなりません。ところがその心的エネルギーを一点にだけ集中させると、磨耗現象が起きてしまいます。
わたしはこれを〈過剰集中性〉と呼んでいます。
朝から晩まで同じ一つの漢字を思い浮かべていると想像してみてください。その漢字の正しい読み方や書き方がわからなくなってしまうでしょう。一目ぱっと見て「ヤマ」と読み「山」と書けたごく平凡な漢字が、長いあいだながめていると、しまいに摩訶不思議な暗号のように見えてきます―三本の縦の線と一本の横棒がなぜ「山」なのか?
これが過剰集中性によってもたらされる錯覚です。しかし海や川、湖などといった漢字へ目を移すと、その混乱は一瞬のうちに解消されます。過剰集中性が解除され、正常な感覚が回復したからです。
自分や自分の心についても、これは同じことがいえます。朝から晩まで自分や自分の心のなかのまぼろしをながめていると、過剰集中性の錯覚にとりこまれ、何がなんだかわからなくなってしまうのです。

脳は外部世界に向けてつくられています。目は外部のものを見るため、耳は外部の物音を聞くため、そして鼻は外部の匂いを嗅ぐためについています。
心や意識も同様です。
つまり人間は、自分自身のことを知ることが大の苦手なのです。

この世でいちばん疲れるのは、自分のことを考えることです。


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