離について

レノンの、「答えは、考えていることと全く別のことを考えた拍子に見つかる」という言葉は、気分転換というものの効能をよく表していると思う。また、三国志の中で、蜀の丞相、諸葛孔明が魏のある城を包囲した際に、早々に包囲したにも関わらず攻めあぐねて、長期に渡って陥落させることができなかった時、将軍の姜維が孔明の幕にやってきて、「丞相は少しこの城にこだわり過ぎておられるような気がいたします。ここは「離」が肝要なのではございますまいか?」と提言して、これを聞いた孔明が、「そうじゃ、私は離を忘れておった!」と手を打って言い、姜維の言を容れ、即刻全軍に撤退命令を下した―というエピソードも、気分転換というものの重要性を思わせる。

気分転換とは、「離」以外のなにものでもない。レノンも「離」の中から答えを見いだしたんだと思う。

ある問題に直面して、頭の中が散乱。手が付けられなくなったら、一旦、完全にそこから離れてみる。そして数時間後、または数日後、元の場所に戻ってみるとアラ不思議。あれだけ散乱していたものがシンプルに、一つの形に纏めあげられているではないか!―という経験をしたのは、私自身、一度や二度ではない。

気分転換と書いて、「離」と読む。


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