SMILE

楽しいから笑顔なのか、笑顔だから楽しいのか―ということを、最近、よく考える。

結論から言うと、どちらも正解で、どちらも間違いではないのだが、後者の「笑顔だから楽しい」という風に考えることができるようになるというのは、本当に素晴らしいことだと思うし、その発想の深みの中に、「大人」の顕れがあるように思う。

鬱的状況を打開しようと思えば、まず笑顔からだと思う。笑顔から変わってくるものって、絶対にあると思う―といって、こういった種類の言葉をロクに噛み締めもせずに一蹴するのが、「子供」であり、「若さ」であって、それはそれで素晴らしいと思うし、私は決して嫌いじゃないんだけど、ある程度長く生きてきた人間がそんなことじゃ困るだろう。

「笑顔」という答えをとりあえずまず出す。すると、その答えを成り立たせるための数式が、答えの周りに集まってくる。

問題がまずあって、そこから答えを導き出す―というのが日本の教育であるのに対して、始めに答えがあって、その答えに対して幾通りもの問題を考えるというのが西洋の教育―という話を以前、どっかで聞いたことがある。

もし、理屈や理論抜きに建てられる家があるのなら、勢い一発、とりあえず建ててしまえばいいと思う。そのうち、「理屈も理論もないような家が建ってられるか!」と言う人間が現れて、家に、頼みもしないのに、理屈や理論をいっぱいぶら下げてくれるだろうから、時期を見計らって、「よくわかりましたねっ!」とかなんとかテキトーに言って、家も、理屈も、理論も、ぜ〜んぶ我がのものにしてしまえばよろしいのでないかと存じます。

本来、笑顔などというものに、理屈も理論もないんでございますから、勢い一発、建ててしまえばよろしいのではございますまいか?


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