瞑想というのは何も、宗教家を筆頭に、スペシャルな方々のみがやるものと決まっているわけではない。また、瞑想というのは何も、座禅を筆頭に、一箇所にじっと居座って微動だにしないという、あの形のみを指して言うものでもない。瞑想というのは、本当は実に一般的で、庶民的でさえあって、身近なもの。あなただって知らず知らずのうちにやっているだろうし、かくいう私もやっている。
私の場合は、時間の経過とともに自分の中で散漫になっていく何かがあって、この「何か」をギュッと収束させる為に瞑想ということをする。 そして、私の場合、瞑想は散歩という形をとる。その辺をただひたすらに練り歩くことによって、自分の中で何かが確実に着実に収束して、落ち着きを取り戻していくのを感じるのである。
人によって瞑想の形は違う。中には、勝ち負けの問題ではなく、ただひたすらにパチンコ台に向かってぼうっとしてるのが瞑想だと言う人もいると思う。そしてその人には、あのパチンコ屋の、耳がちぎれそうな喧騒が全く聞こえていないんじゃないかと思う。無音の世界に違いない。それは、瞑想中の私が、挙動不審を疑われて通報されても仕方がないくらいにキョロキョロしておるにも関わらず、実は何も見ていないというのと全く同じ原理であると思われる。
人の数だけ、瞑想の形はある。