Monthly Archives: 3月 2013

鬼盤

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自分はこんな見方をする。

自分はこんな聞き方をする。

自分はこんな考え方をする。

自分はこんな感じ方をする。

―というくだらない自意識の下に、自分で自分をわけのわからない枠にはめて、自分で自分を窮屈にして、にっちもさっちもいかなくなったら、是非ともこれを聴くべきだ。

かくいう私も長いこと、このアルバムの凄さがわからなかった。何が良いんだかさっぱりわからなかった。が、3年前のある日、突然わかった。わかった時、わかったのは、このアルバムの音楽についてだけではなかった。そして、心の底から恐怖に震えたのも、このアルバムの音楽についてだけではなかった。


スピッツの曲は、前奏や間奏を可能な限り削って、4分以内に抑えたらもっともっと良くなると思う。無駄な前奏や間奏が多いように思う。

スピッツのアルバムは、初期のビートルズみたいにトータルタイムを40分以内にして、リピートで繰り返し繰り返し聴くような感じ―始点と終点がないような感じ―にしたら、もっともっと素晴らしいものになると思う。

なにはともあれ、私は、彼らの『渚』という曲がめちゃくちゃ好きである。


夢の跡から

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これからどうすべきかということを考えている。あらためて我が人生を見直す時期が来たと思っている。再設計、再構築でございますな。さて、どうすべきか…。

私もいつかは死ぬ。だから、「悔いが残らないように」ということを思うと、また音楽を、バンドを、ロックンロールをやらねばならないのは絶対的に確かで、それから、私らしく、執拗に、好きな人に、好きだと心を込めて言い続けていかねばならないということも確か―ということしかわかっていない。でも、これだけわかっておれば十分なのではないでしょうか?

いるのかいらないのか。
やるのかやらないのか。
続けるのかやめるのか。
好きなのか嫌いなのか。
―そこんところを今まで以上に、はっきりさせていこうと思っている。

思っている以上に、時間、ない。


悪気はねえ

ロックンロールな人が皆、ドカーンと生きてバタンと死ねるわけではないのである。そりゃ、ジョン・レノンみたいに、何処の馬の骨ともしれない狂人に撃たれて死んだり、マーク・ボランみたいに、本人の予言通り、車で事故って血まみれで死んだり、ブライアン・ジョーンズみたいに、ある日突然水死体となって発見されたり―といった突発的な死に方ができるに越したことはないが、現実的には、なかなかそうは烏賊のきゃん玉。いかにロックンロールな生き方をしてきたとは言え、最期は結構、本人の意志に反して、モタってしまうものなのである。

最期の最期―肝心なところで何故モタるのか。モタる理由にも色々あると思うが、これが結構、身内のせいだったりするようである。しかし、「延命治療みたいなことはすな」という覚悟丸出しの発言がロックンロールなら、そう言われた場合に、身内の者が笑って応える「そうは烏賊のきゃん玉」という発言もまた、ロックンロール以外の何物でもないのである。


変で結構メリケンサック

私が「普通に生きて普通に死ぬ」ということに一切魅力を見出だせないというのは、何も今に始まった話ではないのである。

「普通に生きて普通に死ぬ―素晴らしいことではござんせんか」などと言われると、私はその人の顔を覗き込んで、絶対に口には出さないけれども、毎度、心の中で「ああ、要するにこうなったら終わりなんだな」と呟くのである。だから、「普通ほど難しいものはないんだよ」なんて、小学生でも思いつく言葉の奇、屁理屈をこねられた日にゃ、全力で殴り倒したくなるのである。だって、どう考えたって、「普通」ほど楽、且つ、安易、且つ、簡単なものはないだろう。隣の、一切面識のない、何処にでもいそうな間抜け面の野郎と同じことを言ったりやったりしてりゃいいんだから。


整理励行

頭や心の整理ができていない時は、まず間違いなく、部屋の整理もできていないのである。したがって、逆に言えば、部屋の整理をすることが、頭や心の整理をすることに繋がるのである。

自分の家や部屋というものは、要するに、自分の頭や心の中の状況が目に見える形で外に顕れたものなのである。

―と、ここまでわかっておきながらできないのが整理というものである。


タイム・イズ・オン・マイ・サイド

ここ数日、色々と考えている。かといって、具体的に何を考えているのかを問われても、答えに窮する。かといって、何も考えないわけにはいかない。

考えるという行為自体や、考えることによって無理矢理導き出した答えらしきもの以上に、この、考えるという行為に費やしている時間そのものに、後々に繋がる価値的なものがあるような気がせんでもない今日この頃。一日の内に、一体何杯の珈琲を飲めば気が済むのか俺。


蕾、ピスタチオ

苦手なことも、苦手だからと言ってやらないわけにはいかない状況下、「やってみたら意外とできた」ということが連続して、少しずつではあるが、着々と、自信らしきものが開花していっているらしい私が嬉しい。

堅い殻―つい先日まで、ピスタチオだと思い込んでいたものが、よ〜く見たら蕾だった。

大器晩成が過ぎる。


背筋にうんこちゃん

例えば、廊下を小走りに駆け抜けていく看護婦さんたちの背筋には、ピンと張った一本のプライドが見てとれる。

誰しも、プライドを持って生きている。だから、プライドというものを否定するつもりは微塵もないし、かく言う私にだってこう見えて、プライドの一つや二つは、実は、ある。悪いか?

ただ、「プライド」という言葉の前に「男の」という言葉をくっつけてしまった場合に、くっつけた時点で、これはもう完全に0点だと思っている。

男のプライド―それは、帯に短く襷に長い一本のうんこちゃんである。


記録〜屁で腹を満たして〜

昨日は、地下にある食堂できつねうどんを食べた。絶望的に味の薄い、阪急そばのうどんの失敗を彷彿とさせる、屁のようなうどんだった。

昨日の反省を踏まえて、今日はご飯とみそ汁ととんかつを食べた。とんかつが、とんかつだと言われないととんかつだということを認識できないくらい豚感に欠ける屁のようなとんかつだった。