Monthly Archives: 2月 2013

耀け臆病者

昔、「臆病って悪いことじゃない。人一倍想像力があるってことだ。」と親父が言ったのを覚えている。

臆病な人は優しい。臆病な人に限って優しい―と、私は思っている。でも、「自分は臆病だ。」という自覚ゆえに、「自分は臆病だ。」という自覚のない、分をわきまえようとしない、優しくない人よりも短命に終わる場合が多々あるとも思っている。

とあるボクサーは、「臆病な奴こそ強いんです。」とも言っていた。「だって、殴られたくないから殴るんです。」と。

中途半端な臆病者は手に負えないけれども、抜群の臆病者は…もしそんな奴がいたらの話だけれども…人間として、なかなかのものなんじゃないだろうか―と、たまに思う。


黒蛇の歌

0063.jpg

白と黒。
光と影。
水と血。
鳥と蛇。
説教と呪文。
天使と悪魔。

―どちらがよりエロいか。黒、影、血、蛇、呪文、悪魔…そりゃ後者に決まってるだろう。

私は今まで、それこそ数え切れないほどのロックアルバムを聴いてきたが、「エロさ」について言えば、後にも先にも、これを超えるアルバムに触れたことはない。

18の時、とある友人に「セックスする時にBGMにするとしたら?」と訊かれた時、私は、童貞丸出しの分際で迷わずこう答えた。

「ドアーズの『ハートに火をつけて』」

あれから17年経った今、もし同じ質問をされたとしても、私は迷わずこう答えると思う。

「ドアーズの『ハートに火をつけて』」

人生に絶望して、でもちょっとだけ希望らしきものが残っていて、しこたま酒を飲んで、泥酔して、酩酊して、これを聴いた日にゃ、誰だって若干の犯罪行為に走る可能性はあると思うし、それはドアーズの罪であって、彼や彼女や私の罪ではないと思う。


「愉快」はいらない

私は、「楽しけりゃいいんだ。」などと言って音楽をやったことなんて一度もない。同様に、「楽しけりゃいいんだ。」などと言って恋愛をしたこともない。

何故か?

要するに、「楽しけりゃいいんだ。」では、全っ然楽しくないからである。


黒い蝉

私はここで断言する。

寝溜めはできる!と―。

ただ、寝溜めには気合が必要である。6時間寝て、目が覚めたとしても、そこでもう一度無理矢理にでも眠らねばならず、たとえそこから2時間寝ることに成功したとしても、そこからまたさらに最低4時間は眠らねば寝溜めとは言えない。12時間以下の睡眠は寝溜めとは言わないのである。

10時間を超える睡眠の後半は、眠りが薄い。したがって、次から次へとわけのわからん夢を見るようになるが、本物の寝溜めをものにするためにはこれに打ち勝たなければならない。

昨日から今日にかけて、私は見事に寝溜めに成功したが、後半、右腕に無数の黒い蝉が隙間なくギシギシギシギシまとわりついて気持ち悪いったらありゃしない―という夢を見て、今、非常に身体がだるいから、私はここで断言する。

寝溜めはアカン!


Mr.モーラス

肩や背中や腰の凝りなどというものは、良識と常識に溢れた大人が患うものであって、私のようなガキンチョには永遠に無縁だと思っていたのだが、それは大きな間違いで、どうやら私は、ただひたすらに自覚に乏しいだけで、実は肩も背中も腰もギッシギシに凝っているらしい―ということにようやく気付いたのが昨日の朝。

我がの身体の凝りに気が付かないほどに良識も常識もない分際で、いっちょまえに凝りだけがあるというのは、火のないところに煙が立ってしまっているようなもので、それはそれは不自然な現象だと言えて、その極めて不自然な現象が、自然の産物丸出しの人体内で起こるのであるから、そ〜れはそれは不快である。


モンプチ・ローレライ

人間、感情に抑制が利かなくなったらどうなるのか―ということを日々考えさせられる職業を選んだ私は、その一方で、私を含めたそこらへんの人たちが、普段いかに感情を抑制し過ぎつつ生きているのか―ということを考えさせられている。そして、そんな、普段、感情を抑制し過ぎつつ生きている我々にとって、恋愛感情って、最後の砦だと思っている。

誰かのことが好きだ大好きだ!という感情さえ素直に表せないで、何が大人だ!何が人間だ!グダグダグダグダ複雑に偉そうなことを抜かし合っている暇があったら好きな人に好きと単純に言うてみせたらどないだ!と思う。

いつも誰かを恐れている。いつも何かを恐れている。そうして、好きな人に「好きだ!」と言うことさえできずにいる。

自分の人生は、自分こそが主人公のはずなのに、主人公の座を他人に譲って、ある種の「責任逃れ」を繰り返している。「自分は自分である」という責任から逃れよう逃れようとしている。

逃れられるかいアホンダラ!

世の中の人間の大半は、私に比べて随分と「大人」で、それは痛いくらい認めるが、世の中の人間の大半は、ある意味では、私に比べて随分と臆病である―ということについては、世の中の人間の大半が認めようとしないから困るであるが、当記事の「モンプチ・ローレライ」なるタイトルには、特にこれといって意味はない。