美味闇鍋

それぞれがそれぞれの持ち味を持ち寄れば良いと思うし、持ち味にバラツキが出てくることを喜んで認めて、受け容れる世の中であれば良いと思う。

考えらしい考えもなく、ただ「同じものを持ってこい」などと言うから、いつも全てが優劣の問題になる。「差」だけで全てを語らねばならんようになる。もう少し「違い」を語る世の中であっても良いのではなかろうか。

「違い」を語る世の中であっても「差」は出てくるとは思う。思うけれども、それは、そこにある競争は、なかなか面白いことだと思う。


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