Monthly Archives: 1月 2015

卓上DNA

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うちの奥さんが「オレンジピール」なるものを拵えていた。

神経質な並べ方に性格が出ていると思われると同時に、人のDNAって図にするとこんな感じじゃなかったか?と思って笑ってしまった。


つもり積もる

よくわかっているつもりです。

信用できる人間と、そうでない人間と。

よくわかっているつもりです。

信用できる人間にも、そうでない人間にも、それなりの演技が必要なことを。

よくわかっているつもりです。

信用できない人間のために、信用できる人間の前で演技していることを。

よくわかっているつもりです。

無駄に器用です。


演歌は音楽をなめとんか

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♪なめとんかあ~ ホンマなめとんかあ~♪

と、

♪やっぱ好っきゃね~ん やっぱ好っきゃね~ん♪

のメロディは大して変わらない。

音はもっと変わらない。

同じようなメロディと音が何故売れるのか。「演歌だから」としか言いようがない。でもそんな言い訳、私には通用しない。

この記事、例えをもって、私が「歌に興味はない」と言い張っていることの意味をなんとなくでもわかっていただけたら幸いである。


燃える筆箱

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死後の世界に想像力を費やすほど間抜けなことはないと思う。

死後の世界というのは、「生」を全肯定して「死」を全否定する、意地でも死にたくない、自分の事が好きで好きで仕方のない人たちの頭の中にだけ存在するものだと思う。
生前(生まれる前)の物語についてはほとんど語られることがないのに、死後の物語についてだけ根拠のない膨大な情報量でもって語られるなんてのはどう考えてもおかしいし、合点がいかない。

ところで、数少ない「生前物語」の代表的なものに「生まれ変わり」というのがあり、「前世」というのがある。

私は以前、「あなたの前世は筆箱です」と言われたことがある。

なめとんか。ホンマなめとんか。


今日のBGM

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グレイプバインの「ライフタイム」

私のカラオケの十八番「光について」が収録されている。

「光について」何度聴いても飽きないめちゃくちゃ良い曲だ。

私が歌ったらもっと良い曲になると、いつも思う。


歌に興味はない

「最近の歌は歌詞を覚えられないし、何を言ってるのかよくわからない」という言葉をよく聞く。

それが事実なら、めちゃくちゃ良い傾向だと思う。

私は、「涙の数だけ強くなれるよ」なんて言葉より、「泣き顔でスマイル。擦り切れてシャイン。踊るならレイン」といった意味不明な言葉の方がずっとグッとくるし救われる。言葉なんて崩してナンボだ。崩さないと一つも面白くならず優しくならないのが言葉で、人間で、人生だと思っている。

だいたい私は、優れた音楽のことを「歌」とは言わない。「曲」と言う。「いい曲だ」と言う。

私がある音楽について「歌」と呼ぶ場合には、そこにかなりの蔑視感があると捉えてもらいたい。私の「いい歌ですねぇ〜」は「取るに足りませんなあ〜」であって、社交辞令以外の何物でもない。

私は曲を聴きたいのであって、歌を聴きたいわけじゃない。


九死に一升を得る

「人間」と「人生」をできる限り大袈裟に捉えようとするのが芸術家なら、「人間」と「人生」をできる限りドライに捉えようとするのが看護師であり、介護士だと思う。

どうやら、ロックンロールは芸術ではないらしい。

助かった。