最近、介護施設での事故・事件が相次いでいる。
施設で働いてきた者として、大きな声では言えないが自信を持って言えるのは、あれは氷山の一角でしかないということ。転落死なんて極端な例は別としても、暴力や暴言といった事例は、探せば途切れなく、数限りなく出てくる。実際、私は、現場で利用者に暴言を吐いている職員を何度か見たことがあるし、それを止めなかったし、瞬間的に怒りが爆発して、意識がとんで、キレて、利用者に対して手を上げてしまったことが、私自身、ある。我に戻ったら、利用者の顎の感触を残した右手が震えていた。で、その時、心から「終わった」と思った。
大阪の施設で夜勤をしている時には、ナースの指示で複数の利用者にある薬を眠前薬として服用させていた。服用させる必要性を感じない人にも服用させていた。その薬を飲ませると身体がグニャグニャになって、ろれつの回らない状態になるのは明らかなことなのだが、これを飲んでもらわないことには、20人を越える利用者(確か、平均介護度3.8の施設だった)を一人の職員で見るのは不可能なことだった。
薬でグニャグニャになった老人があちらこちらで転倒し、そちらの対応に追われていると、誰もいないフロアではある女性の利用者が「メェー!」と叫びながらティッシュ・ペーパーを食べていた。
「死ねばいいのに」と思った。
夜勤明けには、毎回5枚くらい事故報告書を書き、事務所に提出しなければならなかった。だから、2時間のサービス残業は当たり前だったが、事故報告書が現場のやり方に反映されるとは到底思えなかった。
夜勤明けには、家に帰る途中にある自販機の前で、天候を問わず、毎回、軽く意識がとぶまで、とばすために、4、5本のビールを飲んでいた。2時間の仮眠時間が与えられていたとはいえ、寝不足極まる夜勤明けだから、4、5本で十分とばせた。酒でとばしたいのは、罪悪感ではなかった。罪悪感なんて、悲しい哉、これっぽっちも感じたことがなかった。ただひたすらに「俺、何やってるんやろ…」という虚無感だった。
年末、施設で行われた忘年会の後、職場では鬼のように厳しい女性の先輩が、ダラダラと涙を流して「頼むから抱き締めてや」と言ってきたので、力いっぱい抱き締めたこともあった。めちゃくちゃ辛いんだろうなと思った。
「やり甲斐」のみが取り柄であり、生命線とも言える世界を、虚無感が覆っている。国は、この状況を改善しようとするどころか、無駄に制度を複雑化するなどして、さらに悪化させている。
求人誌の介護職の欄を見ると相変わらず、「「ありがとう」が嬉しい仕事」なんて文章が踊っている。利用者はおろか、家人にさえ、「ありがとう」なんて、ほとんど言ってもらえないのに。