『檸檬』

言葉が理解するもので、歌詞が共感するものだとすると、詩は味わうものだと思う。ただ、味わうものではあるが、日常的な言葉や歌詞のように甘かったり辛かったり、明確な味がするわけではないから、詩に理解や共感を期待するとたちまち「わからない」となる。

俺には、詩を読んで「わからない」と言う人の「わかる」がわからない。

詩は個人的な味覚を言葉で表現するようなもの。

詩を読んで「わかる」というのは、彦摩呂やタージンの食レポをおかずにご飯を食べることが「できる」というのと同じことだと思う。


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