人間の「勘」とか「直感」とかを考える時、私はいつも、商店街などでよく見掛けるガラガラくじ(取っ手を持ってガラガラ回したら色のついた玉が出てくるやつ)が頭に浮かぶ。
あれをガラガラ回している時、ガラガラの中はえらいことになっている。無数の玉が乱暴に掻き回されて、どちらが上でどちらが下だかわからない阿鼻叫喚の世界。カオス。で、そのカオスの中から、一個だけ玉がポンと飛び出してくる。私は、あのポンと飛び出した一個の玉が、人間の勘であり、直感なんだと思っている。
出口を探して、迷いに迷って、考えに考えて―この時の人間の頭は、ちょうどあのガラガラがガラガラいって回転している状態にある。
頭の中に、無数の言葉や、感情や、考え方があって、これが複雑に入り乱れていて、まさにカオスそのものなのだが、そこからひとつ、玉が飛び出してくる。
無数の言葉や、感情や、考え方が、ギュッと凝縮されて、塊になったものが、手の平の上にポンと落ちてくる。そしてこの塊は、小さいとはいえ、驚くほど多くの要素が神憑り的な手法で練り込まれた塊なので、見た目は至ってシンプルながら、そこに含まれている情報量たるや莫大で、さらに恐ろしく密度が高く、その意味を紐解くのはほぼ不可能で、仮に紐解こうとすれば、塊に含まれている情報量の全てが瞬時にして頭に逆流して、たちまち混乱、迷宮入りしてえらい目に遭うのは分かりきっているから、大抵の人はあえて、この塊の意味を紐解こうとは思わないんだろうと思う。そもそも、勘や直感は分析するものではない。分析の果てに出てきたものをさらに分析してどうするんだという話だ。
人間の勘や直感って、ある種宝石のようなものだと思う。宝石のようなものだからこそ、魔力的なものを秘めているかのような魅力があって、「閃く」という言葉自体に、「キラッと光る」みたいなイメージがあるのは、そういうことなんだろうと思う。
でも、ま、宝石みたいなもんとはいえ、大概は、「6等です」って言われて、ティッシュペーパーと交換されて終わりなんやけどね。まさか、「いいえ!私はこの玉を持って帰ります!」とは言えんしね。