人間、感情に抑制が利かなくなったらどうなるのか―ということを日々考えさせられる職業を選んだ私は、その一方で、私を含めたそこらへんの人たちが、普段いかに感情を抑制し過ぎつつ生きているのか―ということを考えさせられている。そして、そんな、普段、感情を抑制し過ぎつつ生きている我々にとって、恋愛感情って、最後の砦だと思っている。
誰かのことが好きだ大好きだ!という感情さえ素直に表せないで、何が大人だ!何が人間だ!グダグダグダグダ複雑に偉そうなことを抜かし合っている暇があったら好きな人に好きと単純に言うてみせたらどないだ!と思う。
いつも誰かを恐れている。いつも何かを恐れている。そうして、好きな人に「好きだ!」と言うことさえできずにいる。
自分の人生は、自分こそが主人公のはずなのに、主人公の座を他人に譲って、ある種の「責任逃れ」を繰り返している。「自分は自分である」という責任から逃れよう逃れようとしている。
逃れられるかいアホンダラ!
世の中の人間の大半は、私に比べて随分と「大人」で、それは痛いくらい認めるが、世の中の人間の大半は、ある意味では、私に比べて随分と臆病である―ということについては、世の中の人間の大半が認めようとしないから困るであるが、当記事の「モンプチ・ローレライ」なるタイトルには、特にこれといって意味はない。
元気ですかー!
モンプチ・ローレライ・・・意味わからん。
ただ最近更新されてないから淋しいぞコノヤロー!
まあてめぇはてめぇのペースではきだしゃいいだけだから
たまにはしゃべれ!とは言うのはアレだが
たまにはしゃべれ。
そしてオレは毎日シャクレ!
そういうことだ!
ってどういうことだバカヤロー!
てめぇのような読者を抱えておきながら、今月に入って以降、ほぼ何も吐き出していない、寡黙だというのは、まことにもって心苦しいのだが、しょうがないよ。だって吐き出すべき言葉がな〜んにも浮かばんのだから。
でも、これはこれで非常に珍しい現象なんだから、これはこれで楽しんでくれ。
俺自身、わからんのだよ。なぜこんなにな〜んの言葉も浮かばんのか。