親父の名言

酒について
「高い酒は胃に悪い」
「酒飲めん人は人生の半分損してる」

インスタントラーメンについて
「一つの商品に何人の人間の生活がかかってると思う?美味いに決まってるやないか」

携帯電話について
「携帯電話みたいなもん持ってたかて絵ぇ上手ならへんからいらん」

サザンについて
「サザンオールスターズが売れてる。日本人の文化レベルはその程度」

死後について
「死んだ人間に興味はない」
「ま、ええやないか。どうせみんな死んだら仏さんやねんから」

宗教について
「仏壇なんか棄ててまえ」
「人の見てる前で拝んだり祈ったりするな」

高校野球について
「バント禁止にしたらどないや」

一憩について
「僕にはお前の親父やったという記憶が一切ない」
「お前の音楽にはメロディーがない」
「お前はアホやから人を助けられる」

女の人について
「女の人の天然ってええな。天然ってええと思うぞ」

味覚について
「京都料理?懐石料理?高いだけでマズい。王将行こや」

臆病について
「臆病なのは想像力があることの表れやから、悪いことではない」

革命について
「世の中を変えるのはホワイトカラーの人間でブルーカラーの人間やない。物事は内側から変えな。外から叫んでても何も変わらんよ」

音楽について
「メロディーや。メロディーが全てや」

笑いについて
「吉本(新喜劇)を忘れたらアカン。どんな時も、天秤の片方にはあの笑いを置いとかなアカン」

自分の葬儀について
「鼻と口に割り箸挟んでくれ。その上で、ベートーベンの「英雄」流してくれ」(←さすがにできなかった)

と、ざっと思い出してみただけでもズルズル出てくる親父の名言。

こんなものは、序の口である。


生粋の不良

親父は、私の友人たちと酒を交わすのが大好きだった。
親父が死んだことを、親父と特に仲良くしてくれた友人には知らせようと思って知らせたら、結局、私の友人全員だった。

昨日今日と、親父を偲んで、私の友人たちが続々と私に連絡をくれたり、会いに来てくれたりしている。

親父のことを変人呼ばわりする人が結構いる。皮肉なことに、親戚に限ってそうだったりする。が、親父には、私の友人たちを筆頭に、若い奴らとは分かり合える生粋の不良臭みたいなものがあって、みんなからかなり慕われていたんだということを、死んだ後、思いっきり思い知らされている。

親父は、親父自身と同じような年齢の大人が好きではなかった。むしろ、息子である私と同じような年齢の若い奴らの方が好きだった。

親父は、最期まで若かったし、不良だった。

老いる前に死によった。


喪に服さない

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▲最後の作品「自画像」(120×100)

8月7日、2時17分、絵描きの親父が死んだ。

末期の肺ガンで、癌は脳にも転移していた。

5月7日、抗がん剤投与や放射線治療を終えて退院。在宅看護ということになり、担当医によれば「もって2週間くらい」だったのだが、帰宅後、3ヶ月も生きて、担当医や看護婦を驚かせた。

最期まで煙草を手放さなかった。
最期まで酒を飲んだ。
最期まで笑いを忘れなかった。

葬儀は、親父の「坊主を入れるな」「宗教を入れるな」との意向により、直葬とした。

親父自身は無宗教だったが、私にしてみれば親父自身が教祖で、私はその信者だ。

絵描きではあるが、姿勢的には非常にロックな親父だったので、死んだからといって、しんみりするつもりは微塵もない。

私は親父の一人息子。親父のロックンロール・スピリットを、完璧に引き継いでやろうと思っている。

めちゃくちゃカッコよかったぜ、親父!!


冷淡Ⅱ

表現としては、喜怒哀楽のいずれか一つに大きく振れば、割と楽に人を感動させることができるように思う。特に「怒」と「哀」は便利で、これは、料理に例えれば「辛」と「甘」。腕がなくて多少失敗したとしてもどうにかこうにか誤魔化せる。しかしながら、偏りは偏り。不自然は不自然。

人間は時として感情的になる。喜怒哀楽のいずれか一つに大きく振れる。でも、それはきっと、あくまで表層的な揺らぎで、水面下は水面下、微動だにしない世界があって、そこに人間の存在の根本があるのではないかと思う。人間の根本的な立ち位置は、その時々の感情の波みたいなもんで揺らぐものではないように思う。

さて、いきなりではございますが、ここに1枚の折り紙がございます。折り紙は大概正方形でございます。
折り紙には4つの角と、2本の対角線がございまして、この2本の対角線が重なり合う点が折り紙の中心に当たります。私が最近、どういうわけだかよくイメージするのが折り紙。折り紙の4つの角が人間の喜怒哀楽だとすると、対角線の重なり合う点、中心が、誰しも見失いがちではあるけれども、人間の根本的な立ち位置なのではないか?ということ。

喜怒哀楽、それぞれの感情に対して均等な距離をとった点に、人間の存在の根があるのではないか?だとすると、本来人間って、私も含めて、多少のことでは揺るがない、相当に強い、冷淡な生き物なのかもしれないぞ!ってなことを最近、希望的観測を込めて、思ったり思わなかったりしております。


LENNOLUTION No.9

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*SHE LOVES YOU
*STRAWBERRY FIELDS FOREVER
*I’M ONLY SLEEPING
*ANY TIME AT ALL
*DEAR PRUDENCE
*HEY BULLDOG
*YOU CAN’T DO THAT
*LOVELY RITA
*IF I FELL
*I WANT YOU

私にとってのビートルズナンバーBEST10を考えてみた。

驚いた。

なんと10曲中9曲ー「LOVELY RITA」を除く9曲がレノンの曲だったのである。

私がここまでレノン寄りの人間だったとは。レノン寄りであることは自覚していたが、まさかここまでとは。

なんと不健全な…。


プーさん奮闘記~頭が抜けない②~

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私には動かした覚えが一切ないので、私の目を盗んで自発的に奮闘しているとしか思えない。

「押してダメなら引いてみろ」という言葉があるが、うちのプーさんの場合は引いてダメだったので押してみたようである。しかし、抜けないものは抜けない。

「で、こっからどうしよう…」尻が物語っている。