冷淡Ⅱ

表現としては、喜怒哀楽のいずれか一つに大きく振れば、割と楽に人を感動させることができるように思う。特に「怒」と「哀」は便利で、これは、料理に例えれば「辛」と「甘」。腕がなくて多少失敗したとしてもどうにかこうにか誤魔化せる。しかしながら、偏りは偏り。不自然は不自然。

人間は時として感情的になる。喜怒哀楽のいずれか一つに大きく振れる。でも、それはきっと、あくまで表層的な揺らぎで、水面下は水面下、微動だにしない世界があって、そこに人間の存在の根本があるのではないかと思う。人間の根本的な立ち位置は、その時々の感情の波みたいなもんで揺らぐものではないように思う。

さて、いきなりではございますが、ここに1枚の折り紙がございます。折り紙は大概正方形でございます。
折り紙には4つの角と、2本の対角線がございまして、この2本の対角線が重なり合う点が折り紙の中心に当たります。私が最近、どういうわけだかよくイメージするのが折り紙。折り紙の4つの角が人間の喜怒哀楽だとすると、対角線の重なり合う点、中心が、誰しも見失いがちではあるけれども、人間の根本的な立ち位置なのではないか?ということ。

喜怒哀楽、それぞれの感情に対して均等な距離をとった点に、人間の存在の根があるのではないか?だとすると、本来人間って、私も含めて、多少のことでは揺るがない、相当に強い、冷淡な生き物なのかもしれないぞ!ってなことを最近、希望的観測を込めて、思ったり思わなかったりしております。


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