記録〜小さな笑いを抱き締めて〜

医者A「頭の毛が抜けます。ま、数ヶ月でまた生えてきますけどね」

患者「(突然私の方を見て)え!?僕、こいつみたいになるんですか!?」

私「いやいやいや、僕、これ別に抜けたわけやあらへんから!」

一同「アハハハ!」

いつ、いかなる場所、状況に於いても、笑いの一つや二つは必ず転がっておるものでございますれば、人生、そんなに捨てたものでもございません。


グレープバイーン

と或る病院にて、いつ終わるとも知れない順番待ちをしていた。

目の前を颯爽と通り過ぎていくジャージ姿のオヤジのズボンにこんなプリントがしてあった。

『Don´t Stop!Don´t Start!』

一瞬、緊張の糸が切れて、バイーンってゆった。


ハグ

単純な言葉を単純に理解できたり、素直な言葉を素直に理解できたりすることが、「優しさ」の最たるものだと思う。

「優しさ」って、複雑に考えれば考えるほどに、言葉を盛れば盛るほどに、ゲスっぽくなる。

「優しさ」に妙な頭の良さはいらないし、「優しさ」について、妙に頭が良いというのは、とどのつまり、全っ然優しくないということだと思う。

アホンダラ!

な〜んにも考えずに抱き締めやがれ!


南野紅茶

俗人いわく、「死の反対は生である」しかしながら、私に言わせれば、「死の反対は恋である」なのである。

俗人の言葉と私の言葉を掛け合わせると、「生とはすなわち恋である」ということになるが、私はこの掛け合わせに微塵の異論もない。ズバリ、生とはすなわち恋でしょう。

じゃあ死は?死って何ぞや?

私が今閃いた言葉は「夢」である。「将来の」の後に続く「夢」じゃなくて、寝てる時に見る「夢」である。

死とはすなわち夢である―パッと閃いただけで、根拠もへったくれもないが、何となく、間違いではないような気もする。

「何言ってんだこの野郎は」とお思いでしょう。ま、無理もない。だって私自身、「何言ってんだ俺は」と思っておりますから。

生は恋です。
死は夢です。
したがって、恋の反対は夢です。

ちなみに、紅茶はあまり好きではありません。


希望への変革

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どうせ金かかるし、どうせ身体に悪いし、どうせやめられないのなら…と一念発起。煙草を、自分の本当に好きなものに変えることにした。

「ホープライトを1カートンください。」

長年想いを寄せていた女子に想いを打ち明けた瞬間に味わうやったった感のようなやったった感を噛み締めた。


くんろ飴

負ける気満々でパチンコ屋に行く奴なんていないだろう。どうせ行くのなら、勝って儲けた金の使い道をホクホク顔で考えつつ歩きたいものである。

病院は―治療するために行くものであって、死ぬために行くものではない。

死ぬこと前提であれば、病院に行くなどという妙な回り道などせず、直接葬儀屋に行けばよろしいが、葬儀屋に足を運んで、到着してしまっている時点で、生きておること丸出しなのだから、葬儀屋に「帰れ!」と言われても文句は言えない。

落ち着け。そう早急に死ぬこともなかろう。あなたは「順番待ち」というものを知らんのか。順番が来るまで、潔く、のんびり、時間の許す限り、生きてくんろ飴。


耀け臆病者

昔、「臆病って悪いことじゃない。人一倍想像力があるってことだ。」と親父が言ったのを覚えている。

臆病な人は優しい。臆病な人に限って優しい―と、私は思っている。でも、「自分は臆病だ。」という自覚ゆえに、「自分は臆病だ。」という自覚のない、分をわきまえようとしない、優しくない人よりも短命に終わる場合が多々あるとも思っている。

とあるボクサーは、「臆病な奴こそ強いんです。」とも言っていた。「だって、殴られたくないから殴るんです。」と。

中途半端な臆病者は手に負えないけれども、抜群の臆病者は…もしそんな奴がいたらの話だけれども…人間として、なかなかのものなんじゃないだろうか―と、たまに思う。


黒蛇の歌

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白と黒。
光と影。
水と血。
鳥と蛇。
説教と呪文。
天使と悪魔。

―どちらがよりエロいか。黒、影、血、蛇、呪文、悪魔…そりゃ後者に決まってるだろう。

私は今まで、それこそ数え切れないほどのロックアルバムを聴いてきたが、「エロさ」について言えば、後にも先にも、これを超えるアルバムに触れたことはない。

18の時、とある友人に「セックスする時にBGMにするとしたら?」と訊かれた時、私は、童貞丸出しの分際で迷わずこう答えた。

「ドアーズの『ハートに火をつけて』」

あれから17年経った今、もし同じ質問をされたとしても、私は迷わずこう答えると思う。

「ドアーズの『ハートに火をつけて』」

人生に絶望して、でもちょっとだけ希望らしきものが残っていて、しこたま酒を飲んで、泥酔して、酩酊して、これを聴いた日にゃ、誰だって若干の犯罪行為に走る可能性はあると思うし、それはドアーズの罪であって、彼や彼女や私の罪ではないと思う。


「愉快」はいらない

私は、「楽しけりゃいいんだ。」などと言って音楽をやったことなんて一度もない。同様に、「楽しけりゃいいんだ。」などと言って恋愛をしたこともない。

何故か?

要するに、「楽しけりゃいいんだ。」では、全っ然楽しくないからである。