今や「打てるものなら打ってみろ」とも思わない。私の球を打てるバッターなどいないに決まっているからである。私は、はなっからバッターなど相手にしていない。私とキャッチャーの間に邪魔者はいない。私はただ投げればよろしい。一球入魂。これでも喰らえ。心を込めて投げればよろしい。
最大の問題は、私の球を受けられるキャッチャーがいないということである。
今や「打てるものなら打ってみろ」とも思わない。私の球を打てるバッターなどいないに決まっているからである。私は、はなっからバッターなど相手にしていない。私とキャッチャーの間に邪魔者はいない。私はただ投げればよろしい。一球入魂。これでも喰らえ。心を込めて投げればよろしい。
最大の問題は、私の球を受けられるキャッチャーがいないということである。
毎月の給料から色々と差し引かれるように、「伝える」ということも、意志や情熱も、相手に届く頃には、色々と差し引かれている。だから、過剰でいい。
本当に伝えたいことは、過剰でいい。相手に伝わる頃には、色々と差し引かれて、ちょうどいい感じになっている。
ゆとりも、余裕もいらない。
ずっとギリギリでありたい。
私という人間は、戦意ありきだ。
正直、全っ然勝てないけれども、戦ってる間は、負けることもないから、ずっとギリギリでありたい。
歩く背水の陣でありたい。
何事も全力でやって、ようやく、人並みだと思っている。
結果がどうであれ、全力でやれたことについてはいちいち納得がいくけど、分不相応に省エネ的なやり方をした場合には、結果がどうであれ、いちいち納得がいかない。
毎回、自分の持っている最上のものを出し切って、毎回、これが最後だと思って、やる。
「明日があるさ」的な考え方は微塵も念頭にない。そんなことを思っておったのでは、勝てるものも勝てない。
見よ!藤川球児のストレートを。
何事も全力でやって、ようやく、人並みだと思っている。
いじけきることを、拗ねきることを、「腐る」とも言う。
腐りながらにして生きている人間―要するにゾンビだ。
若いゾンビはまだ見れるが、歳とったゾンビは見るに耐えない。
リアルか、リアルでないかの差だ。
いい歳をして腐ってるというのは、リアルで、笑うに笑えない。
ゾンビは、演じるものであって、なるものではない。
いい歳をした人間がゾンビを演じている。「演じている」と思っているのは当人だけで、周りの人間から言わせれば、彼(彼女)はただただ普通に、物理的に腐っている腐敗体でしかないのに、年老いたゾンビは、自分はゾンビを「演じている」と信じ込んで疑わない。
でも、ゾンビはゾンビで、腐っているものは腐っている。
先日の記事で、私の職場に手相を見ることのできる先輩がいるという話をしたが、その先輩がこの本を貸してくれた。
私は、手相みたいなもんはみんな同じようなもんだろうと思っていたのだが、これが大間違いで、人によって全然違うということを知って、一気に興味を持つようになった。しかも、左手の相に至っては、刻一刻変化し続けているというのだから、私に手相について色々と教えてくれる先輩が非常に面白い人だということも相まって、今や興味津々なのである。
さて、この本によると、私の左手に克明に刻まれている線は、「不思議ちゃん線」「ユーモア線」「早熟線」「神秘十字」「呼吸器注意線」の5つであった。
まず、「不思議ちゃん線」については、私が、これまでの人生に於いて、様々な人たちから「謎」の一言で片付けられてきたことを思えば無理もないし、また、知り合ってまだ半年しか経たない先輩が、「まんまやん」と言って太鼓判を押してくれはったから、まず間違いないんだろうと思う。そして、「ユーモア線」については、不思議ちゃんにユーモアがなかったらどうにもならん。ただの友達のいない寂しい人になってしまうから、これは死活問題として絶対に消えてもらっては困る線。それから、「早熟線」については、35にもなって早熟もへったくれもないだろうとは思ったのだが、もし、私の寿命がめちゃくちゃ長ければ話は俄然変わってくるわけで、でも、私は生命線がめちゃくちゃ短い上に、「呼吸器注意線」持ちでもあるので、やはり、ただただ悲しいだけの線であるかと思われる。
というわけで、私が気に入っている線は、「神秘十字」のみである。これは、左手のど真ん中に十字があるというもので、本によると、これがある人は、直観力にすぐれており、神聖なものや美しいものを人一倍感じとれて、平凡なことでは満足せずに、常に新しい夢や理想を追い求めて行動する―とある。
私は、シーチキンさえあれば飯が食えるし、神秘十字さえあれば生きていけるのである。
先日、当ブログを「面白い」と言って褒めてくださった職場の先輩が、「面白い」と言った後にこう付け加えはったのである。
「こんな奴がこの仕事してる思たら笑えてきたよ(笑)」
そう、私は、本当は、介護職って全っ然向いていないと思う。自分でも、常日頃そう思っている。 でも、私にも、この仕事をする上で、「売り」と呼べるものがあるとすれば、それはまさに、その「向いてない」ってことなんじゃないかと思っている。
正攻法では勝てない。向いている人にはどうあがいても勝てない。だから私は私なりに、向いていないがゆえにできるスタイルでもって、向いている人ばりに頑張って、職場に貢献していこうと思っている。
たまには真面目な文章を。