DJ気分で

梅雨…。

最近、感受性がさらに強くなったのか、気分が天気に大きく左右されて困っています。雨の日は気が滅入って仕方ありません。

僕のような人間が雨の日にどんな曲を聴くのか。これには二つのパターンがあると思います。一つは、突き抜けるようにカラッと明るい曲を聴いて、今日が雨の日であることを忘れる。もう一つは、雨を美しいものだと感じさせてくれるような曲を聴いて、今日が雨の日であることを受け入れる。僕は徹底的に後者です。言うなれば、いかに濡れないかを考えるのではなく、全裸で雨の中に駆け込んで「濡れる」という次元を飛び越えてしまおうという発想です。

では、僕が雨の日によく聴く非常に美しい曲をご紹介致しましょう。この曲のように雨はとても美しいものです…よね?

オアシスで「ドント・ゴー・アウェイ」。


ドレス

ある友人が音源制作という形で俺の曲をカバーしてくれた。全3曲。数ヶ月に渡って取り組んでくれた。

順次、最終調整段階のものを聴かせてもらった。声。ハーモニーが主体で、楽器の音は必要最低限に抑えてある。

ある曲にはユーモアの効いたモータウン的なアレンジが施され、またある曲はミステリアスな映画のオープニングテーマのような雰囲気を醸し出し、またある曲は夜、神戸の海辺のお洒落なバーで流れていそうなジャジーなスタイルに生まれ変わった。とてもじゃないが、ロックしか聴いてこなかった人間の作った曲とは思えない。

俺の曲が若い女の子だとすると、いきなり化粧を覚えたというか、これまで革ジャンしか着たことなかったのに突然ドレスを着て化けたというか、「髪の毛みたいなもんはゴムで束ねとったらええねん」言うてたのにゴム捨ててパーマ当てたというか…とにかく、見違えた。

俺の曲は俺の中から出てきたもの。「出てきた」んだから、俺自身ではない。だから、今回のように俺以外の人の手によって化ける、見違えるなんてことも当然ながら起こりうる。

見違えた俺の曲が見ず知らずの人たちに賞賛されて取り囲まれるようなことになったらどうしよう。図々しくも名乗り出るか?「ども、そいつの親です」と。革ジャンしか着せたことないくせに(笑)


Othello

今日は仕事が休みで、何か出てきそうな気がして、ギターを弾き始めたらものの数分で2曲分のアイデアが同時に出てきた。

1曲は「赤い雨」「雫」寄りの重い感じ。

1曲は「果物をてんこ盛った巨大なケーキ」「orange」寄りの軽い感じ。

要するに真逆。

2曲とも、早い段階で完成の報告ができると思う。

この写真を携帯の待ち受けにしたことが早くも功を奏したか?(笑)

っていうか、本当に、冗談抜きで、歳を重ねれば重ねるほど良い曲が書けるようになってきたように思う。

実感してる。


ビートれいしの時事タックル

2016年→3回。2017年→9回。2018年→4回。2019年→3回。2020年→?

ライブ。おそらく今年は一回やるかやらないかだと思う。基本的には、自分とお客さんの間にビニールシートがあるような状態ではやりたくないと思っている。いや、「やりたくない」ではなく、やりたいけど気分が乗り切らないというのが正直なところ。気分が「乗らない」わけじゃなくて、乗り「切らない」。理由は、この事態をどう解釈して良いのかがわからないから。噛んでも噛み切れず飲み込めない。ホルモン。

今日も報道番組で「新しいライブの形」と銘打って、演者の前にビニールシートがあって、お客さんが皆マスクを着用していて…という映像が流れていた。「これで本当に良いのか?」といった意味合いではなく、「ライブ文化は絶えず続いていく」という前向きなメッセージを感じさせるニュースだったのだが、残念ながら腑に落ちなかった。「コロナに負けるな」的な、コロナを闘いの対象にしたフレーズはあんまり好きじゃないんだけど、一進一退の状態を早々に見限って、白旗を掲げてしまうような感じはもっと好きじゃない。結果はどうあれ、もうちょい抗うべきなんじゃないか?「新しい」を口にするのは時期尚早なんじゃないか?と思う。

新しい生活様式。「共存」という言葉を使おうにも、コロナに明け渡してしまうものの大き過ぎる生活様式ってどうなんだろうと思う。それは本当に「生活」と呼べるものなんだろうか。「新しいライブの形」しかり、「新しい生活様式」しかり、「新しい」という言葉がどうも信用できない。闘う意識が強いと逃げるという行為が罪悪になってしまう。逃げようとしていることを覆い隠す為の言葉として「新しい」を持ってきているような気がしてならない。

ノエルが「ニューノーマルなんて要らない。ノーマルに戻るのを祈るばかりだよ」って言ってたけど、その通りだと思う。「新しい」は要らない。ただ、元に戻って欲しい。元に戻ろうとする過程としてビニールシートをぶら下げると言うのなら納得できるし、全然構わないんだけど、全く別の方向を向いてビニールシートをぶら下げるというのは違うような気がする。

焦る気持ちがわからないわけじゃない。わかるけど、焦って「新しい」なる白旗を掲げてしまうことが問題を改善させることだったり、突破口的なものの発見だったりを遅らせることに繋がるのではないか?という不安がこれまた噛んでも噛み切れず飲み込めない。


LIAM!LIAM!LIAM!

遂に到着!リアムの『MTVアンプラグド』!

見よ!Amazon予約限定特典のメガジャケ付きだ!

リリース早々、これもUKチャート1位になった。リアムはソロに転向してから発表した3枚のアルバムが全て1位。2018年、2019年、2020年と、一年に一枚のペースでナンバーワンアルバムを出してる。オアシス時代のアルバムも全作1位だったから、計11枚のアルバムがナンバーワン。凄い。

世界最強のロックンロール・スター!

世界最高のロックンロール・シンガー!

さあ、メガジャケ眺めながら聴き倒すぞ!で、今後の出方を考えよう!


ワサビ抜き寿司棘無し薔薇

先日、ある人が笑いながら「喋らんのが一番です」と言った。

言いたいことが言えない。窮屈だ。というのは子供の頃から思っていた。最近はそこに輪をかけて、やれパワハラだ、モラハラだと、○○ハラというのが我が物顔に幅を利かせてさらに窮屈な世の中になった。

「傷ついた」という言葉をよく聞く。どいつもこいつもすぐ傷つく。そんなんでよく今まで生きてこれたなと思う。これからどうやって生きていくんだ?と思う。繊細が聞いて呆れる。ただ弱いだけじゃないか。

何でもかんでも除菌だ抗菌だと言ってるうちに人は菌に対する抵抗力を失って弱くなった。同様に人は、あれは暴言だ、それは失言だ、あれは言ってはいけない、それも言ってはいけないと言っているうちに言葉に呑まれて、言葉を使うのではなく言葉に使われて、言葉の手の平の上でわちゃわちゃ喚き散らしながら踊る臆病な人形に成り下がってしまった。

何も言えない。

マスクをせずに歩いていると冷たい目が飛んでくる…という状況はいつか終わるだろうけど、見えないマスクをせずに生きていると白い目に晒されるという不条理は永遠に終わらないだろうと思う。


新曲

先日、完成の報告をした『PEARLS ON PIGS』だが、アレンジの変更に伴ってタイトルを『coming out!』とした。「豚に真珠」というフレーズを歌詞の中にそのままブチ込んだので、タイトルに持ってくる必要がなくなったからである。新しいタイトルの『coming out!』っていうのは、「俺はロックスターだ」と宣言することが、「俺は同性愛者だ」と告白することに負けないくらい気合のいることだという発想から来ている。

絶叫から始まる刺激的なパンクナンバーに仕上がった。ここまでアレンジが変わって原型をとどめていないとなると、もう完全に「新曲」だ。


『coming out!』

豚に真珠

面と向かって言えないことを
歌うロックンロール・スター
ということは言わずもがな
俺はロックンロール・スター

ゴミはゴミ
何をどう褒めればいいの?
嘘つきに
嘘をつく趣味はないよ

俺はロックスター

本音=暴言なら
歌うより他ない
負け犬気分が心外なら
歌うより他ない

役に立つ
泣き寝入りなど無いと知って
見境なく
出る杭を打つ手を砕いて

俺はロックスター
君のロックスター

捨てる神
選択肢を与えないで
拾う神
約束を一つ叶えて

俺はロックスター

面と向かって言えないことを
歌うロックスター
ということは言わずもがな
俺はロックスター

豚に真珠


シングアロング

新しい曲が完成した時の喜びというのは筆舌し難いものがある。まさに「天にも昇る心地」。なので、またまた『the answer song』についての話題である。

日本ではあまり馴染みのない言葉に「シングアロング」というのがある。これは、お客さんが一緒に歌えるような曲のことで、要するに大合唱が巻き起こるような曲のことである。例えば、オアシスは世界最強のシングアロング・バンドであって、オアシスのお客さんがライブ会場に何をしに行くのかというと、歌いに行くのである。世界広しと言えども歌わせてくれるバンドはなかなかいない。踊らせてくれるバンドは山程いても、歌わせてくれるバンドはいない。オアシスは世界最強の「歌わせてくれるバンド」だったのである。

今日、気付いたのは、『the answer song』がシングアロングになり得る曲だということ。以下のような掛け合いが俺とお客さんの間で巻き起こったら…想像するだけで楽しい。

お客さん 「I LOVE YOU」

俺 「合言葉は?」

お客さん 「I LOVE YOU」

俺 「聞き飽きたわ」

お客さん 「I LOVE YOU」

俺 「それしか言えないの?」

ね?めっちゃええ感じ。「それしか言えないの?」俺がちょっと人をおちょくったような感じで歌うと、笑い混じりのハッピーな歓声、拍手が起こる。歌詞の内容から言えば、お客さんが俺を演じて、俺が主人公の女性、最愛の人(=音楽)を演じる。素晴らしくない?これがライブじゃない?

いや、よ〜くわかってる。最初からそんなに上手くいくとは思ってない。お客さんにしてみれば歌うのって相当勇気の要ることだと思うし。でも、これを形にするために何をすべきか考えておくのは決して無駄なことではないと思う。何をすべきか…そう、とにかく、曲を覚えてもらわねば話にならない。

映像を撮ろうかな…検討中。


coming out!

新曲の中の「これまでとこれからの間で/私は私の道を」という一節が気に入っている。一見、なんの捻りもない馬鹿みたいなくだりなんだけど、個人的には、これほど捻りの効いた言葉遣いはないと思っている。

「これまで」があって、「これから」があって、「これまで」と「これから」の間に「今」があるとすれば、人生は引き返すということができないから、次に進むとすれば「これから」の一択…のような気もするけど、本当にそうなんだろうか。そんな風に考えるから、そんな風にしか考えられないから、人生、窮屈に感じるんじゃないのか?

今に対してあるのは過去と未来だけ。前と後だけ。人生というのは本当にそんなに直線的な、線路みたいなものなんだろうか。今、気合いで、「南無三!」とか何とか叫んで無茶苦茶なハンドルの切り方をすれば、意外と容易く綺麗に脱線。前にではなく、右や左にも進めるのではないだろうか…という意味合いを込めて「これまで」と「これから」の間に「私は私の道を」というフレーズを持ってきた。

今日、初めてギターを弾きながら歌ってみた。頭の中にあったものを外に出してみた。歌詞の見直しをする必要を一切感じないし、あとは歌い込むだけ。俺が個人的に良いと言い張るだけではなく、多くの人たちに良いと言ってもらえるであろう、素直で美しい曲に仕上がった。

次のライブ、いつになるかわからないけど、『WHY?』と『the answer song』を軸にした素晴らしい流れをご覧に入れたいと思う。

もう一歩も退かない。

この国に、俺より凄いソングライターなんていない。