最近の私は、分岐点に於いて、楽であろう方向ではなく、キツイであろう方向を好き好んで選ぶようになった。「闘い」のある方向を選ぶようになった。なぜなら、その方が、長い目で見た場合に、楽なんだということに気が付いたからだ。
これは明らかに、成長だと思う。
結果、やけ酒を飲まなくなった。そして、晩酌の味が、格別に美味くなった。
不味い酒を飲まなくなった。
最近の私は、分岐点に於いて、楽であろう方向ではなく、キツイであろう方向を好き好んで選ぶようになった。「闘い」のある方向を選ぶようになった。なぜなら、その方が、長い目で見た場合に、楽なんだということに気が付いたからだ。
これは明らかに、成長だと思う。
結果、やけ酒を飲まなくなった。そして、晩酌の味が、格別に美味くなった。
不味い酒を飲まなくなった。
私は、オリジナルを40曲所有している―ということを数年前から言っている。ということはつまり、そう、私は40曲以上は所有しないことにしているのである。
新曲を1曲書いたら、1曲をボツにし、新曲を2曲書いたら、2曲をボツにするという熾烈な生存競争の中で生き残った精鋭40曲のみを所有することにしているのである。
私は、自分がやる分にも他人のものを聴く分にも「捨て曲」というものが許せない。
アルバムというものは、シングルカットできる曲が隙なくずらっと並んでいるのが当たり前で、CDが、実際よりも重く感じるようでないと駄目だと思っているし、シングルは、タイトル曲を食いかねないような曲がB面曲として2、3曲入っているのが当然で、「B面曲」などという呼び方自体がそもそもおかしいと思っている。だから、「カラオケウ゛ァージョン」なんてのは、ただの詐欺だと思っている。
私は、私が所有している40曲の内、3分の2は「名曲」と呼べるもので、あとの3分の1は、名曲ではないかもしれないが、「めっちゃいい曲」と呼んで差し支えないものだと思っている。そのくらい、一曲一曲心血を注いで作ってきたし、時間をかけて熟成させてきた。
40曲―アルバム2枚分の曲と、それぞれのシングルに添える曲が、手元に揃っている。
誰も言ってくれないので、この場を借りて自分で言うが、私は凄いソングライターだ。冷静に、謙虚に、分析を繰り返してきたにも関わらず、一度も「負けた」と思ったことがないんだから。
笑いたきゃ笑えばよろしいが、私の評価が一向に上向かないのは、凄いのが突然目の前に現れた時に、どいつもこいつも口を揃えて「そんなはずはない」と言って、はなっから理解しようとしないからだろうと思う。もしくは、単に感受性に乏しいか。
とにかく、私が、今現在、意識しているソングライターなんて、世界中見渡しても、ポール・マッカートニーとノエル・ギャラガーくらいのもんだ。
私は死ぬまで持ち上がらないんだろうか。私が持ち上がらないことによって損をするのは誰か―少なくとも、私ではない。私はもう、他人からの評価を求めないし、そんなもの、はなっから期待しない。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
昨夜観たDVDの中で、ノエルが言っていた。「俺は俺のために曲を書くんだ」
私もこれからは、自分のための音楽を大事にしようと思った。
「知る」というのは、自分外から自分内へ何かを取り込むことを言うのだから、言い様によっては、「異物混入」なんじゃないか?と思う。一方、「気付く」というのは、外からの刺激によって、元々自分の中にあったものが覚醒することをいうんだろうから、これは、本当の意味での「成長」なんじゃないか?と思う。
プロ野球を見ていても、金にものを言わせた「補強」一辺倒のチームよりも、地道に育て上げた生え抜きを中軸に据えているチームの方が、根の部分で揺らぎがなく、安定感があり、強い感じがする。
人生は、自分を見限るか見限らないかということなんじゃないだろうか。
自分を見限ったら、見限った時点で、外から何かを取り込もうとするだろうし、見限らなければ、自分の中にあるはずのものをあるはずだと信じて、覚醒させて、我がの人生の中軸に据えるだろうし。
そもそも、自分に見限られた自分が、自分を見限った自分のために100%の能力を発揮しようとするものだろうか。
どうでもいいとしか思えないくだらない「こだわり」の数々に凝り固まっていて、そんな自分に酔い痴れていて、周りに散々気を使わせておきながら、そのことによって悦に入っているような野郎はまさに人間のクズで、浮浪者の吐くゲロ以下の存在だと思う。
人間、譲れないこだわりなんてのは、大きいのが一つ二つ、普段は他人の目に触れない形であればそれで良いんであって、やれ声高に「僕はこれがこうじゃなきゃ嫌なんだ」だの、「あれはああじゃなきゃ、僕はあれをあれだとは認めないよ。そうそうそう、あ、今5ミリずれた」ってうるさいよ!物理的に腐ったオカマ野郎が!
存在そのものが臭い。迷惑だ。だから、死んでも誰一人困りゃしない。
とっとと死んでくれ。「男」という、健気極まる生き物の名誉の為に。
最近の私は、8時間30分睡眠を厳守していて、寝る前には、短い時間ではあるが、じっくりと音楽を聴き(最近のヘビーローテーションはノエル兄貴のソロアルバム)、酒を飲み、そして、一袋のチョコレートを食うようにしている。
この習慣が功を奏して、楽しい夢ばかり見るようになった。
昨日も、一昨日も、同じ人が夢に出てきて、チョコレートよりも甘い感覚を残していってくれた。
私の、今の職場の上司は女性で、ものすごく魅力的な「人格者」である。
厳しさの中に優しさがあり、優しさの中に厳しさがあって、そして、常に笑顔を絶やさず、温かく、冷静に、現場の雰囲気を見つめていて、多忙極まる中、部下への声かけや気配りを忘れない凄い人。
この人の部下でいられるって、本当に幸せなことだ―って俺、毎日思って、神様だかなんだか知らんが、とにかく、何者かに対して、猛烈に感謝している。
ある種、「ようやく辿り着けた」と思っている。
頑張ることの意味が明確にあるって、幸せなことだ。本当に幸せなことだ。
人格者のもとで働けるということの喜びとプライドでもって、明日も元気に声張って、頑張っていきまっしょい!
以下に、昨今の実感を記す。
フラットな思考は、十分な睡眠に宿る。
ポジティウ゛な思考は、十二分な睡眠に宿る。
睡眠時間を充足させればさせるほど、良い夢を見る確率が上がり、悪い夢を見る確率が下がる。
良い夢から始まる一日。良い夢の続きのような一日を地道に積み重ねていけば、人生、悪いようにはならんような気がする。
睡眠は人生の鍵だ
犯罪でも何でもない事柄について、周りが、勝手な倫理観、正義観に基づいて、「それはアカンやろ」と言ってきたところで、そんなもの、気にするこたあないよ。
個のないくだらない人間は、くだらない生き方をして、くだらない死に方をする―ということの真偽など、いちいち確認しなくてもよろしい。ただ、そう信じて、生きていけばよろしい。
っていうか、そんな無駄なことを考えているヒマがあったら、一つでも多く、恋をせよ。
え?何事も「量より質」なんじゃねえのかって?
馬鹿野郎!量を知らん人間に質がわかるか!