映像裏話⑩WHY?

これは「映像裏話」ではなく「楽曲裏話」だ。

27歳の時だったと思う。『モナリザ』という曲を書いた。歌い出しの詩はこう。

「モナリザを気取るしか能がない僕の女神/この上なく美しくて無慈悲」

女神とは音楽のことで、当時俺の中にあった「救ってくれないじゃないか」という憤りが噴出していた。と同時に、音楽がないと生きていけないといった意味合いの言葉や、救われたいがために救おうとする姿も散見されて、まさに「愛憎」なのだが、曲の後半には愛憎混ざり合った「血も涙もない君の力を信じている」というフレーズがあって、最終的には、音楽が俺を救えないのは、音楽が本来持っていた力を思い出せなくなってしまっているから…という内容だった。

『モナリザ』の詩の中には、『WHY?』の詩と共通する箇所がいくつかある。その最たるものが、「弄ばれることに慣れた君の前で偽りの無い愛が空回りする」であり、「手助けを受け入れず」というフレーズも『WHY?』に直結している。意識したわけじゃないから、気付いた時は驚いた。

あの時も、音楽が駄目になっていくのを痛切に感じていた。でも、まだ女神だった。本来持っていた魔法のような力を思い出せずにいるけど、思い出しさえすれば…という一縷の望みがあった。その望みが『WHY?』にはなく、かつての女神は生身の女性と化してしまった。彼女への想いは変わらないし、だからこそ救いたい気持ちでいっぱいだけど、今はもう、それが自分を救うことに繋がるとは思えず、「側にいてくれ」と歌うのが精一杯だった。


映像裏話⑨赤い雨

10曲中最も俺らしく、最もUK色の強い曲。

このメロディーが浮かんだ時は本当に嬉しかった。「出たあ!」と一人、スタジオで飛び跳ねた。元々、得意とする曲調なのだが、過去にこの曲ほど俺自身の心の琴線に触れたものはない。

普通なら「片想いは続く」の所に持ってくるべき主題、「赤い雨」というフレーズを、「片想いは続く」の前のさりげなく奇妙なメロディー、アクセントとなる箇所に持ってきているあたりが腕の見せ所。ゆったりとした曲の中にあってここだけ早口。スピード感があり、曲全体にスパイスを効かせていると思う。

詩の中に親父が登場するのは『道化師の息子』『FLOWERS IN THE DIRT』以来、三度目。親父は画家で、俺は音楽家で、やってることこそ違うけど、芸術を通して、芸術の向こう側にいる同じ一人の女性を追い求めているといった内容になっている。

俺自身の曲に対する評価とリスナーの曲に対する評価が一致、噛み合ったように感じた初めての曲である。


映像裏話⑧雫

曲ができた時、まるで他人事のように思うことがある。

これ、何ですか?と。

しばらくして意味を考え始める。作っている時は「作っている」という意識すらないから、意味が後付けになる。

歌うたびに想いが変わる。ある時は物言わぬ人たちへの憤り。またある時は物言えぬ人たちへの激励。亡くなった人たちが「物言わぬ」のか「物言えぬ」のかは知らない。

黒でもなく白でもない。熱くもなく冷たくもない。上でもなく下でもない。何一つはっきりさせぬまま進行し、高揚させていく。この技法を教えてくれたのはジョンレノンだった。

音楽を聴いてきた人の胸には名曲として響くだろうと思うし、そうあることを願うが、音楽を聞いてきた人の耳にはただひたすらに「?」だろうと思う。

赤と黒。曲にマッチしていて、素晴らしい映像だと思う。またこのお店で演りたいし、撮りたいと思うのだが、残念ながら、二度とできない。なぜなら、もう、このお店は存在しないからである。


映像裏話⑦orange

実はめちゃくちゃ気に入っている曲。お気に入りの曲を10曲選べと言われたら間違いなく入る。

スタジオに入ると、ライブで演る予定があってもなくても、この曲だけは絶対歌う。目の前に大勢のお客さんがいると想定して、ポールマッカートニーのリズムの取り方で、小刻みにお客さんに頭を下げたりなんかして歌う。

自分が書いた曲で、歌ってて楽しい曲ってあんまりない。「楽しい」以外の感情が湧くことはあっても、「楽しい」と感じることはあんまりない。でも、この曲は別で、何度歌っても楽しい。ライブで演ると、会場の雰囲気がパカっと明るくなって、それがまた嬉しいし楽しい。

以前、なぜ「orange」なのかということについて書いた。その時は「思春期の恋の色」と書いたのだが、実はもう一つの意味がある。それがこれ⬇︎このアンプが好きで、これをイメージして作った曲でもあるから「orange」なのである。思えば、制作過程からして、遊び心に溢れていて、楽しかったのである。

遊び心は映像にも表れている。まず、これは以前にも書いたが、あえて画像編集に失敗したものを使ったということ。冒頭の「orange」の文字が右にずれてはみ出しているが、これは意図してこうなったんじゃなくてただの失敗。失敗ではあるけど、きれいに中央に寄せるよりオシャレだと思って修正しなかった。それから、映像全体に、一生使わないだろうと思っていたフィルターをかけてある。「印刷物の質感」とでも言おうか、キメの粗い、コミカルな感じのフィルターをかけてある。

他にも、いつもなら左腕に巻くブレスレットを右腕に巻いてみたり、ギターで隠れて見えないけど「KILLER TRACK」(「めっちゃええ曲」みたいな意味だろう)とプリントされたTシャツを着ていたり、さりげなく遊び心を盛り込んだ楽曲、映像となっている。


映像裏話⑥グラサージュ

何をやってもうまくいかず、その都度、待ってましたとばかり馬鹿にされて、生きた心地がするのは発泡酒片手に商店街を行ったり来たりしている時だけ…そんな、あの時の自分に投げ掛けてやりたい言葉が「誰が何と言おうが俺は君のことが好き」だった。

「あの人はもうあの日のことを何一つ覚えちゃいないよ」

加害者は忘れる。

「あの人」は『口車に乗って』という曲の中に「君」として再登場する。

「君はもう忘れただろう。その偽造した過去以外は」

もし、あなたの周りにも物忘れの酷い「あの人」がいて、あなたを馬鹿にしては喜び、あなたを苦しめているようなら、耐え忍ぶことに慣れちゃいけない。なりふり構わず、犠牲を厭わず、逃げて生き延びてくれ。

頼むから無駄に自分を責めるな。それこそ「あの人」の思うツボじゃないか。

大丈夫。

誰が何と言おうが俺は君のことが好きだ!


映像裏話⑤ハングリーマン(恋の尊厳死)〜未来へ

「爆弾」と聞いて、重いものを想像するだろうか、軽いものを想像するだろうか。

ロックって、外交的な人より内向的な人の方が向いていると思う。そして、明るい人より暗い人、暗い人より重い人の方が向いていると思う。

俺、基本的に声のデカい人が苦手だ。そして、声のデカい人にロックは向かないと思う。ロックやってる人で、才能ある人は皆、ボソボソ喋る。驚くほどおとなしい。だから、ロックやってる人って、どこかお笑い芸人に似ていると思う。爆弾は、自分で自分を抑制する癖のある人の中にある。

ところで皆さんは、ロックには、目には見えないが女神が存在するのをご存知だろうか。そして、その女神に突然後ろから抱き締められた場合、人がどんなことになるのかをご存知だろうか。

この映像を観ればわかる。「未来へ」のラストに抱き締められた人間の奇妙な姿がある。

爆弾に点火する時、ライターやマッチを必要としない…それがロックの女神である。


映像裏話④SURFBLUE

水のイメージにしっくりくる歌い出しのコードを見つけたら、見つけた時点で既に一曲丸ごとできていたというマジック。生みの苦しみみたいなものをまるで感じなかった。

昔、親父が「天才というのは頭の中にあるイメージを一瞬で指先に持ってこれる人間のことや」って言ってた。

何が言いたいかわかる?(笑)

それはさて置き、個人的にはこの曲ってオアシスっぽいと思っている。例えば、「笑ったのか/泣いたのか」の部分のメロディーにはノエル節のようなものを感じる。曲が出来たらすぐに映像を撮ったのだが、あえて自宅で撮ることにしたのは、おそらく、無意識にではあるけど、オアシスのポスターを映り込ませたいと考えたからだと思う。曲に合うだろうと。

初めて人前で歌った時のことを覚えている。伊丹DABADAのオープンマイクの日だった。歌い終えて、聞こえてきた拍手の中に驚きがあるのを感じて、これはいけると思った。


映像裏話③紙吹雪舞う

19才の時、初めて彼女ができたのだが、僅か1年半で別れた。初めて味わう失恋の痛手は、最初、さほどでもなかったのだが、日を追うごとに耐え難いものになり、結構泣いた。が、それとは別にソングライターの性(さが)というものがあって、痛みをどこかで「おいしい」と思っている自分がいて、21歳の時、彼女と、彼女と過ごした日々とを想いながら二つの曲を書いた。

1曲は「ドライフラワー」といい、もう1曲は「夢の結晶」といった。「ドライフラワー」はその後、本格的にバンド活動を始めるや最も人気のある曲となり、ライブに欠かせない存在となって、現在でも演奏する主要な曲となったが、「夢の結晶」は2017年に歌詞を丸ごと書き換えて「紙吹雪舞う」として生まれ変わるまでの間、俺の中に存在するだけで、ライブはおろかスタジオですら演奏したことはなかった。初めてライブで歌った時、俺は40歳になっていた。

以降、ライブで歌う頻度は「ドライフラワー」を超え、多くの人から評価してもらえるようになった。例えば、海賊ライチのDr.Fは特に好きな曲の一つとしてこの曲を挙げ、バニーマツモロ氏からは「綺麗な物語が路地裏で語られている」というフレーズが素晴らしいと賛辞を受けた。

映像は…これは、「夢の結晶」が「紙吹雪舞う」になるまでの19年間居続けた場所がこんな感じだったんだろうなと思う。俺の中にこんな海底のような場所があって、外から光が差し込んだり、途絶えたり、揺らいだりしてたんだろうなと思う。


映像裏話②FLOWERS IN THE DIRT

ソロで活動を再開し、ライブバーに出入りするようになってまず驚いたのは、他演者達のダサさであった。どいつもこいつも四畳半フォークとサザンしか知らないように思え、その絶望的な勉強不足に怒りすら覚えた。

彼らのスタイルは「弾き語り」と呼ばれており、一人でギターを弾きながら歌う者は皆、その範疇に組み込まれるらしかったが、俺としてはそれだけは死んでも嫌だったので、UKロック好きを前面に押し出すことで拒絶、差別化を図った。その象徴が「バタフライ」に引き続き、この映像でも登場するユニオンジャックだったのである。

使用しているギターはスタジオで借りた古いヤマハのギター。音が気に入って使用したのだが、ストラップが救い難くダサかった。必死にはずそうと試みたのだが、ヘッドの所にガチガチにだんご結びしてあってはずれない。隠そうとしても演奏しているうちに出てきて画面に映り込んでしまう。そこで思い付いたのが映像の照度を強くすることだった。年配の女優が照明でシワを隠す、あの要領で画面上からストラップを「漂白」してしまうことにしたのである。それが結果的に、映像のレトロ感を強めることに繋がった。

個人的にはギターの弾き方が気に入っている。小ぶりなギターである上に、弦を思いっ切り叩かないと音が出なかったからだろう。いつもの弾き方に輪をかけて「弾き語り」の人達には真似の出来ないロックな弾き方になっている。


映像裏話①バタフライ

ライブができなくなって、俺と同じような立場にあるアーティスト達が挙って動画配信し始めた。良いことだと思う。なぜ良いことだと思うのかと言うと、単純に俺がミュージックビデオを観るのが好きだから。昔から、好きなアーティストについてはCDだけではなくビデオやDVDも買ってきたし、今でも、映画はほとんど観ないけど、ミュージックビデオはしょっちゅう観る。だから最近、Facebook等で身近なアーティスト達が動画をアップするたびに「お!」と思って喜んで観ている。一見、ただ撮っただけのように見えるし、本人も「ただ撮っただけです」みたいなことを言ってるけど、自撮りだけに、アングルとか背景とかにその人の美意識が滲み出ていて面白い。で、色々なアーティストの映像を観ているうちに、俺も自分が今配信している10本の映像について書きたくなってきた。ライブができない今、動画の持つ意味って馬鹿にできないと思うし、それぞれの映像に裏話的なものがあるから、それを書くことで、日頃放置しがちな映像に光を当ててみようと思う。

古いものから順に書いていく。なので、「バタフライ」から。


中3の時、同じクラスにビートルズ馬鹿の友人がいて、毎日のように彼の家に入り浸っていた。彼の部屋の壁には、ビートルズのポスターと一緒にユニオンジャックの大きな布が掛けてあり、俺はいつも「カッコええなあ…」と漏らしていた。

彼は大学を出るとお金を貯めて、長年の夢を叶えた。単身イギリスへ渡り、ビートルズの故郷リヴァプールを旅したのである。帰国後、旅の報告をしに来た彼は、リヴァプールで買ってきた俺へのお土産を携えており、「昔から欲しい言うてたやろ?」と言って、一枚の大きな布をくれた。その布が映像の背景に掛かっているユニオンジャック。リヴァプールから海を渡ってやって来た「本物」のユニオンジャックを、記念すべき初映像を撮るに当たってスタジオに持ち込んだのである。

一見して俺がUKロック好きであることがわかることから名刺代わりとしても機能してきた、お気に入りの映像である。