共感〜某アルバムのライナーから抜粋

つるんとキレイにまとまった自称ロックンロールを聴くくらいならば、破綻していても、支離滅裂でも、そこに生の息吹が宿っている音楽が聴きたい。ギリギリの生命感が、これを作らなければ死んでしまう的な焦燥感が、そしてサックリと生きられないからこそ音楽を作らねばならぬという衝動が、透けて見えるロックンロールが今のこの時代だからこそ、必要だ。いや、いつの時代でも「ロックンロール」は常に、そうあり続けるべきものだったりする。―妹沢奈美


見える見えない

「笑いにレベルなんてない。好き嫌いの問題だ」という考え方に、松本人志は真っ向から反対している。「絶対的にレベルの差はある。本物は本物。偽物は偽物や」また、鑑定士の中島誠之助は、声を震わせて、穏やかに怒っている。「もう少しちゃんと勉強してください」素人が骨董に手を出して、ガラクタを名品だと言い、名品をガラクタだと言い、ヘラヘラヘラヘラ笑っている。

レベルの差をないことにしてしまえば、比較されることもなくなるわけで、ガラクタを名品だと信じることができれば、それはそれは幸せなことで。でも、「目」を持っている人からすれば、死ぬほど歯痒いでしょうね。

見えないと騙される。でも、騙されていることに気付かなければ、結構快適に生きていけるんじゃないでしょうか。一方、見えたら見えたで、騙されることはなくても、相当孤独でしょう。

見える。見えない。

確か、北野武監督の『座頭市』のラストシーンは、座頭市は実は目が見えるというオチで、見えるんだけど石か何かにつまずいて、その拍子にこんな台詞が添えられる。「でも、な〜んにも見えねえんだよな」


根元から折れたもの

私は一切料理ができない。冗談抜きで、インスタントラーメンしか作れない。が、そんな私でも、大阪にいた頃に一度だけ、意を決して料理を覚えようとしたことがあった。

近所の書店へ行き、「初めての料理」という本を手に取って、何気なく開いたページに軽く目を通すやいなや、イラッ!ときて、一瞬にして料理を覚えようとする気力を消失してしまった。

砂糖少々。みりん少々。醤油少々。胡椒少々…だから、ね、初めてだと言ってるだろう。俺は、料理が初めてだと言っている。初めてだから「初めての料理」を手に取ったのに、初めての人間に「少々」はないだろう。お前にとっての「少々」が俺にとっての「少々」とは限らんだろう。だから、具体的な量を書いてくれ。「少々」がわかるくらいなら今頃、オムレツ的なものくらい作れてるっちゅうねん!と怒りを通り越して悲哀。涙ながらに書店を飛び出して帰宅したのである。

帰宅後、それでもなんとか気を取り直して、私に「料理くらい覚えたら?」と完全にナメ切った口調で言った家人に頭を下げて教えを乞いながら、何でもいいから何か一品拵えてみようと思ったのだが、家人の教え方があまりに横柄で、たまに「馬鹿じゃないの?」的にあからさまに鼻で笑うなどしよったので、私は今後一切、死ぬまで、料理の「り」の一字たりとも覚えてやらん!と、固く心に誓ったのであった。

料理のできない私を恨むのなら、その前にあの馬鹿な本と、あの失礼な家人と、「少々」を少なからず呪え。


心の独裁者

要するに、人生34年目にして、大規模な自己改革に乗り出したわけです。

33年間、私は、自分の感情を圧し殺して生きてきた。特に、怒りの感情を圧し殺して生きてきた。実際、私は口癖のように「俺、怒りの感情死んでるからね」と言ってきた。

と言っても、最近の私しか知らない人には信じてもらえないと思う。でも、じゃ一度、私の旧友たちに訊いてみるといい。私の旧友たち誰一人として、私が声を荒げて怒っているところなんて見たことがないと思う。あるいは、まだ消去せずに残してある旧ブログ『イッケイノウタ』を読んでいただければわかると思う。全1058本の文章の中に、怒りを露骨な形で吐き出しているものが何本見つかるか。見つかったとしても5、6本だと思う。

先日の大阪市長選の、橋本徹の勝利というのは、ハッキリとした物言いの勝利だったと思う。政治家特有の、焦点をぼかす、回りくどい曖昧な言葉を完全に排除して、選挙戦を戦っていた。
私は、梅田のヨドバシカメラ横で、偶然、徹の演説を聞くことができたのだが、それはそれはハッキリとした物言いで、政治の全くわからない私にもよくわかる、胸躍る内容のものだった。
平松邦夫と橋本徹。どちらが「大人」に見えたかというと、これはもう完全に邦夫だったと思う。でも、市民と「改革」が、大人ではなく子供を選んだ。大人のズル賢さや計算高さではなく、子供の爆発力に賭けた。そういうことなんだと思う。

例えがめちゃくちゃだが、私は今、まさに傾いた大阪なのである。そして、大規模な改革を迫られて、私の中の邦夫と徹が名乗りをあげて、邦夫は現状維持を主張して、徹は改革を主張して、私の中の市民、全細胞が選んだのが徹だったのである。

もはや、ちんたらしておる場合ではない。フライング気味にじゃんじゃん手を打って、33年間で蓄積した汚泥を片っ端から除去していかねばならんのである。強行、強行、強行である。

私は、私の中の独裁者に、全てを託したのであります。


ロマンチックを抱きしめて2

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私は、基本的に、物事を斜めから見るタイプの人間なんですけどね。でも、どうにもこうにも、生理的に好きなんですよ、イベント的なことが。

夏の盆踊りでしょ。それから、それから、冬のクリスマス。

くぅぅぅぅ…。

写真は、今日の、NU茶屋町前のイルミネーションツリーです。

「綺麗やなあ」って思うんです。アホほど素直に、綺麗やなあって思うんです。思えるんです。


裸のランチ

調子の良い時だけ書き込んでる、オカマ的かつ健康的なブログなんて読む意味ねえだろう。

「カッコ悪い自分は見せたくないから」だ?お前がいつカッコ良かったんだ?

調子のいい時に優しくなれるのは当たり前だ。だから、調子の悪い時に何をどう書けるかというのが、ブログやる人間の腕の見せどころだろう。ぬるいこと言ってんじゃねえよ。
俺は書くよ。喜怒哀楽、出来る限り赤裸々に。

正解?不正解?そんなもんどうでもいいよ!正解である必要を感じないし、だいたい誰が正解不正解を決めるんだ?で、そいつが決めた正解不正解は正解なのか? それが、その判断が一番怪しいだろう。

昔、『イッケイノウタ』時代にも書いたけれども、私より11歳上のシンガーソングライターが書いた歌詞

♪調子いい時だけ優しい気持ち…

名言だと思う。これをわかってない奴が吐いて捨てるほどいる。

調子いい時は、人間、そりゃ、何とでも言えるって。でも、そこに技術はいらないって。


逢える魔術師

まず、針に糸を通すかのような緻密にして的確なヴィジョンが閃く。それから、焦点をちょっとずらす。絶妙にちょ〜っとだけずらす。意味合いをちょっと壊す。絶妙にちょ〜っとだけ壊す。

この「ちょっと」や「ちょ〜っと」が、我々の耳に届く頃には「ちょっと」や「ちょ〜っと」ではなくなっていて、さらに頭に届くころには、胃の中でカプセル型の薬がパアーンと炸裂するみたいなことになって、ドーン!と爆発的な笑いが起こる。
ドーン!の前に0.01秒くらいの沈黙があって、これが「緊張」で、その後に「緩和」がドーン!と来て、要するに「緊張と緩和」という笑いの基本と呼ばれる形にはしっかり乗っ取っていながらも、後味としては、基本臭が微塵も残らず、大きな斬新味だけが残るんだから凄い。

「ど、どうも。お、お初にお目にかかります。わ、和田一憩と申します」

「あ、どうも。松本です」

今、心から逢ってみたい人。言葉の魔術師―松本人志。


物理的に重い

リュックに詰めた辞書がめちゃくちゃ重いのである。私は今、「チョロQの後ろに10円玉を差し込んだ人」みたいな歩き方になってしまっているのである。前傾姿勢にならないと、ウイリーしそうな勢いである。しかし、ふと思ったのだが、これは、この重みは、言葉の重みなのである。

言葉で人を殴れるか?殴れます。殴れるどころか殺せます。でも、基本的に、使い方を間違えてます。


その男、(頭だけ)多忙につき

今日はこれから、リュックに英和辞典と和英辞典を詰めて、ティムのアパートへ行って、ティム自画自賛の曲に乗せる詞を作るのを手伝う。まさに「手伝う」という感じで、大きなお世話にならないように気をつけようと思っている。

明日は明日で一日、部屋に閉じ籠って、小松が持ってきた曲に乗せる詞を考えるとともに、昔剣吾くんが書いた曲の詞を改良しながら、さらに時間があれば、私自身の新曲の詞も考えてみようと思っている。実際は「考える」というよりも、「閃くのをじっと待つ」と言った方が正しいんだけれども。

言葉、言葉、言葉。私はこう見えて結構多忙なのである。一見、怠惰な生活を送っているようにしか見えないかもしれないし、実際、そういう見方に対して声を大にして反論できるのかというと、できないんだけれども、しかし、頭の中は極めて多忙。言葉、言葉、言葉なのである。

日々、「言葉」という言葉を考え過ぎて「言葉って何やったっけ?」なのである。

アカンがな。


謎のメカニズム

20歳、24歳、そして、34歳。これは全て、私が本腰を入れてバンド活動を開始した時の年齢である。

20歳の時には、雑誌のメンバー募集を通じて知り合った神戸の某バンドに加入し、24歳の時には、剣吾くんと知り合ってアルファベッツを始動させ、そして今、34歳で立ち上げたのが蝶―バタフライである。

20歳、24歳、そして、34歳。これは全て、私がその時付き合っていた女の人に別れを切り出した時の年齢である。中には、完全に、何の前触れもなく切り出した別れもあった。そして、今にして思えば、これは全て、その時々のバンドが動き出す直前の出来事だった。

私の中に、私自身把握できていない不可解なメカニズムが潜んでいるらしい。