根元から折れたもの

私は一切料理ができない。冗談抜きで、インスタントラーメンしか作れない。が、そんな私でも、大阪にいた頃に一度だけ、意を決して料理を覚えようとしたことがあった。

近所の書店へ行き、「初めての料理」という本を手に取って、何気なく開いたページに軽く目を通すやいなや、イラッ!ときて、一瞬にして料理を覚えようとする気力を消失してしまった。

砂糖少々。みりん少々。醤油少々。胡椒少々…だから、ね、初めてだと言ってるだろう。俺は、料理が初めてだと言っている。初めてだから「初めての料理」を手に取ったのに、初めての人間に「少々」はないだろう。お前にとっての「少々」が俺にとっての「少々」とは限らんだろう。だから、具体的な量を書いてくれ。「少々」がわかるくらいなら今頃、オムレツ的なものくらい作れてるっちゅうねん!と怒りを通り越して悲哀。涙ながらに書店を飛び出して帰宅したのである。

帰宅後、それでもなんとか気を取り直して、私に「料理くらい覚えたら?」と完全にナメ切った口調で言った家人に頭を下げて教えを乞いながら、何でもいいから何か一品拵えてみようと思ったのだが、家人の教え方があまりに横柄で、たまに「馬鹿じゃないの?」的にあからさまに鼻で笑うなどしよったので、私は今後一切、死ぬまで、料理の「り」の一字たりとも覚えてやらん!と、固く心に誓ったのであった。

料理のできない私を恨むのなら、その前にあの馬鹿な本と、あの失礼な家人と、「少々」を少なからず呪え。


1件のコメント

  1. 仕事場で、私の言葉を悪意たっぷりに真似ている。先輩が今日きたばかりの後輩に真似て話してる。『誰かすぐにわかる』と後輩のこびる答え。
    私は、呆れて立ちすくんだ。
    なんだ。私はこんなバカに見えるのか?気が付かなかったよ。鏡に映した自分が私はキレイでしょ。と本当の姿を見えない。
    人は人で構わないが、余りに見るに耐えない我が姿を、映した鏡に自分と鏡に変わる呪文は無いかと考え、『ありがとうと』心で呪文を唱える以外わからなかった。私は『気が付いた』相手に感謝することにした。
    それ以外私は知らないのだ。
    きっかけは、傷ず付く時がある。悔しいだけでは、仕事は続かない。明日の生活は維持出来ない。
    ならば、他人は今の私自身が変えられない。変えられなら私だ。努力あるのみ。人は人だ。だが見える姿が余りに醜いなら変える。見られることに怯えるのではなく。

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