ジャンクワードでご満悦

服を「着れりゃ何でもいい」とか、食い物を「食えりゃ何でもいい」とか、携帯を「喋れりゃ何でもいい」とか、車を「乗れりゃ何でもいい」とか言って選ぶ人はなかなかいない。誰しも、少なからず、こだわりを持っています。にも関わらず、なぜ言葉だけは「伝わりゃ何でもいい」なんでしょうか?なぜ、言葉にはこだわりを持たないんでしょうか?

最近、不思議でなりません。


サッコンタップ

「誰にも嫌われたくない」と思っている間は、本当に好かれることもない―というのは、どうやら事実らしいと思う昨今。

味方を作るということは、敵を作るということだ。同様に、敵を作るということは、味方を作るということだ。だから、つまり、主義主張が少しでもあれば、その主義主張がおのずと味方を連れてきたり、敵を連れてきたりするから、絶対的な孤独というものとは基本的に、無縁でいられるということだ。

もし、絶対的な孤独というものがあるとすれば、それは、人間関係に於いて、常にどっち付かずな、中途半端な振る舞い方をする奴のものだ。

私は、好きか嫌いか、要るか要らないか、はっきりしていこうと思う。
孤独との距離を巧くとりながら、敵味方の間の線引きをはっきりして、自分の動き方や考え方を、自分自身にとっても、周りの人間にとっても、わかりやすい、簡潔なものにしていきたいと思う昨今。


1905

私のブログも、これで通算1905本目である。
大阪時代に『イッケイノウタ』を書き始めた時から、「2000」という数字は意識していた。でもこれは、一種の夢の数字、遥か彼方にある数字で、到底たどり着けないものだとばかり思っていたのだが、今やこの大記録も目前に迫っている。あと95本だから、来月の中頃には達成できるのではないだろうか。

そこで、2000本記念式典(要するに飲み会)のようなものを、こぢんまりとしたのでいいから、催してみたいと思っている。
このブログ上で、日時と場所を告知して、愛読者の皆さんの中で来たいという人があれば、自由に来ていただく。私はその告知した場所に一足先に行って、一足先にビールなんぞひっかけながら、来てくれた方々を迎える。最後まで「誰が来るのかわからない」というのが良い。誰も来なかったら誰も来なかったで、それはそれで楽しい(いや、そりゃまあ正直、若干悲しいけれども…)し、誰か来たら、面識があろうがなかろうが万々歳だし、意外に大勢来たら、それこそ最高だし、いずれにせよ、やってみる価値はあるのではなかろうか。

2000というのは、並大抵の数字ではない。だから、記念式典くらい催してもバチは当たらんだろう。

たぶん、やるでしょう。


蝶写真館〜実は6匹〜

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これは非常にノーマルな写真。「宣材」的な感じ。

今後もじゃんじゃん写真を撮っていこうと思っている。「撮られる」ということの意識をメンバー全員が持つことは、本格的に天下獲りを目指すロックンロールバンドにとって、重要なことだと思っている。

なにはともあれ、私の左肩を凝視していただきたい。私のこのバンドに賭ける心意気が伺えるであろう。

撮影/なっちゃん


蝶写真館〜No.1×5〜

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同じ天才でも、剣吾くんはティムとは違って、やることなすことに明確な意味、コンセプトがある。

この写真は剣吾くんのアイデアによるものなのだが、ちゃんと使い道があって、その使い道に沿った構図となっている。

使い道があり、その使い道に沿った構図とすべく、剣吾くんが「上向いて!」と言ったにも関わらず、ティムは…。

撮影/なっちゃん


蝶写真館〜天才ティムの閃き〜

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ティムのアイデアによる、ティム自画自賛の一枚。
私も、小松も、剣吾くんも、よっしーも、口を揃えて「コンセプトがわからんわ!」と言った。

ティムの指示はこんな感じだった。まず、私の前に椅子を持ってきて座れと言い、「考える人のポーズをしてくださ〜い」と指示。そして、小松、剣吾くん、よっしーに対しては、「ボクと一緒にレイシを囲んで、レイシの方を見てくださ〜い」と指示。

「この構図は一体何やねん!」と思っていたのだが、蓋を開けてみると意外や意外、ものすごく面白い写真に仕上がっていたのである。

ティムが私のことをどう捉えているのかが伺える一枚だと思う。そして、私個人的には、このバンドってホンマ絵になるなあと思って、嬉しかった。

撮影/なっちゃん