今日は、仕事から帰ってきてから、カエラのライヴDVDを繰り返し10回くらい観た。何故観たくなったのかというと、カエラの魅力的な「動き」以上に、カエラの笑顔が無性に見たくなったからである。
カエラが可愛いのは、顔の作りとかそんなんじゃなくて(って言ったって誰も信じてくれないだろうけど)、笑顔そのものの素直さにあるのである。
カエラの笑顔には、「歪み」が微塵もない。アヒル口?ふざけんな馬鹿野郎!と言いたくなるような笑顔が、カエラにはある。
ね?須磨ですまんの〜さんもそう思うよね。
今日は、仕事から帰ってきてから、カエラのライヴDVDを繰り返し10回くらい観た。何故観たくなったのかというと、カエラの魅力的な「動き」以上に、カエラの笑顔が無性に見たくなったからである。
カエラが可愛いのは、顔の作りとかそんなんじゃなくて(って言ったって誰も信じてくれないだろうけど)、笑顔そのものの素直さにあるのである。
カエラの笑顔には、「歪み」が微塵もない。アヒル口?ふざけんな馬鹿野郎!と言いたくなるような笑顔が、カエラにはある。
ね?須磨ですまんの〜さんもそう思うよね。
全然大丈夫ですよ!冗談です冗談(笑)
大丈夫って誰でしたっけ?
しかしまあ、今年のサマソニは最高だったよね!何が良かったって、確かにヘレンも良かったけど、ピーティ・マイのリアポ・キャラマーは最高だったね!でも、今年のサマコニは残念ながら大雨だったんだよね。で、それが影響して総動員数が5人だったんだよね。でも楽しかったなあ。俺は行かなかったんだけどね。
今日も私は、職場の片隅でシンナーを扱っている。
頭の中では、カエラの「magic music」がエンドレスで流れていて、私は、蚊の鳴くような声で口ずさんでいたつもりだったのだが、どうやら時間の経過と共に声が大きくなってきていて、今や蠅が笑うような声になってきていて、時折肩でリズムをとったり、足を踏み鳴らしたりするようになってきていて、このままいくと終いには地声でキリキリと歌いあげだして、サマソニで観たカエラばりに踊りだすのではないかと思われるがしかし、私は決してラリり始めているわけではない。その証拠に、私は今ここで、カエラのあの有名なデビューシングル曲のタイトルを一字たりとも間違えることなく言うことができるのである。
「ラリラ・ラリハ」だよね。あの曲のタイトルはねっ!で、歌ってるのは確か西川ヘレンだったよねっ!
ヘレン最高っ!
あ!お帰り!くまさん!
本当に!?アリなんですか?この応え。
暴力には、拳で殴る「グーでドーン」の他に、平手打ちの「パーでパーン」や、目突きの「チョキでズン」、頭突きの「ヘッドでゴーン」なんかもあるんですが、私が意中の人に対してこの応え方をした場合、チョキでズンあたりを喰らうことになったりはしませんか?各種暴力のなかで、チョキでズンが最もシャレにならないんですが、大丈夫なんでしょうか?
大丈夫なら、OK牧場。
私は大阪時代、私の奥さんの事を非常に恐れていたのである。ビビっていたのである。そして、或る日、まだそこそこ仲の良かった頃、私は日頃の想いと皮肉を込めて、奥さんにこう言ったのである。
「あんたは信長やね。で、俺は家康やわ」
奥さんを『鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス』に例えたことは、私にとって、結構な皮肉だったのである。そして、自分自身を『鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス』に例えたことは、純粋に事実を述べたまでのことだったのだが…
その日の夜、布団の上にに横になって、何気なく携帯をいじっていた私は、ゾッ!とした。なんと、奥さんの誕生日と信長の誕生日が同じで、私と家康の誕生日が同じだったのである!
これは、完全なる実話である。
意中の人がいたとして、いたとして、その人に「告白」ということをしたとして、その意中の人が「何で私なん?」と尋ねてきた場合に、「死ぬほど良いラヴソング書きたいからあ!」と応えたら、やはりグーでドーンなのだろうか。
あと、あれですな。女にも馬鹿はいますな。パスタ気違いね。
「今日、朝メシ何?」
「パスタっ」
「昼メシ、何食いに行く?」
「パスタっ」
「給料も出たことやし、今晩はなんか美味いもんでも食いに行こうや!」
「パスタっ」
「ラモス瑠偉の髪型は?」
「パスタっ」
死ねばいいのに