プリッと出た

明日、バンドのリハーサルでやるカバー曲の為に、詞を一本書き上げた。
いつも通り、オリジナルはイギリスのバンドの曲なのだが、原曲の詞の意味や、果てはタイトルまでも完全に無視して、私度100%の日本語詞を書いた。

我ながら、今回の詞は凄いと思う。発想がレノン並みに奇想天外で、言葉の脈絡的なものが完全に崩壊し切っているにも関わらず、そこにちゃんと「色」が感じられる。

たまに、ごくごくたまに、何年かに一度、「俺、凄ぇ!」と思える時があるが、今日がまさに、久々に、その時である。

とはいえ、ま、私の書く詞は、どちらかと言うと「詩」で、どれもこれも「わけがわからん」と言われれば、それまでの話なんだけれども…。


推理不可

読者の皆さん。どうか信じてください。というのは、実は私にも、最近このブログ上に姿を見せるようになった猫の正体がまるでわからんのです…。

伊丹最北端の猫であることは確かなようであるが、実際の性別も不明なら、私と直接の面識があるのかどうかさえもわからん。

猫が初めてこのブログ上に姿を現したのは、私の「幻聴」という文章に寄せられたコメントから。
見たところ、朝7時〜8時台に寄せられたコメントが多く、そして何故か毎回漢字を一切使わず、私のどの文章に対してコメントを寄せるのかということについて、最低限の空気は読もうとしている節が感じられ、さらに「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」というビートルズの曲を知っていたり、ルパン三世のエンディング曲のギターコード表を載せてきたり…。

伊丹最北端に於いて、上記のデータが全て当てはまるような猫を、私は知らない。
私の中で、ごくごく僅かながら候補は上がるものの、どれもこれも違うような気がする。

やい!猫!お前一体何者だ?ちょっとくらい教えてくれたっていいんじゃねぇか?じゃないと、返信しづらいにも程があるよ。

降参!


ぴゅうぴゅう

台風が迫ってきている。今も、戸がガタガタと音をたてている。が、雨は全く降っていない。

どうせいつものヘタレ台風なんだろう。伊丹最北端を襲う台風が、まともに伊丹最北端を襲えたことはない。
いつもより風が強い。で、それで、終わり。

ヘタレ台風―あなたの中にも吹き荒れたことはありませんか?
「吹き荒れた」と言うにはあまりにも貧相な、でも、台風は台風だから「台風」と呼んでいるだけの台風―ヘタレ台風。

おやすみなさい。


オススメ・ル・パン

残念ながら、私はもう眠たいこと極まりないので寝るが、今からテレビで放映されるルパン三世の映画『ルパンvs複製人間』を、今までまだ一度もご覧になっていない方は是非ともご覧頂きたい。

ルパンの映画で一番面白いのは、『カリオストロの城』じゃないよ。あんなものは今夜放映の『複製人間』と比べりゃ、ただの子供騙しだ。

観りゃわかるって。私はもう、5回くらい観たけど、できれば今夜も観たいくらい、何度観ても全っ然飽きんよ。

ご覧あれ!


ラリー

今、職場でシンナーを扱っている。他のパートさんたちとは別の場所、隔離された場所で終日、シンナーを扱っている。
こんなのはどう考えても女の人のやる仕事じゃないし、私自身、この仕事の内容について不満的なものを一切感じていないし、シンナーのあの匂いについても、最初は嫌だったが、今はそうでもない。
しかしながら頭の中では、鬼のような形相をした剣吾くんがベースを振り回し、ヤク中でどこを見てるんだか判然としないチャック・ウィルソン5万匹を殴り殺している画が走馬灯のようにずっと回転していて、笑いを堪えるのに必死だ。
でも、我慢できなくなったからと言って、突然、ゲラゲラと笑いだしたら、どう弁解しても、確実に病院送りにされるだろうなと思う。

「いや、違うんですよ。あのね、チャック・ウィルソン5万匹が片っ端からヤク中でね…」とは口が裂けても言えない。これではちっとも弁解になっていない。

黙〜って働いている。


ロックンロール

臆病な人間は、常にうまくいかなかった場合のことを想定していて、想像力がそっちの方向に傾いたままだから、「考える」ということによって、防御線を引こうとする癖がつく。なので、「考える」という行為なしに生きるなんてのは自殺行為に等しいことのように思えてくるのであるが、同時に、「考える」という行為抜きに生きていける世界を切に望み、求めるのもまた、臆病な人間の性質で、もし、臆病な人間がそのような世界を見つけた場合には、臆病な人間は全身全霊でその世界にしがみついて、さらに、その世界で堂々と生きていける自信のようなものを自分の中に見出だせた場合には、臆病な人間は、この世界のことを「夢」と呼ぶようになるのであります。

私にとって、それが、ロックンロールだ。


『亀の煩悶』に訂正

「豪快」じゃないな。「勇敢」だ。

今も昔も、私に「豪快」などという要素はない。

ただ、私の中で、臆病だったものが勇敢になったり、勇敢だったものが臆病になったりしているという話だ。

「豪快」はあまりに違うと思ったので、訂正を。


閃きの瞬間

最近、「閃く」ようになった。
考えずとも、「閃く」ようになった。
閃いたことを実行に移して、良い結果の出なかったことは、今のところ、一度もない。

閃きはいつも、「考える」ということのスタートラインに立って、「位置に付いて!用意…」とまでアナウンスがかかって、朝礼台みたいな台の上、白い帽子に赤いジャケットを羽織ったオヤジがピストルの銃口を空に向けて、ピストルを持つ手ではない方の手の人差し指を耳の穴に突っ込んだ瞬間に、やって来る。


亀の煩悶

どうすればいいんだろう…どうすればいいんだろう…どうすればいいんだろう…どうすればいいんだろう…どうすればいいんだろう…と思っているうちに一日が終わってしまう。
ある一つの事柄について、昔の自分じゃ考えられないくらい臆病になってしまった。想像がちっとも上向かない。跳ねない。

昔臆病だった多くのことに関しては随分豪快になれたのに、昔、唯一豪快だったことに関して、物凄く臆病になってしまった。

ひょっとしたら、この一点を犠牲にすることと引き換えに、他のことに関して豪快になれたのかな。でも、だとしたら、仕方がないとはいえ、結構、絶望的だ。手も足も出ない…。

垂れ下がってしまった乳。怖じ気付いて亀。


コメントへの返信〜さかえ様宛

そうですね。さかえさんの言う通り、「信じる道を、志真っ直ぐに」突き進みます。私らしく、千鳥足で、突き進みます。ま、たまに、寄り道もするけどね。

進むべき道がはっきり一本決まってると、寄り道の味わいもグッと増すというものです。

「あ、蝶々や!」などと言って、ゆらゆらと舞う蝶を追いかけている内に、本来進むべき道を見失っていた―というようなことにだけはならないように気をつけて、日々、精進して参ります。