9月10日、観に行きます。
先日の高縄手の盆踊り大会に、猫耳型の帽子を被った、ロン毛の、妙にスタイルが良く踊りも上手い、気の狂った女のような気の狂ったオッサンがおりましたが、あなたが、あのオッサンではないことを心から祈ります。
9月10日、観に行きます。
先日の高縄手の盆踊り大会に、猫耳型の帽子を被った、ロン毛の、妙にスタイルが良く踊りも上手い、気の狂った女のような気の狂ったオッサンがおりましたが、あなたが、あのオッサンではないことを心から祈ります。
9月10日の盆踊りは、何だか特殊な感じがして、いかに盆踊り好きとはいえ、自分には関係がないことのような気がしていました。だから、僕の中では、高縄手が最後だと捉えていました。でも…
9月10日、観に行くことにします。高縄手の二日目が中止になったこともあり、自分の中で何か物凄く不完全燃焼なものがあります。Jr.さんの音で、この不完全燃焼感を吹っ飛ばしてやってください。
よろしくお願いいたします!
今、外でひとつ、ドン!と、太鼓の音がしたような気がした。
今年の伊丹最北端の盆踊り大会が全日程、終了したことを実感した。
今度Jr.さんと会うのは一年後。今度姉御を「姉御」と呼ぶのは一年後。心から、寂しい。
めちゃくちゃ寂しい。
頭の中を小さな自分が走り回っている。
「わちゃあーーーーーーっ!」などと奇声を上げながら、壁にぶつかっては倒れ、ぶつかっては倒れを延々と繰り返している。
この感じ、めちゃくちゃ久しぶりだ。
昨夜は一緒に写真を撮っていただき、ありがとうございました。本当に嬉しかったです!
今日は、雷雨の為、神戸での用事を延期にしました。そして、雨が小降りになったのを見計らって公園に来てみたら、盆踊り自体は中止になっているものの屋台は出ていて、提灯が灯り、数人の子供たちが走り回っております。
やぐら周りの水溜まりを、トンボで何とか消そうとしている小さな男の子がいました。水溜まりさえなくなれば、盆踊りが再開されると思っているようで、ちょっと泣けました。
踊り自体はやっていなくても、提灯が灯り、屋台もやっているので、今も続々と近所の子供たちが集まって来ています。盆踊り再開―Jr.さんのお力で何とかなりませんか?(笑)
今年のイタソニは本当に最高でした。残りの一本、頑張ってください!
血液型がO型の酒呑みは蚊に刺されやすいと聞くが、私は滅多に蚊に刺されることがない。しかしながら、夏の終わりの蚊は死に物狂いであるから、贅沢なことを言っている余裕がなく、普段全く眼中にない私みたいな者まで相手にする。そんな中、このタイミングで、私の部屋の前に一匹の蜘蛛が巣を張った。
蚊の問題を抜きにしても、この蜘蛛が何か素晴らしい出来事を私の為に捕まえてくれそうで、私は巣を破壊せずに、祈るようにしてじっとこの蜘蛛を眺めている。
一度、夜遅くに、うちの鬼才の母親が巣を破壊したが、翌朝には全く同じ場所に再び巣が出来上がっていた。
「お前のために巣ぅ張ったってんのに、お前の母親はなにをさらすか」蜘蛛の声が聞こえた。
今までずっと、大阪から伊丹に帰ってきたことの意味を考えてきた。本当にこれで良かったのか?それとも…。
私は大阪での生活に「敗戦」して、伊丹に「敗走」してきたんだと、ずっとそういう風に捉えてきた。
でも最近、考え方が少し変わってきた。
時間と金の使い方、人との関わり方、感情の出し方について、窮屈な思いをしなくて済むようになったことや、友人達の有り難みを痛感する一方で、必要ではないアホな友人の存在にも気付いて、彼(彼女)との関係を躊躇なく断てたことや、素晴らしいメンバーに恵まれて再びバンド活動ができるようになったことや、本を読むことが大好きな自分に気付けたことや、楽しい職場に恵まれたことや、夏、イタソニの各会場に足を運んで故郷、伊丹最北端に対する愛情をさらに深いものにできたことや…と、負の要素がどこにも見当たらない。負の要素がどこにもないから、おのずと考え方もポジティブなものになり、言葉が跳ねて、跳ねる言葉がさらに良い状況を連れてきて―どうやら私は、伊丹に帰ってきて正解だったようだ。
確かに失うものはあったし、それは決して小さなものではなかったけれども、「肉を切らせて骨を断つ」―私は、本当は、勝ったのかもしれない。
今、私は、生きていて嬉しい。「生きていて嬉しい」なんてフレーズは、完全に勝者の言葉じゃないのか?
ざまあみろ!俺は生きていて嬉しいんだぜ!アンタの負け!俺の勝ちだ!
私は昔から三国志が大好きで、横山光輝のマンガ「三国志」はもちろん読破したし、吉川英治の小説「三国志」も読破したし、無茶極まる展開の「反三国志」も途中まで(途中で限界がきた)読んだし、その他「三国志」に関する本は片っ端から読んできた。各戦争分析本とか、武将辞典とか。
そして今、私は、携帯のゲーム「三国志」をやっている。毎日少しずつ(一日10分くらい)地味に地道にやっていくゲームで、自分の分身となる武将を作って三国時代に送り込んで、オンライン、他のユーザーと関わり合いながら展開していく。
BGMも何もない本当に地味なゲームで、始めたばかりの私はただひたすらに日々鍛錬鍛錬、自分の分身を成長させることに没頭している。現段階では、私の分身は、あまりに各能力が低過ぎて、コンピューター武将にもユーザー武将にも全く相手されていない。しかし、その内必ず目に物を見せてくれん!と意気込んでいる。
たかがゲーム。されどゲーム―この「三国志」をやっていて、ひとつ気付いたことがある。というのは、他のユーザーさん(大半は男だと思われる)が自分の分身として作る武将のほとんどが「男」で、とにかく武力を上げて強い武将に育て上げようとしているのに対して、私が自分の分身として作った武将は「女」(めちゃくちゃな美人)で、私はただひたすらに「魅力値」を上げていっているのである。これは明らかに、世の男性諸君と私の考え方、価値観、人生観の違いの表れである。
私は、男なんかで憧れの三国時代を生きたいとは思わない。女で、しかも魅力で、三国時代を生き抜いてみたいのである。
ゲームの中で戦争が起こると、私の分身は完全なる役に立たずで、今のところ、全戦全敗であって、知名度も、地位も、収入も、「勲功」もちっとも上がらんのであるが、私は「それがどうした」とばかり、ただひたすらに魅力値を上げていっているのである。
ゲームの中の三国時代を想像してみる。私の分身がどのようにして生きているのかを想像してみる―筋肉ムッキムキの汗臭い野郎ばかりの世界に、めちゃくちゃな美人がいる。武力も低ければ、今のところ知力も低い。肉体的に弱く、頭も弱い。剣を持たせれば「重い」と言い、本を読ませれば「文字が読めない」と言う。にも関わらず、結構な数の軍隊、それも「精鋭」を率いている。しかしながら戦争では必ず負ける。なぜなら、戦場で他の武将が汗水垂らして戦っている時に、猛烈な勢いで化粧をしているからである。時が乱世であることを思えば、まったくもってフトドキ千万な女子なのであるが、いかんせん美人であり、人間的に魅力がある。将軍たちは全く役に立たないことを百も承知の上で彼女を戦場へ同行させ、軍師たちはこぞって彼女に教えを垂れ、君主は口では「あやつは我が軍のお荷物だ」とかなんとか言いながら、頭の中ではあらぬことを考えている―と、まあ、こんな感じだろうか。非常に面白い女子である。
彼女は今、三国志上に於いて実に地味な武将「劉虞」に仕えているが、魅力値を上げるためには誰かに仕えていないと駄目だから仕えているだけの話で、魅力値がもうこれ以上は上がらんという所まで上がったら、劉虞を捨てて下野して、空白地を見つけて、新君主として旗揚げするつもりである。
三国時代を、一人の悪女が引っ掻き回す―構想として、非常に面白いと思っている。