悪女乱舞

私は昔から三国志が大好きで、横山光輝のマンガ「三国志」はもちろん読破したし、吉川英治の小説「三国志」も読破したし、無茶極まる展開の「反三国志」も途中まで(途中で限界がきた)読んだし、その他「三国志」に関する本は片っ端から読んできた。各戦争分析本とか、武将辞典とか。

そして今、私は、携帯のゲーム「三国志」をやっている。毎日少しずつ(一日10分くらい)地味に地道にやっていくゲームで、自分の分身となる武将を作って三国時代に送り込んで、オンライン、他のユーザーと関わり合いながら展開していく。
BGMも何もない本当に地味なゲームで、始めたばかりの私はただひたすらに日々鍛錬鍛錬、自分の分身を成長させることに没頭している。現段階では、私の分身は、あまりに各能力が低過ぎて、コンピューター武将にもユーザー武将にも全く相手されていない。しかし、その内必ず目に物を見せてくれん!と意気込んでいる。

たかがゲーム。されどゲーム―この「三国志」をやっていて、ひとつ気付いたことがある。というのは、他のユーザーさん(大半は男だと思われる)が自分の分身として作る武将のほとんどが「男」で、とにかく武力を上げて強い武将に育て上げようとしているのに対して、私が自分の分身として作った武将は「女」(めちゃくちゃな美人)で、私はただひたすらに「魅力値」を上げていっているのである。これは明らかに、世の男性諸君と私の考え方、価値観、人生観の違いの表れである。
私は、男なんかで憧れの三国時代を生きたいとは思わない。女で、しかも魅力で、三国時代を生き抜いてみたいのである。

ゲームの中で戦争が起こると、私の分身は完全なる役に立たずで、今のところ、全戦全敗であって、知名度も、地位も、収入も、「勲功」もちっとも上がらんのであるが、私は「それがどうした」とばかり、ただひたすらに魅力値を上げていっているのである。

ゲームの中の三国時代を想像してみる。私の分身がどのようにして生きているのかを想像してみる―筋肉ムッキムキの汗臭い野郎ばかりの世界に、めちゃくちゃな美人がいる。武力も低ければ、今のところ知力も低い。肉体的に弱く、頭も弱い。剣を持たせれば「重い」と言い、本を読ませれば「文字が読めない」と言う。にも関わらず、結構な数の軍隊、それも「精鋭」を率いている。しかしながら戦争では必ず負ける。なぜなら、戦場で他の武将が汗水垂らして戦っている時に、猛烈な勢いで化粧をしているからである。時が乱世であることを思えば、まったくもってフトドキ千万な女子なのであるが、いかんせん美人であり、人間的に魅力がある。将軍たちは全く役に立たないことを百も承知の上で彼女を戦場へ同行させ、軍師たちはこぞって彼女に教えを垂れ、君主は口では「あやつは我が軍のお荷物だ」とかなんとか言いながら、頭の中ではあらぬことを考えている―と、まあ、こんな感じだろうか。非常に面白い女子である。

彼女は今、三国志上に於いて実に地味な武将「劉虞」に仕えているが、魅力値を上げるためには誰かに仕えていないと駄目だから仕えているだけの話で、魅力値がもうこれ以上は上がらんという所まで上がったら、劉虞を捨てて下野して、空白地を見つけて、新君主として旗揚げするつもりである。

三国時代を、一人の悪女が引っ掻き回す―構想として、非常に面白いと思っている。


Jr.さんと

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子供時代からの憧れの人―Jr.さんと(撮影/剣吾くん)。

これはいわば、サマソニ会場でリアム・ギャラガーと一緒に写真を撮ってもらったようなものなのである。私にとって、そのくらい、感動の一枚なのである。

私がどれくらい嬉しかったか―私の表情が全てを物語っている。


高縄手盆踊り大会

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昨夜の光景。

Jr.さんが太鼓を叩いて、その太鼓を聴きながら姉御や剣吾くんといっぱい喋った。

公園の片隅のベンチには、私が小学生の頃によく遊んだ人が座っていて、見るからにアル中みたいな感じ…ボロボロになってしまっていて、話しかけたが、全く会話にならなかった。私の名前は覚えていたが、いきなり怒鳴ったりなんかして、会話にならなかった。悲しかった。

めちゃくちゃ楽しい気持ちの中に、言うに言えない悲しみが一粒ポツンとあって…そんなこんなを含めて、私は、ひょっとしたら、サマソニよりイタソニの方が好きかも知れない。いや、きっとそうだ。

イタソニは、人間の生活臭と、人間そのものの匂い―人間臭のルツボだ。


出陣!

18時55分、雨が止んだ。
19時、予定通りの時刻に高縄手盆踊り大会開始!

Jr.さんがいる!姉御がいる!剣吾くんが来る!

それでは、行ってきまあーーーーーーっす!


烏賊2

随分と雨が強くなってきたが、盆踊り大会の準備は着々と進められていて、子供たちが徐々に集い始めている。しかしながら、いよいよもって雨が本格化してきた…と思って帰宅したら、案の定、母親が庭に出て、隣の奥さんと話し込んでいた。

イカン!これはイカーーーーーーン!


息子と舎弟

私は天才的な晴れ男である。
私クラスの晴れ男ともなると、私が外に出ること、これすなわち雨が上がるということであると一点の曇りなく信じきっている。そして、実際に晴れる。しかしながら、あの獰猛なカラスにも天敵がいるように、私にも天敵がいて、それがあろうことか私の母親で、私の母親は鬼才的な雨女で、彼女が家を出ること、これすなわち雨が降るということで、実際に降るのである。では、二人同時に外出した場合どうなるのかというと、この場合は残念ながら曇りか雨のことが多く、やはりさすがの天才も鬼才には勝てないという事実を如実に物語っているのである。

ところで、私の父親は、私ほどではないにせよ晴れ男である。秀才的な晴れ男である。したがって、単純に考えれば、私と母親と父親が三人同時に外出した場合には晴れる確率がグッと高くなるというのがものの道理なのであるが、私の母親はそれでも雨を降らせてしまう恐ろしき鬼才の持ち主で、もはや神憑り的でさえあるのである。

高縄手盆踊り大会―「イタソニマスター」たる姉御に警戒すべき人間がいるとすれば、それはいかりや長介でも仲本工事でも高木ブーでもなく、うちの母親なのであるが、母親自身は人並みに雨が嫌いで、日頃から自らの才を呪っているので、可哀想と言えば可哀想で、私としても、舎弟として姉御の為に人肌脱ぎたいのは山々なのであるが、かといって息子が可哀想な母親を家の柱に縛りつけるという暴挙に出るわけにもいかず、こればかりは運を天に任せるより他ないのである。

今現在、伊丹最北端は文句ナシの快晴である。が、鬼才を甘く見てはいけないことを、天才の息子はよく知っている。

※上の文章は、本日15時頃に作成したものである。この後、16時頃から伊丹最北端はまさかの雷雨となり、今、この追記を書いている18時20分現在も小雨が降り続いている。大丈夫なのか?高縄手!


ストロークスのリハ風景

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大トリの、ヘッドライナーのリハ風景をビール片手に見られるというのは、伊丹最北端住民の特権であり、イタソニの隠れた醍醐味である。

普通、大トリの、ヘッドライナーのリハ風景などというものは、見ようと思って見られるものではない。


天才の証

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左が初回限定盤で、右が来日記念限定盤である。付属のDVDの内容が違うのである。

もし、私が何らかの天才だとしたら、それは、何かを「好きになる」ということに於いて天才なのである。

このことについては、実は何年も前から自覚していた―俺は何かを好きになるということに於いて天才だと。