僕は卑劣なコーディネーター

「ソングライティングというのはね、ドアが開いて女の子が入ってくるのを待っているようなものなんだ」とプリンスは言った。素晴らしい。名言だと思う。「ソングライティングというのは常にアンテナを張っておいて、向こうからやってくるものを捕まえるということだ」と言ったキース・リチャーズと言わんとしている事は同じだと思うけど、表現としてはプリンスに軍配が上がる。

女の子が入ってくるのを待つのが仕事なら、入ってきた女の子をどう作るかというのも我々ソングライターの仕事。どんな服がベストなのか。どんな髪型がベストなのか。どんなメイクがベストなのか。香水は?といった事を考えて、女の子を作る。「曲を作る」と言うが、「作る」という言葉の本来の意味はそういう事だと思う。女の子自体はどこからともなくやってくるものであって、作るものではない。

たまに、どんなに手を尽くしても無駄だろうというブサイクな女の子が入ってくることがある。決してブサイクではないけどまったくもってタイプじゃない女の子が入ってくることもある。そんな時には反対側のドアを開いて「シッ!」って言うんですよ。

ソングライターという卑劣な生き物は。


あきなっておくんなはれ

元春さんのライブの時、グッズ売り場を見て色々と考えていた。

去年と全く同じ物が並んでいる。コースターって需要あるか?どれもこれもデザインがイマイチ。特にTシャツは酷い。基本的にアルバムジャケットをプリントしてあるだけで、ツアースケジュールがバックプリントしてあるわけでもないし、フロントに「禅ビート」(曲名)とだけプリントしてあるものに至っては、元春さんのファンでない限り佐野元春のTシャツであることがわからない。あからさまに手抜き感満載でありながら3500円くらいするので、会場で禅ビートシャツを着ている人を見たことがない。

ライブ後も、売れているのはCDやレコードだけで、グッズは全く売れていなかった。グッズを買うこともライブを観に行くことの楽しみの一つなんだから早々になんとかして欲しい。Tシャツのフロントにプリントすべきは、元春さんの写真や「佐野元春」という文字であって「禅ビート」ではないし、ツアーのたびにデザインを一新して、背中にはちゃんとツアースケジュールをプリントして欲しい。スケジュールの中に自分が観に行った公演が載っているというのは、ただそれだけのことで結構嬉しいんだから(おそらく、元春さん自身はグッズ関係にはタッチしていないんだろうと思う。ものすごくデザインにこだわる人だし、毎回、豪華BOX仕様でアルバムを出す人なんだから)。

なぜグッズ売り場を見ていたのかと言うと、俺も来年からライブ会場に物販席を設けて本格的にCDの販売を開始するからである。どうせなら、ただCDを置くだけじゃなく、できる限りセンス良くディスプレイしたい。クロスを敷いて、POPを作って置いて、主役であるCDの見栄えを良くするためにいくつかグッズ的なものも並べたい。グッズは、俺の場合は、「和田怜士」というのを前面に出さずに、ひたすらデザインを売りにすべきなのだろうなと思っている。物を売るというのは俺の専門分野じゃないし、知識もないし、才覚もないに決まっているから、開き直って楽しんでやろうと思っている。が、運良く縁に恵まれたら、物販担当スタッフを海賊ライチに迎えたいとも考えている。物を売るのが好きな人。どうすれば売れるのかを考えるのが好きな人。そういう人に巡り会えたら、是非、力を貸してもらいたいと思っている。

もし、この記事を読んで、我こそは!という方がいたら是非力を貸して欲しい。ギャラ?もちろん出しますよ。あなたが俺のアルバムやグッズを売ってくれれば売ってくれるほどに。

売りに売ってサクッと家でも建てちゃっておくんなはれ。


白い才能 赤い才能

どえらい事を言うと思われるに違いない。が、本音を言えば、俺は、和田怜士の才能は佐野元春に劣らないと思っている。違いはあっても差はない。

佐野元春。素晴らしいアーティスト。本物だと思う。だから好き。大好きだけど、才能が「自分より上」という意味合いで崇拝しているのかというと、そうではない。上に「違いはあっても差はない」と書いたが、その違う部分について、佐野元春の右に出る者はいないと思っている。そういう意味で、尊敬している。

ただ、絶対に敵わないというか、そもそも比較の対象ですらない点がある。それはやはり、40年というキャリアと、その内容。

40年間、休むことなくロックし続けてきたということ。一つの表現に留まらず、時にはファンを置き去りにしてでも新たな表現に挑戦し続けてきたということ。そして、そうやって、ついて行くのが大変なくらい猛烈なスピードで変化し続けてきたのに、63歳となった今もライブ会場を満員にできるということ。凄い。

常に新しいものを生み出していこうとするアーティストとしての顔。眼つきは鋭く冷たい。そこに詩人としての知性と、紳士的な立ち振る舞いと、アーティストとしての顔にある鋭利さとは真逆のなんとも言えない可愛らしさ、愛嬌、暖かい包容力がある。これは40年というキャリア。立ち止まらずに闘い続けてきたことの結実。今や、佐野元春という人間そのものが「作品」なんだと思う。

人間そのものが作品。人生として、42年のキャリアしかない俺に当てはまるわけがない。ただ、持って生まれたものについて言えば、負けていない。生まれてきたことの意味について考える時、「音楽」以外のワードからは何も始まらないという資質。メロディーメイカーとしても詩人としても(実は詩人としても)、負けていないと思っている。色こそ違うが同じものを持っている。

俺は俺で、自分が持って生まれたものとその色について、右に出る者のいない者になればいいんだと思う。トップに立てばいいんだと思う。

ね?ちゃんと学んできたでしょ?

いよいよもって病的な大口叩きになっただけか(笑)


研修を終えて

元春さんのオフィシャルサイトで昨日のライブの模様がアップされていた。

左下の写真。元春さんの前にひときわ頭のでかい、ニット帽を被った奴がいるだろう。

俺だ。

後ろの人、ゴメンね。

俺、学生時代、映画鑑賞会みたいなことがあるたびに仮病で休んでた。

後ろの奴に「見えへん!」って言われるのが悲しかったから(笑)


研修5〜追憶〜

ホテルのベランダで、吸ってはいけない煙草を吸いながら。

20年前、発泡酒片手にあちらからこちらを眺めていた。「いつか絶対あそこに泊まったる!」と息巻いて。それが今、こちらからあちらをビール片手に眺めている。

20年前の俺に言いたい。「夢って意外に叶うぞ」と。

20年後の俺は今の俺に同じことを言えるだろうか。


研修3〜佐野元春〜

2メートル先に元春さんがいた。

バラードは1曲たりともやらず、ロックンロール・ナンバーだけで一気に駆け抜けた。

死ぬほどカッコ良かった。

佐野元春ほどカッコいい日本人を、日本人アーティストを俺は知らない。

俺も、次のライブはロックンロールで押し倒す。

バラードは1曲たりともやらない。