間違いない

先日、27歳の職場の同僚が、誰かに、「理想のタイプは?」と訊かれていて、彼は「優しい人」と答えたのであるが、この「優しい人」という答えに対して、彼の側にいた女の子が、「じゃ、『優しい人』の定義は?」とさらに突っ込んで問いただしたのであるが、彼はこの問いには上手く答えられないでいた。

私は考えた―「優しい人」の定義。

たぶん、自分の分をわきまえてる人のことを「優しい人」っていうんだと思う。自分の分をわきまえてるから、他人にも分があるんだってことが理解できて、それで、優しいんだと思う。これは、逆算してみればよくわかる。「優しくない人」ってどんな人をいうのかを考えてみるのである。

例外なく、分をわきまえていない人が、「優しくない人」なのである。


崩壊願望

太宰さんは、「恋愛はチャンスの問題じゃない。意志の問題だ。」と言ったが、私は、恋愛は、根性の問題だと思っている。そして何より、恋愛は、発狂できてなんぼだと思っている。発狂することによって、不可能を可能にする根性が生まれるんだと思っている。

見境が無くなる。前後不覚になる。くるくるパーになる。これが恋愛だと思う。冷静に立ち振舞えてる間は、それは、本当の恋愛ではないと思う。

見境を無くしたい。前後不覚になりたい。くるくるパーになりたい。

ロックンロールと恋愛が人間にもたらす効果は、よく似ている。


カブトムシ

今日は、数ヶ月振りに外へ、焼肉を食べに行ったのであるが、小さな店内の通路を隔てた向こう側で食事をしている子供連れの夫婦が、気になって気になって仕方が無かったのである。
子供は二人。二人とも男の子で、1才くらいのと3才くらいのと。さして喧しくはなかったし、もし喧しかったとしても、夫婦の気持ちを察すれば別に不快でも何でもなかったのだが、問題は、この夫婦の佇まいにあったのである。
二人とも私と同じくらいの歳で、旦那が正座をしていて、嫁があぐらをかいて顎を突き出して煙草を吹かしていた。そして、旦那が家族の為に肉を裏返してやっていると、嫁が「触りすぎ。もうホンマ、ウザいわぁ。」と発言。
私は、この光景を見て、イラッと来て憤然と立ち上がると、敢然と通路を横切って夫婦のいる所へ向かい、とりあえず嫁に平手打ちを食らわせてから、「お前だけか!お前だけが頑張っとんか!お前は、旦那が働いてるとこ見たことあるんか!金が全てやったら金が全てってはっきり言えや!このブス豚!」と、一連の動作を頭の中で、実行に移していたのである。

世の中の女性は何か、とてつもなく大きな勘違いをしている。幻滅してもし切れない。

そうして今、私は、aikoの『カブトムシ』を爆音で聴いている。どこかでまだ、性懲りなく、信じたいのである。


ヌメヌメの虫

昨日まで、残業に次ぐ残業の日々であった。職場が移転するということで、その引越し作業に追われていたのである。
私は、休日出勤は結構喜んでするけども、残業というものが嫌いで(学生時代も、「放課後居残り」というのが死ぬほど嫌いであった。)、引き受けるか否か迷ったんだけれども、GW明けということもあって快く引き受けたのだが、これが意外な形で吉と出た。というのも、夜遅くまで一緒に働く中で、パートさん達とだいぶ仲良くなれたのである。

ちゃんと接してみると、オバハンはおばちゃんであった。そして、オバハンゾーンに片足突っ込んだ、厭世的オーラ漂う女の人たちは、意外と笑顔が素敵だったりして、たまに非常に可愛らしいのであった。同時に、私に対する警戒心もだいぶ解けてきたようであるし、結果的には、残業を引き受けてよかったと思っている。

私の職場は社員を除くと、9割方女性である。私にしてみれば、この環境というのは、介護職をしていた時となんら変わらないので、何の抵抗も感じないが、同時に、女性ばかりの職場の影の部分というのもよく知っていて、それはやはり、現在の職場でも同じようである。
よく見ると、いくつか派閥的なものができているみたいだし、コソコソ話をしているところもよく見かけるし、男ばかりの職場では絶対にあり得ない、何かとても陰湿なものが音も立てずに蠢いている気配が確かにある。
一人一人、単体で見るとなかなかに魅力的な人たちなのに、群れると、女の人というのは何故こうなってしまうのだろう。実に厄介な生き物である。

「やっぱりこういう職場には男の人が必要やわ。」
「力仕事が出来るからですか?」
「いや、それだけじゃなくて。女ばっかりやと、悪口とか、ほら、色々と…わかるやろ?」
と、以前、お世話になった女性ベテラン介護士さんが言っていた。


Image down

♪お昼休みはウキウキウォッチング…のイントロに導かれて高橋まことが出てきても気付かない。

会社の上司が松井恒松だったら即辞める。

新聞の勧誘に布袋寅泰が来たら通報する。

大切な人のお葬式に氷室京介が来たら帰ってもらう。


コメントへの返信〜須磨ですまんの〜様宛

アンディとゲムの解放感もハンパなく、アルバム全編に渡ってほとばしってるねぇ。アーティストエゴを一気に爆発させております。やっぱりこれが、リアムを選んだ最大の理由でございましょうな。「やっぱ、シャバの空気は旨いぜ。」ってな感じです。
以前、ノエルが単独で来日して、アコースティックセットで歌った時、ゲムも同行して、ノエルの後ろで地味にギター弾いてたけど、何か飼い犬みたいになってしもてたもんな。アンディはアンディで、元々キャリアも十分あるし、エゴの強い人やったはずやのに、やはりあの馬鹿兄貴には全く頭の上がらん感じやったしね。

そんなこんなで、あの天才ゲジゲジ眉毛鍋奉行的ミスタービーン似馬鹿兄貴がリアムとアンディとゲムの才能を全面的に認める時が来たら、その時がオアシス再結成のタイミングでございます。そりゃもう、間違いなく、世界中巻き込んで、ドえらい事になるで!


駄目な方の狂犬

天錻の才能があって、その影として狂気染みたものがあるがゆえに危険だというのならよくわかるが、才能があるんだか無いんだかよくわからない、いや、たぶん無いに違いないと思われる人物が危険だと、それはただの「危険な人」である。

内田裕也―「ロックンロール」という言葉の価値を、孤軍奮闘獅子奮迅、ひたすら下げ続ける病んだ狂犬。


勝手にソウルメイト

リアム・ギャラガー率いるビーディ・アイの1stアルバムがこんなにも素晴らしいのは、リアムがロックンロールスター人生史上初めて味わうことになった解放感が、アルバム全編を通してほとばしっているからだと思う。

さすがの狂犬リアムも、兄ノエルにだけはずっと頭が上がらなかった。それはかつて、あの横山のやっさんが、西川きよしにだけは頭が上がらなかったというのと全く同じような感じだったのではないだろうか。実際、オアシスというバンドは、歴史を重ねれば重ねるほどに、兄の表現の場という色彩が濃くなっていってたから、きっと、リアムの中で確実に募っていくものがあったはずなのだ。早い話が、窮屈だったはずなのだ。で、ある日、その窮屈感が沸点に達して、ンダラアー!!となって、気付けば兄のギターを蹴り割ってしまっていたのだ。

オアシス解散後、「ノエルのいないリアムって大丈夫なのか?」という、まるで、リアムを保護者を失ったガキンチョか何かのように言う声をよく聞いたが、リアムにしてみれば、自分はもう、自分で結構イケてる曲が書けるという自信があっただろうし、そして何より、アンディもゲムもクリスも、元オアシスのメンバーはみんなことごとく、天才メロディーメイカーの名を欲しいままにしている兄貴にではなく、天才ロックンロールスターの名を欲しいままにしている自分に付いてきてくれるんだから、「俺をナメてもらっちゃ困るぜ、オマ〇コ野郎どもが。」ってなもんだったのだろう。

私は、アンディとゲムとクリスが、こともあろうか弟のリアムに付いていくことにしたというその決断に、非常な驚きと感動を覚える。リアムはきっと、イメージ通り、裏表の無い、単純な、いい奴なんだろうと思う。

この先、ビーディ・アイで3、4枚、ファッキングレートなアルバムを拵えて、兄ノエルにその才能を遺憾なく認めさせてから、出来れば兄に乞われる形で、オアシスを再始動させて欲しい(リアム・ギャラガーともあろう者が、誰かに、たとえその相手が兄貴であろうとも、頭を下げるなんてことは絶対にしちゃイカンのだ!)。

その時こそ、オアシスは本当に、ビートルズに匹敵する物凄いバンドになると思う。


ささやかな祭壇

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我が部屋の片隅にある、ささやかな祭壇です。
先日、リサイクルショップで購入した卓上ランプをスポットライトとして使用し、額縁の中の太宰さんを照らしております。
太宰さんの前には常時、花が添えてあり、写真ではわかりにくいですが、煙草を買い溜めした際には、太宰さんと花との間に、ライターを添えて、お供えすることにしています。お供えする時には必ず心の中で、「ま、一服しておくんなはれや。」と呟きます。

私の、ちょっとした信仰の形です。