わたくしマーク?

ここらで私の、例の病気のことについて、少し触れておこうと思います。

随分、病院を転々としました。今、通ってる病院で5軒目です。5軒目にしてようやく良い先生に巡り合えたので、私は、この先生に全てお任せしようと思っております。

私の病気の病名は、正しくは、『双極性障害?型』というものだそうです。俗に言う「躁鬱病」の一種なんですが、一般的に、躁鬱病と言って思い浮かべる、あの浮き沈みの激しいのが?型で、?型は躁鬱は躁鬱でも、躁の部分がほとんど無いものを言うのだそうです。
?型の特徴としては、何かに「依存する」というのがあって、人によって、依存する対象はバラバラで、それがアルコールの人もあれば、ギャンブルの人もあれば、「何かを作ること」というのも、依存の対象になるのだそうです。
何かに依存するのは、沈みっぱなしのテンションを何とか持ち上げようとするからですが、持ち上げたら持ち上げた分、後でドンと落ちるので、そのために、毎日、薬が欠かせないといった理屈です。

私はもう随分良くなりました。ただ、まだ、一つだけ問題が残っていて、それは快方へ向かっている証拠らしいのですが、夕暮れ時のイライラが、時には破壊衝動とも言えるほどに強烈で、これに言うに言えぬ心細さが絡みついた日にゃ、それこそ叫びたいわ、暴れたいわで、時折、非常に辛い思いをするのですが、でも、これさえ治れば、工場でも何でも、職種なんて拘らないから、働きに出ようと思っています。
もう、時間の問題だと、希望的に観測しておる次第ですが、いや、もう本当に、これが峠であると、確信しております。

なお、社会復帰した暁には、とりあえず、ライヴを敢行したいと考えています。というのも、つい先日、伊丹の駅前に、ライヴバーがあることを知ったからです。私の目と鼻の先に、いくつかブラ下がっている夢のうちの一つです。

もうちょい。も〜ちょいだ!


彫刻の日常

重い話は止そう。今は、あえて、止そう。何せこれは、私のブログだ。私のブログが少しばかり世相に反して、軽妙に跳ねていたって、罰は当たらんだろうし、ひょっとしたら、私のブログは、常時、そういった姿勢を貫くことの方が、正解といえば正解なのかもしらん。自分らしく、いこう。

さて、突然ではあるが、ここ数ヶ月間の私はどうやら、神がかっているらしいのである。
伊丹の市役所で、本の無料取り放題が催されるという情報が飛び込んで来て、大きな紙袋をリュックサックに詰め込んで駆け付けたり、夕方の散歩がてらに、ふと立ち寄ったブックオフで、2時間限定タイムサービスで、本の全品半額セールをやっていたり、また、別の古本屋では、「閉店セール」と銘打って、本が全品50円で売られていたりして、これら全ての幸運が、ここ数ヶ月の間に一気に、怒涛の如くに、私の身に押し寄せてきたのである。

「読め。」もしくは、「書け。」あるいは、「読み、且つ、書け。」と神様がおっしゃっているようにしか思えないので、今、必死こいて、新しい小説を書いておるのだが、これがエラく長いものになりそうな気配なのである。書いても書いても進まない。動く歩道を逆行しておるかのような心境。
現時点で、下書きとして、原稿用紙よりもかなり升目の細かいレポート用紙で、22枚書いたのだが、これでもまだ、全体の半分に満たない。毎日少しずつ少しずつ書き溜めていっているのだが、私の場合はパソコンで書くわけじゃないし、机に向かってボールペン片手にカリカリカリカリと、まるで彫刻でも彫っておるかのような塩梅で、腕が疲れて、ほとんど肉体労働なのであるが、不思議と、情熱みたいなものが途絶えるというようなことは一切ない。これを完成させて、誰かに読んでもらうことを想えば、むしろ、俄然、燃えてくるのである。
前にも書いたように、私が今、書いているものは、私小説的なものなのであるが、現時点で、私の分身ともいえる主人公はまだ、20歳を少しまわったところである。ということは、あと14年分書かねばならないということになる。

『吃聖と白鷺』と銘打ったこの作品を、ただの私小説ではない、新田茘枝独自の形で、何とか上手く纏めあげて、和田一憩の過去の清算(タダでは転ばんぞ!という意志の表明)と、将来への基盤の構築(何が何でも世に出てやる!という決意の表明)とを同時に、確実にやってのけたいと切実に思っている、今日この頃である。


芸術家について、太宰治は「人ではありません。その胸に、奇妙な、臭い一匹の虫がいます。その虫を、サタン、と人は呼んでいます。」と言い、坂口安吾はズバリ、「バカモノ」と言い切り、ジッドは、著書の中で、「芸術家は花です。何の腹の足しにもならない。が、かといって、世の中の花壇全てを、菜園にすれば良いというものでもないでしょう?」と言っている。

大震災。

芸術家が、サタンで、バカモノで、花であることを、痛いほど思い知る。

知名度があればなにかできるのかも知れない。いや、できる。でも、その時に役立つ力は、金であって、芸術そのものじゃない。

でも...言葉を続けたい。


盥2

子供の頃、いや、つい最近まで、私は、ドラマなどでよく耳にする台詞、「お前なんて勘当だ!」を、「お前なんて感動だ!」だとばかり思い込んでいた。

本来、良い意味であるはずの、「感動」を、相手を罵る言葉として使用していることに、いつも感動していた。日本語って深いなあ...などと感嘆していた。人を感動させるのは良いことだけれども、感動という感情が肉体を持つということ、人間そのものが感動の塊になるということ、いわば、『感動体』になるということは、罪なことなんだという、一種哲学的な、禅問答的な、アレやねんなあ...と思って、一人、うっとりしておったのであるが、或る日、「お前なんて感動だ!」は間違いで、「お前なんて勘当だ!」が正しいんだということを知った刹那、脳天に盥が落ちてきたような気がして、地面を蹴って、肩を落として帰宅した。


イマジン

「ジョンレノンは世界を変えることができなかった!」などと、ストリートで、ギターを掻き鳴らしつつ喚いてる男が、厄年に、厄払いをしたにも関わらず、両腕両脚を骨折して、インフルエンザにかかって、さらに、家庭が全くうまくいかず、離婚することになって、「ちゃんと厄払いしたのになぜだあ!」などと憤慨しているところへ、気の良さそうな、丸眼鏡を掛けた老翁が近寄ってきて、彼に、「それだけで済んで良かったですなあ。もし厄払いしてなかったら、今頃あなた、間違いなく死んでましたで。」と囁いたとしてもなお、やはり彼は、ジョンレノンは世界を変えることができなかったと思うんだろうか。


大きな天災に見舞われると、デジタルなものの脆さが一気に表面化してくる。そうして、そんな時にだけ、掌を返したように、皆が皆、「やっぱ、アナログっていいよねえ」みたいなことを言い出す。

で、喉元過ぎて熱さ忘れるや否や、「やっぱデジタルでしょ」って言って、家電屋に群れを成している。

先日、裏の公園で、制服を着た男子中学生が、ベンチに座って弁当を食べていた。天気の良い、暖かい、お昼時のことだったので、「あ、さては学校抜け出してきよったな。よかよか。こんなエエ天気の日は、外で弁当に限るよね。」と、目を細めて眺めていたら、中学生が持っていたものが弁当箱ではなく、i‐padだったので、脳天に盥が落ちてきたような気がして、地面を蹴って、肩を落として帰宅した。


子供の頃、黒澤明監督の『夢』という映画の、2話目(この映画は確か3つの話ー黒澤明が実際に見たという3つの夢から成り立っていたように思う。)を観て、恐ろしくて恐ろしくて、絶望的な心持になったことを覚えている。

富士山の麓の原発が数基、連続して爆発。そこら中に赤色、青色、黄色...あらゆる色の煙が漂っている中で、大勢の人間が完全な餓鬼と化して、全てを諦め切ったような、卑屈に歪んだ微笑を浮かべながら、こう言うのである。
「原発側はいつも、「放射能の種類ごとに着色してあるから、万が一、爆発しても、逃げられます。安全です。」なんて言ってたけれども、実際に爆発したら、ほら、この通り、何の意味もないよね。笑わせるよね。」

『夢』を観て以来、私は、原発の安全性をアピールするCMがまともに見られなくなってしまい、満面の笑みを浮かべて、「原発、安全です!」なんて言ってる高橋英樹の無自覚な無責任さや、「みんなでオール電化!」なんて快活に言ってる岡江久美子の平和呆け面に、言うに言えぬ違和感を覚えるようになってしまった。

子供心に、自分たちはなんてギリギリのラインの上で生きてるんだろうと思って、ゾッとしたし、あれは、『夢』は、私に、トラウマとも呼べるような物を確実に植え付けたらしい。

政府は、なかなか本当のことを言わない。発言が常に、後手後手に回っている。回している。そうして、今日の朝刊の一面には、地震で廃墟と化した場所にただ一人、膝を抱えて泣いている女の人の写真が大々的に使われていて、そこからページを2、3めくると、今日生まれたばかりの赤ちゃんの写真が、母親の真っ白な顔と一緒に、大きく載っていた。

夢はいつもカオスだ。