悪魔の魅力

世界一カッコいい男のスマホケースを手に入れた。

酒も煙草もギターも、この人の影響でやり始めた。「歳をとることは良いことだ」という考え方もこの人を見ていて根付いた。

若い頃は完全なるジャンキーだった。逮捕されて、一生刑務所暮らしになりかけたこともある。あまりにしょっちゅう逮捕されるので、「はなっから捕まっておいてやる」という意味合いで左腕にはいつも手錠の形をしたブレスレットを巻いている。でも、その一方で、音楽に対しては真摯過ぎるくらい真摯で、三日間一睡もせずにギターを弾き続けてぶっ倒れて、ぶっ倒れた拍子にアンプの角で鼻を強打して、強打した鼻は今もなお曲がったままだったりするし、ステージに上がってきた客を「マナー違反だ」と言って、ギターで殴りつけたこともある。

つい最近、70を超えて断酒宣言。理由は「飽きた」。70を超えて初めてシラフでステージに上がったという話を聞いた時には笑ってしまった。それから、相棒のミック・ジャガーに73歳にして8人目の子供ができた時には「奴もそろそろパイプカットを考えた方が良いんじゃないのか?」と余計なことを言って、ミックに怒られて平謝りしたという話を聞いた時にも笑ってしまった。

悪魔も神だということを知っている人は意外と少ないが、悪魔を憐れんで、悪魔に愛され続けている男がいる。

キース・リチャーズだ。

 

 


新曲『口車に乗って』完成

異形。凄いのができた。

初めてギターではない楽器を使って作った。その楽器とは何と…膝。あぐらをかいて、膝を叩きながら作った。わずか2日で曲も詞も出来上がった。

先日、DABADAで演ってからずっと、カホンという楽器の可能性について考えていた。カホンで曲を作ってみたい。でも無い。じゃ、何か別の物で代用できないか?そうだ、膝があるじゃないか。という流れで膝を叩いてみた。するとそこにバルタンさんのギターをバックに歌ったことで自分の中に漂っていたブルースの残り香みたいなものが絡みついた。

膝を叩きながら身体を揺らしてテキトーにメロディーを口ずさんでいると、ファズでゴリゴリに歪ませたベースの音とチープなブラスの音が聞こえてきた。「見えた!」と思って、捕まえて、引きずり出して見てみたらそれはGSだった。それも、タイガースやブルーコメッツのような歌謡曲寄りの王道モノではなくカルトGS。ダイナマイツやモップスが得意とした、R&Bに日本語を乗せて喚き散らすタイプの昭和40年代型ガレージロックだったのである(だから歌詞に「もう二度と恋はしない」というGSの常套句を入れてみた)。

昔からGSは大好きだけど、まさか自分の中から出てくるとは思いもしなかった。

ライヴで爆弾になってくれる事を祈る。

 


ママに捧げた爆裂パンク

昨日は伊丹DABADAのママさんの誕生日。バースデーライヴイベントがあって行ってきた(写真のケーキはうちの奥さんが作ったもの)。

飛び入りで歌う事になった。でも、自分の曲をやるつもりはなかった。最近は新曲制作に没頭していて、過去の曲には一切タッチしていないから過去の曲はできないし、新曲は歌詞カードを見ながらならできたかもしれないけど、どの曲もまだ馴染んでないし、馴染んでない曲を酔っ払った状態でやってグズグズになってしまったら立ち直れそうにないから、あえて歌詞カードを持って行かなかった。代わりに、バーカーズのバルタンさんのギターをバックに「マネー」(ビートルズ)を演った。それから、謎のカホン奏者がステージに上がってきたので、3人で「ジョニー・B・グッド」(チャック・ベリー)を演った。

テキトーな英語にテキトーな日本語を交えて叫び散らした。バルタンさんのギターとカホンは喚き散らしていた。ロックンロールを通り越して、完全にパンクだった。

踊っているお客さんがいっぱいいた。今まで音楽をやってきて、あれだけのお客さんを踊らせたのは初めての事。ママさんも踊っていたので、良い誕生日プレゼントになったのではないだろうか。

再現不可。録音しときゃ良かった。


49

昨日はスタジオの日だった。いつもなら2時間のところを3時間入った。完成した新曲の調整と更なる新曲の制作をやろうと思えば3時間は必要だろうと考えたのだが、実際には調整に3時間費やしてしまい、制作はまるでできなかった。

ここで「全曲新曲ライヴプロジェクト」の途中経過を。

「赤い雨」はすでに完成形に近いと思う。僅かに一ヶ所、ギターの弾き方を考えねばならないところがあるが、そこさえ決まれば完成。「ORANGE」もところどころアレンジを詰めないといけない箇所があるが、これは繰り返し歌っている内に自ずと決まってくるだろうと思う。「先見の明」は、実際に演奏してみて、頭の中にあったやり方では駄目だという事に気付いた。ギターの弾き方も歌い方も考え直さないといけない。でも、現段階で「良い曲になる」という手応えは十分にあるから、時間をかけてじっくり詰めていこうと思っている。唯一、残念なのは「呼吸」だ。煮え切らない。中盤、メロディーと言葉の両方にダレる感じがあり、曲調がダークな事も相俟って、歌ってて気持ち良くない。ギターリフと歌い出しにこそ光るものを感じるけどあとは駄目。というわけで戦力外(ボツ)。

オリジナル曲数が「49」になった。


怜士、フライヤーを飾る

DABADAが月例ブッキングライヴを紹介するフライヤーを制作。そこに俺の写真を加えてくれた。

素直に嬉しい。

拒否反応を示すことも、拒否反応を隠して受け入れているフリをしてくることもなく、真っ直ぐに俺と俺の音楽を受け入れてくれたお店はDABADAが初めてだ。

今のところの俺のやり方として、連続して出させてもらうことはないと思うけど、出させてもらうとなれば毎回全力を尽くして期待に応えたい。

っていうか、あなたも一度DABADAのステージに立ってみては?


歌詞を考えていると何度も何度も壁にぶちあたる。まるで迷路の中を彷徨っているような感じ。ある程度進んで、「もしやこの道で正解か?」と思ったのも束の間、突然目の前に巨大な壁が現れて別の道を探さないといけなくなる。近くに別の道が見つかれば良いが見つからない場合には来た道を引き返して一からやり直さないといけない。

壁にぶちあたらない事を祈りながら歩く。壁にぶちあたったら別の道を探す。別の道が見当たらなかったら来た道を引き返して一からやり直す。これの繰り返し。苦行。

人間、生きていると何度も何度も壁にぶちあたる。それは、世の中が作りだした壁だったり、自分が作り出した壁だったりする。世の中が作り出した壁にはまやかしとまやかしでないものがあって、まやかしはぶち破れば良いが、まやかしでないものは俗に「ルール」と呼ばれるものなので黙って従わねばならない。一方、自分が作り出した壁には自分が作り出した自分の「限界」と、自分を守るためにあらかじめ設置しておいた壁があって、限界の壁はぶち破れるものはぶち破るべきで、自分を守るために設置した壁は、自分の事は自分が一番よく知っていて、その自分が自分を守るために設置した壁なんだから、これをぶち破る馬鹿はいない。

つまり、世の中が作り出したまやかしでない方の壁と、自分が作り出したぶち破れない限界の壁は、ぶちあたったら、別の道を探すか、来た道を引き返して一からやり直すしかない。この場合、別の道を探すにも、来た道を引き返して一からやり直すにも、必要不可欠なのはアイデアだ。創意工夫だ。壁にぶちあたるたびにアイデアを捻り出して、創意工夫して、そうして人間は成長していく。が、中には、「ぶち破れないのなら乗り越えれば良いのではないか?」と考える人がいる。しかしながら、自分が作り出したぶち破れない限界の壁をよじ登って向こう側へ行こうとする人はいない。なぜなら、自分が作り出した壁。壁の意味を知っているだけに、潔くその道を諦めて別の道を探すことになる。ただ、世の中が作りだしたまやかしでない方の壁については、これをよじ登って向こう側へ行こうとする無茶な人がいる。高い高い壁。よしんば登り切れたとしても、降りることができない。足を滑らせて落ちようものならえらい事になる。落ちて、向こう側に落ちて、ギリギリ死なずに済んだとしても、そこに道が続いている保証はない。

アカンもんはアカン。なぜアカンのか。その理由を考えている暇があったら別の道を探せ。何もわざわざ命を危険に晒してまでその道に固執する必要はなかろう。

ということを今回、ピエール瀧の事件を受けて思った。

 

 


順調な仕上がりを見せています

⬆︎一曲目が『グラサージュ』

昨年10月に完成したばかりの『グラサージュ』は前回のライヴで一度やっただけだし、新曲扱いで良いと思う。今のところバラードを書くつもりはないし、でもライヴをやるのなら必ず一曲はバラードが演りたいし…というところに『グラサージュ』はハマる。

これで「呼吸」「赤い雨」「ORANGE」「先見の明」「グラサージュ」と5曲が揃った。あと2曲だ。あと2曲作ったら、そして、それで良いセットリストが組めそうなら、「グラサージュ」以外の6曲の中から1曲を選んで動画を撮って、アップして、それからライヴだ。


新曲『先見の明』完成

先日、危うくボツにしかけた曲を再生させた。

メロディー自体は24歳の時に作った。以降、俺の頭の中に存在し続けていただけで、バンド時代から現在に至るまで、一度もライヴで披露した事はない。つまり、誰も知らない。

歌詞が駄目で、本当に駄目で、歌詞がメロディーを殺していることに気づいて、「先見の明」というテーマだけを残して歌詞を一新、書き換えたらまるで別人。ものの見事に化けた。

昔はスッピン美人に妙な化粧を施していた。今は薄化粧を心掛けている。

男の分際で化粧が上手くなった。

 


ライヴについて

次のライヴは早くても6月ぐらいになると思う。というのも、5曲などと中途半端な事を言わず、全曲新曲でやることにしたから。詞、曲ともに一から作った完全なる新曲と、歌詞やアレンジに納得がいかず長年に渡ってお蔵入りになっていたものにメスを入れて再生させたものを並べて臨むことにした。

連続して曲を作っているうちに「聴かせたい」という気持ちが芽生えてきて、ライヴなるものへの懐疑心が薄れてきた。曲作りに没頭してみようと思ったのはまさにこの心境の変化が狙いだった。

自分はソングライターなんだということを噛み締めてステージに立つ。そして、そこでさらに噛み締めたいと思っている。


背番号「04」

俺はベタな人間ではない。ないが、唯一ベタだと言えるとすれば、阪神タイガースのファンだということである。今年のタイガースはどうなんだろう。個人的には、新外国人マルテが男前なのでそこそこやるんじゃないか?と思っている(昨年、最下位に終わったのはロサリオがブサイクだったからだ)。

ところで、俺はたまに、野球から得た知識を自分の音楽活動に当てはめてものを考えることがある。例えば、セットリストを組む時には「先発、中継ぎ、抑え」という考え方をする。先発向きの曲、中継ぎ向きの曲、抑え向きの曲、というのがあって、それぞれの適性を見極めながら適材適所の試行錯誤に努めるのは監督である俺の仕事なのである。また、オリジナル曲とカバー曲については、オリジナルが「生え抜きの選手」で、邦楽のカバーが「他球団からFA移籍してきた日本人選手」で、洋楽のカバーが「外国人選手」だと捉えている。だから俺は、生え抜きで勝つことにこだわっている監督であると言える。常に1番から9番まで生え抜きを並べて戦っているのである。

プロ野球では、一球団が抱えることのできる選手数の上限が定められている。同様に俺も、自分が抱えるオリジナル曲数の上限を「50」と定めている。50を超えたら支配下枠の問題で、誰かを戦力外として退団させねばならない。最近、「呼吸」「赤い雨」「ORANGE」と即戦力として期待される3選手の入団が決定したので、曲数が52となり、一度も一軍に上がることのなかった(ライヴでやることのなかった)「503」「その男、凶暴につき」の2曲を戦力外とした。同時に、いくつかあったカバー曲についても、佐野元春からFA移籍してきた「ポーラスタア 」以外はすべて解雇とした。

和田怜士監督。背番号「04」は英断の下せる星野仙一以来の「闘将」である。冷徹に選手の力量を見極め、育て、淘汰し、生え抜きの力を信じて常勝軍団に鍛え上げ、頂点を目指す。