黙って本でも読んでろ

甲本ヒロト。音楽はさほど好きじゃない。一音に一語という言葉の乗せ方が生理的に苦手だからである。例外として、ハイロウズ時代の『バームクーヘン』というアルバムは大好きで、死ぬほど聴いたし名盤だと思っているが、他のアルバムには興味がない。が、しかし。しかしである。

恐ろしく頭の良い人だと思っている。一言で真相を射抜いて絶対に外さない、稀有な才能の持ち主だと思っている。そんな彼の発言に以下のようなものがある。

「日本人は音楽を歌詞で聴き過ぎ」

同感。本当にその通りだと思う。たまに、人から良い日本人アーティストがいるから聴いてみてと言われて聴くことがあるがいつもピンと来ない。何故か。俺が真っ先に聴くのはメロディーであって歌詞ではないからである。日本人のほとんどが、歌詞=メロディーだと思っている。歌詞とメロディーを分けて聴くことができない。もっと言えば、音についても歌詞を経由しないと感じ取ることができない。でも、それはあくまで歌詞。歌詞から醸し出されたメロディーと音であって、実際に鳴っているメロディーと音ではない。

歌詞とメロディーと音は本来それぞれが独立しているもので、独立しているもの同士が主張し合って拮抗した時に初めて良い曲と言えるのではないだろうか(ある意味、バンドに似ている)。そして、独立しているものが組み合わさって成り立っているということは、どれか一つを抜いて捉えることもできるということで、歌詞がメロディーと音、全ての役割を担っている曲から歌詞を抜いたらどうなるのかはご想像にお任せするが、俺が人から勧められた日本人アーティストの曲にピンと来ない理由はまさにそれで、歌詞ありきな音楽の聴き方をする人が良いと言って勧めてきた歌詞ありきな音楽から真っ先に歌詞を抜いてしまうからである。

歌詞とメロディーと音。あえて優先順位を付けろと言われたら、俺はメロディー、音、歌詞の順だと答える。言葉が大事なのはよく分かっている。そんなもの、俺が作る曲を聴きゃ分かるだろう。でも、音楽だ。「ベートーベンの音楽をどう思いますか?」と訊かれたリンゴスターが「いいね。特に歌詞が」と答えていたが、そう、クラシックに歌詞があるか?メロディーと音がなければ成立しないが、歌詞がなくても成立する。それが音楽。

メロディーや音よりも歌詞を優先して作りたいのなら物書きになれば良いし、そういったアーティストの作品が好きだと言うのならわざわざ音楽なんて聴かずに本を読めば良いと思う。


苦渋の決断

今月8日のライブ。残念ながら出演を見合わせることにした。

関西でも感染者が増える一方で…当ブログの読者の皆さんならよくご存知だと思うが、俺、準備万端、やる気満々だった。でも、仕方ない。

仕方ない…としか言いようがない。


プレス

毎度の事ながら大量生産不可。でも、一枚一枚、本当に、心を込めてある。

内容もさることながら仕様的にも、個人的には、1500円はめちゃくちゃ安いと思っている。

いつも言うけど、俺だったら買う。


嵐の前の静けさ

昨日、久々にダバダのオープンマイクに顔を出した。

ギターの音の確認さえできれば良かったので、2曲だけ演った。いつもスタジオで鳴らしている音よりずっと良い音が出たのでホッとしてステージを降りた。

開店早々の音出しとあって、店内にはマスターとお客さんが一人いるだけだった。お客さん…といっても厳密に言えば演者で、ステージに上がる準備に忙しそうにしていたので、俺の演奏を聴いていたのはマスターのみ。

怜士×桜怜。伝説の幕開けは恐ろしく地味なものであった。


ビートれいしの時事タックル

国は最大のチャンスを逃したのではなかろうか。「オリンピックを中止します」と言えば、緊急事態宣言なんて比べものにならないくらいの注意喚起、抑止力になっただろうに、オリンピックはやるわ緊急事態宣言は出すわで、「二兎追う者は…」的な訳の分からないことになってしまった。首相は平和の祭典だからとか何とか言ってるけど、一方で人が死んでいくことを思えば戦時中のオリンピックと何ら変わらない状況になってしまった。大体「祭典」って…。今、祭り事はアカンのと違うのか?民間は夏祭りを中止してるぞ。夏祭りだって平和の祭典。例えば盆踊り。今年も踊り子さんたちは踊れない。踊れない踊り子さんたちがTVでアスリートたちの躍動するオリンピックを観ている画って一体何なんだろう。

それから、死者数。数字って曲者だと思う。実感が湧かず、見えてくるものがないのに圧だけがある。以前、たけし師匠が映画について語ったインタビュー記事の中で「刃物と違って、銃で殺すというのは殺しているという実感がない」って言ってたけど、この銃と数字は同じ匂いがする。オリンピックを開催するという銃の発砲があって、人が死んで数字が増える。恐ろしいことに、どこにも実感がなくて、殺す側と殺される側の実体もない。実感がなくて実体もないと言えば…これはこれで、デジタルなるものが人の生活と頭に猛烈な勢いで侵食してきたことの弊害なのかもしれない。今度のワクチンだって、人類が初めて身体に入れるもので遺伝子に作用するってんだから、開発されるまでの異常なスピードを踏まえて見ても、相当にデジタルの匂いがする。

話を本題に戻して…本当は政治的なことを書くのは好きじゃないし、控えたいところだけど、世の中、子供でもわかるくらい…つまり、俺でもわかるくらい破天荒なことになってるから書かずにおれん。一体何なんだこの国は。国民にはあれを我慢しろこれを我慢しろと言いながら、おのれにオリンピックを我慢するつもりは微塵もない。平和のため?アスリートのため?嘘をつけ。お前の見栄のためだろう。以前にも書いたけど、これ、国家だから許されてるだけで、一個人だったらこんなわがままな奴、誰にも相手にされんよ。

ま、実体がないからシバくにシバけんけどね。


化け散らかす好敵手

昨日、久々にライブを観に行った。会場は毎度お馴染み伊丹DABADA。みこみかんさんが出演するというので足を運んだのである。

観るたびに良くなっている。伸び率が半端なくて、毎回化ける。エラそうなことを言うつもりはないけど、音、選曲、セットリストの組み方、座ったり立ったりといった見せ方、全てに「もっと良くしたい」という姿勢が窺えて、事実、良くなっている。前回観た時はMC無しだったが、今回はMC有り。それも、行き当たりばったりに喋るのではなく、しっかりと練ってきていた。これが地に足が着いている感じというか、凛とした感じ、自信を感じさせる雰囲気に繋がっていた。隅々までしっかり作り込んであることが伝わってくる貫禄のステージだった。

「12月のイベントは音楽大戦争になります」とみこさん。だね。みこさん、バニーさん、俺。三つ巴。全力で闘って、闘いながら最高の時間と空間を「共作」できたらと思う。

手加減しない。


俺にまつわる証言集

自分で自分がどういう人間なのかをわかっている人なんてほとんどいないと思う。それに、自分の思う自分と他者から見た自分が必ずしも一致するとは限らない。とはいえ、やはり、他者の目に自分がどう映っているのかを知ることが、自分のことを知る上で貴重な参考資料となることは間違いない。

他者の目に俺はどう映っているのか。過去に様々な人たちから言われた言葉を思い出して書き出してみようと思う。意外と面白いかもしれない。

「動物に例えるとニホンカモシカ」by親父

気が付いたらいて、気が付いたらいなくなっているからだと言っていた。

死んだら泣く人が意外に多そう」by幼少期からの幼なじみ

「意外に」が余計。

「策士」by介護士時代の先輩

自分の思う自分とのズレ。

「小学生」byシスターマロン

自分の思う自分との一致。

「外人」by親しくしているアーティスト

ストレートな物言いをするかららしい。

言いたいことをハッキリ言わん」by不特定多数

外人じゃなかったのか?

「典型的なO型」by高校時代の女子

これを言われて献血をして血液型を調べたら本当にO型だった。

「何でも出来るのに何も出来ないと思っている人」by介護士時代の上司

人生は自信の有無にかかっている。

「供給過多なものに興味を示さない」by現職場の同僚

愛着が持てんからな。

「アイデアマン」by介護士時代にお世話になったパートのおばちゃん

アナログ人間から発想力を抜いたら何が残る?

「人間観察師」by大阪のレンズ工場で働いていた時の同僚

自己防衛本能の為せる技。

「ツンデレ」by素性の知れない変態

否定はせん。

「君みたいな奴が自由に発言できない学校って一体なんなんだろうね」by高校時代の先生

学校はまだマシだった。

「恐ろしく気が利かない」by幼なじみ

その代わり人に対して「気が利かない」とか思わない。

「例え話が下手」by幼少期からの幼なじみ

お前にど真ん中の直球しか受けられないキャッチャー相手にボールを投げるピッチャーの気持ちがわかるとは思えない。

「臆病」by親父

「でもそれは想像力があるからや」と続く金言。

「一本、筋が通ってるのはわかる」byお義母さん

初対面。お義母さんの第一声がこれだった。

「(恋愛に関して)破天荒」by介護士時代の後輩

正攻法ではどうにもならんからな。

「よくわからない」by不特定多数

人をプログレみたいに言うな。


アホに願いを

もし、あなたの目の前に坂田利夫みたいな風貌をした親指寸の神様が現れて、「大それた願いは叶えてやれんけど、ささやかな願いやったら叶えたんで」と言ってきたら、どんな願い事をするだろう。

俺の場合、願いは一つ。

「雷を怖がらない人間にして下さい」

雷。幾つになっても…っていうか、歳を重ねるごとに恐ろしさが増していく。死ぬほどゴキブリが苦手な友人に、玄関へと続く廊下にゴキブリの死骸があって、その日一日外出できなかったという奴がいるが、その気持ち、痛いほどよくわかる。俺も、雷が鳴ってたら家から一歩も外へ出ない。ああ、面倒臭い。こんな自分が面倒臭くて仕方ない。

人生とは何か。俺の親父が出した結論は偶然にもジョージ・ハリスンと同じで「変化」だった。「成長」だとすると「老い」に説明がつかない。だから、人には変化だけがあって成長も老いもない。そう言っていた。

人は変化する生き物。本当にそうなのだろうか。俺に雷が怖くなくなる日なんて来るんだろうか。いつかそんな日が来るという希望を持ちながら生きていても良いのだろうか。「アカンかもしれん」という懐疑心を抱きながらの希望や祈りほど無力なものはないのに?

笑いたくなるのはよくわかるし、笑われたとて頭に来たりはしない。でも、かなり切実な悩みであることは確かなのだ。人知れず、自分の中から聞こえてくる「いい歳して」「男のくせに」といった類の言葉に苛み続けねばならない。

坂田利夫みたいな風貌をした親指寸の神様。頼む。俺の願いを叶えてくれ。叶えてくれたら嬉しい。嬉しい…よな?あれ?なんか腑に落ちない。考えてみれば、願いを叶えてくれるということはつまり、利夫が俺のこの願いを「ささやか」だと思っているということ。

アカン。悩みが悩みだけに、神様が神様だけに、どう転んでも腑に落ちん…。


ギター小僧日記

どうにもこうにも思い描いているような音が出ず煩悶としていたのだが、遂にその原因が写真下のデカいアンプにあることが判明した。上下ともフェンダーのアンプで、ルックスも似たような感じなので、大は小を兼ねるとばかり、下のやつばっかり使っていたのだが、ふと思い立って上のやつに繋いでみたら一発で問題が解決した。

下のやつが名機だと言われていることは以前から存じ上げている。が、それだけに我が強く、こちらの言うことを聞いてくれない。金属的な音がする。鉄製のスプーンやフォークが銀歯に当たった時のような不快な響き。個人的に「尼崎工業地帯の音」と呼んでいる。それに比べて、小さいやつは小さいだけあって謙虚で、こちらの言うことを聞いてくれる。俺だけではなく、ギターやエフェクターに対しても謙虚な姿勢を崩さず出しゃばってこない。あくまで縁の下の力持ちに徹してくれるので、ドラマーに例えるとリンゴスターに似ているし、接客業に向いている。

リンゴスターが接客業に向いてるかどうかは知らない。


梅雨に痺れて

先日、練習を終えてスタジオを出ると、店長がいつものようにラジオを聴いており、流れてきた曲に「お!ええ曲や!」と驚いて、急ぎ、DJが言ったアーティスト名と曲のタイトルをメモった。

ザ・プリテンダーズ。知ってる。昔から知っているが、クイッシー・ハインドという姉御が率いているということ以外には何も知らない。曲も全く知らない。でも、なんか、凄く良い曲だ。アメリカの匂いがするけど、何かが違う。調べてみたら、クイッシーはアメリカ生まれではあるが記者になるためにイギリスに渡って、イギリスで組んだバンドがプリテンダーズなので「イギリスのバンド」とあった。なるほど、やっぱり。ストンと腑に落ちた。

曲名は「I’ll stand by you」

一人スタジオに篭って黙々と練習する。もちろん、好きなことをやってるんだから楽しいんだけど、いつも、言うに言えない一抹の寂しさがある。ましてや、外は梅雨でしとしと雨が降ってるんだから、いつにも増してセンチメンタル。そこにこの曲が聴こえてきたんだから堪らないものがあった。タイトルもタイトルだし。

良い曲だ。どこか突き抜け切らないメロディーが良い。割と売れたんじゃないか?と思って調べたら全米16位、全英10位で、「割と」どころではなかった。