大口叩きの雷太鼓

「今さらオリジナリティのあるものなんて出てくるわけがない」なんてことを頭ではなく細胞レベルで思い込んでしまっているような奴らの前に突然オリジナリティのあるものが出てきたらそいつらは何て言うのか。こう言うに決まっている。

「わからない」

己の知識の乏しさを棚に上げながらその乏しい知識の範疇でしかものを見ることのできない輩を相手にしてイライラすることのなんと馬鹿馬鹿しいことか!

考えてみれば、アーティストとしては「わからない」と言われている間が華。あいつらに「いいね」なんて言われるようになったらそれこそ終わりだ。

さあ、気を取り直して闘おう。やっぱり俺は闘わねばならんし闘いたい。馬鹿みたいにヨダレ垂らしながら「楽しいな♡嬉しいな♡」では楽しくも嬉しくもない。分かっている。あくまで俺の中での闘いだ。なにしろ「わからない」奴らは自分が負けたこともわからんし、負けて殺されても自分が死んだということすらわからんのだから。

これまでとは別のやり方でさらに圧倒的に。分かりやす過ぎるくらい分かりやすく圧倒的にいかないと。律儀に回りくどく式を与えるんじゃなくて、無愛想にいきなり答えを食らわせないと。式を与えて「分かるよな?」ということの無駄はもう痛いほど思い知った。

人間、雷に打たれたら死ぬ。即死。綺麗さっぱり何も残らないという。どうせ殺すのならそのくらい圧倒的にいきたい。


苦悩

できるかどうかわからない12月のライブを最後に伊丹を離れる。と言って、その後、どこで何をすれば良いのかさっぱりわからない。どうせ、どこで何をやってもまともに評価してもらえはしないだろう。

情けないことに、最近はギターを弾く気にも曲を書く気にもなれずにいて、実は、結構滅入っている。が、誰に相談すれば良いのか。誰が話し相手になってくれるのか。誰が分かってくれるのか。薄情な嘘つきばっかりで楽しくも嬉しくもない。ただ苛々するだけ。

音楽。恐ろしく頭の悪い女。でも、誰よりアンタのことを好きなのは俺。

頼むから、ぼちぼち助けてくれ。

もたん。

人が本気で悩んでるのにいちいちヘラヘラ笑うな!


『waterfall』解説

曲は俺と同じような立場で音楽やってる人たちに対する憤りの塊で、彼らのことを吐き気がするほど嫌いな2つの曲、岡本真夜の「TOMORROW」と槇原敬之の「世界に一つだけの花」に登場する花になぞらえて歌っている。「ナンバーワンこそオンリーワン」のくだりは、俺と同じように「世界に一つだけの花」の歌詞に違和感を覚えるというイチローの発言から引用した。

音には初の試みとして全体的にエフェクトを効かせてある。使用したのはフランジャーというエフェクターで、寄せては返すジェット音みたいな効果がある。しつこくならないように注意して、薄くしかかけていないが、ギターを歪ませると同時に適度に効果が強まるという予期せぬ現象がこの映像のサイケデリック感に繋がった。

特筆すべきはなんと言っても映像全体を覆うサイケデリックな模様。これを見て「おお!遂に怜士もデジタルを駆使するようになったか!」と思われた方もあるかもしれないがさにあらず。んなわけがない。デジタルは俺にも使いこなせる範囲で道具として扱っただけで、根幹を成すのはやはりアナログ人間の工夫である。では、このサイケデリックな模様の正体は一体何なのか。明かすとしよう。コレである。

そう、俺が描いたイラスト『仮面』。これを8%の薄さにまで透かしたものを5枚用意して、不規則な向きで重ね合わせたものを映像に貼り付けたのである。我ながら秀逸なアイデア。「もっと良くなるはずだ」という希望的観測を実際に良くなるまで諦めなかったことの成果と言える。

もう一つ、特筆すべき点は俺の表情。完全に無意識なのだが、「くたばれ世界で一つだけの花」(韻を踏みたい気持ちが昂じて「世界に」ではなく「世界で」となっている)のところでニヤッと薄ら笑いを浮かべている。

だから言ったろ?「悪魔と呼んで」って。


変態の刑

変態。本来の意味は、おたまじゃくしがカエルになったり、芋虫が蝶になったりすることを言う。

カエルや蝶が自らの力で変態するのに対して、俺は我が奥さんの手によって変態した。

「興味ないね」みたいな顔をしつつ、「髪の毛は赤でお願いします」とちゃっかり注文を付けている自分がいた。

待ち受けにいかが?

 


希望的観測気象台

ネット上でサポートメンバーの募集を開始してから2ヶ月近くが経過した。

今のところ、募集記事の閲覧回数が350。実際に連絡があったのが2件。うち一件は30代のベーシストで、1曲分だけ動画を見たが、なるほど、腕に覚えありといった感じ。もう一件は非常に若い子たちで既にバンドの形態を成しているが、まだ連絡を取り合い始めたばかりで、映像や音源は確認できていない。いずれも募集を開始してから1ヶ月が経過して以降の反応だったし、閲覧してくれている人たちの顔触れや傾向が徐々に変わってきており、少しずつではあるが俺寄りになってきているので、今後も根気強く朗報を待ち続けようと思っている。

引き続きソロでの活動を軸にしていくつもりではあるが、並行して、何か違ったことがしたいという気持ちが芽生えてきた。静かに、刺激を求めている。そこへ、季節変わりを知らせる風のようなものが微弱ながら吹いて来ているように感じる今日この頃。

雲が流れていく。

 


精悍なる諦観

かなり早い決断ではあるが、10月のイベントへの出演も取りやめることにした。

基本的に、ライブって無理矢理やるもんじゃないと思っている。で、10月の出演について俺の中に無理矢理感がないと言えば嘘になる。今、無理にライブをやると、観に来てくれる人たちにも無理を強いてしまうことになる。これは違う。違うと言い切れる。だから、早々に決断した。

頭を切り替えて、照準を12月一点に絞る。12月を念頭に置いて曲作りに励む。エフェクターの勉強もしたい。万が一、12月のライブも流れて、今年は一本もライブができなかった…ということになったとしても、ここで作った曲や知識が今後に活きる。

晴耕雨読。ライブができないだけの話で音楽ができないわけではない。

前向きにいこう。


幻のセットリスト

と、こんな感じでやるつもりだった。

「ストーカー 」をやるか「バンドマン・ロック」をやるかは、お客さんの反応を見て決めようと思っていた。それから、ベスト盤からの選曲を軸にしつつ、約20年振りに「クリスティン」をやるつもりでいた。

8月の気分と10月の気分が同じだなんてことはありえない。10月は10月で、10月の気分に沿ったセットリストで臨む。


フィナーレを残して

以前にも書いたように、故郷は故郷、一生戻ってこないというわけではなく、いずれまた戻って来たいと考えてはいるが、ひとまず10月と12月のライブで伊丹での活動に幕を下ろすことにする。2018年以降、伊丹を軸に活動してきたが、思うような評価を得られず、全くと言って良いほど状況が変わらなかった。今後に期待できるものもない。見切りを付けねば。

本当は8月10月12月と毎回セットリストを総入れ替えしながら30曲近くやって「ほなさいなら!」といきたいところだったのだが、8月が流れて、10月と12月も両方できる可能性はかなり低いと見ている。3回ともできなかったら…ま、それはさすがにないと思うけど、万が一そうなったらそれはもう仕方ない。よほど縁がなかったんだと思って綺麗さっぱり諦める。

本音を言えば、そりゃ、やりたい。1回だけでもいいからやりたい。伊丹が俺をつまみ出すんじゃなくて、俺が伊丹を見限ったんだと感じてもらえるような完璧なライブをやって「ほなさいなら!」といきたい。

糠に釘。糠に釘。糠に釘。イライラし疲れたよ…。