これまでのところ、ソロのアーティストに限って言えば、俺が「素晴らしい!」と思ったのは僅かに三人。そのうちの一人がヒラタユウイチさん(写真)で、今回、俺のラブコールに応える形で9月9日のライヴに出演して頂けることになった。
ずっと勝負してみたいと思っていた。遂に念願が叶った。DABADAに出入りするようになっていなかったら、この胸躍る激突はもっともっと先の話になっていたに違いないし、下手すりゃ実現しなかったと思う。
これでいい。
俺のとった進路に間違いはない。
これでいいのだ。
これまでのところ、ソロのアーティストに限って言えば、俺が「素晴らしい!」と思ったのは僅かに三人。そのうちの一人がヒラタユウイチさん(写真)で、今回、俺のラブコールに応える形で9月9日のライヴに出演して頂けることになった。
ずっと勝負してみたいと思っていた。遂に念願が叶った。DABADAに出入りするようになっていなかったら、この胸躍る激突はもっともっと先の話になっていたに違いないし、下手すりゃ実現しなかったと思う。
これでいい。
俺のとった進路に間違いはない。
これでいいのだ。
俺、これ、リアルタイムで見てた。
宗教って俺にはよくわからない。あんまり興味ないし。ただ、「信仰」って、人間にとって、物凄く大事なものだとは思ってる。
俺が「ロックを信仰してる」って言ったらみんな笑うんだろうけど、これは本音。だって、もしロックがなかったら俺、遠の昔に死んでるだろうし、ロックってただの音楽の形じゃなくて姿勢の問題で、俺にとって大事なのはまさにその姿勢の部分。だからこそ、子供の頃からビートたけしという人が好きで…音楽的な形としてのロックなんて二の次三の次。
ま、とにかく、この映像を改めて見て思うのは、「崇められたい」人の鬱憤は外に向かうけど、「崇められたくない」人の鬱憤は内に向かうんだろうなということ。
左の人は身の程を知らなさ過ぎて、常に「過小評価されてる」という被害者意識のようなものがある。対して、右の人は身の程を知り過ぎていて、過大評価に苦しんでる。俺は「過大」だとは思わない。でも、世の中には俺みたいな人間がわんさかいて、右の人を苦しめてる。
左の人は生きたい人。
右の人は死にたい人。
俺は、生きたい人。
昨夜もダバダさんで歌ってきた。
<セットリスト>1.道化師の息子 2.モナリザ 3.SURFBLUE 4.ドライフラワー 5.伊丹DABADAで逢いましょう 6.復活の予感 7.ガガーリン 8.孤高 9.ポーラスタア 10.未来へ 11.AND I LOVE HER 12.ALL MY LOVING(11、12はビートルズのカバー。澤英児さんのギターをバックに)
新しい曲が半分。古い曲が半分。言葉に重点を置いた選曲でやってみた。「公開試行錯誤」みたいな事の出来る場所が家の近所にあるというのは本当に有難い。
<open/start>17:30/18:00
<charge>¥1500(1drink付)
<with>oisoju 他
地元伊丹での2度目のライヴが決定した。セルフタイトルはたまにはちょっとカッコ良く「THE WORDS」。前回はインパクト優先の選曲でロックンロール一辺倒だったけど、次回は言葉に重点を置いた選曲で、じっくり歌い上げる感じでいこうと思っている。
選曲をあまり変えずに、同じ曲を繰り返しやって曲を覚えてもらうのも大事な事なんだけど、ガラッと趣向を変えて、別の顔を見せて、懐の深さなり、引き出しの多さなりを見せるのも凄く大事な事で、今回は後者を選んだ。
気に入ってるのにやってない曲が山ほどある。レアな曲を並べて、蔵出し的な感じもアリかなと思っている。
昨日、ダバダさんで歌ってきた。
1.妄想狂冥利 2.バタフライ 3.SURFBLUE 4.ハングリーマン〜恋の尊厳死〜 5.ポーラスタア 6.伊丹DABADAで逢いましょう 7.果物をてんこ盛った巨大なケーキ 8.未来へ 9.モナリザ
妄想狂冥利をやる前に「20歳の時に書いた曲をやります」って言ったんだけど、久しぶりに歌ってみて、歌いながら、「あ、俺、やっぱり天才だ」と思った。
だって、どう考えても、20歳の人間が書ける曲じゃないよ。
以前にも書いたが、数年前、ちょっと病んでいた時、心療内科で箱庭療法というのを受けたことがある。写真のように、部屋の真ん中に白い砂の入った箱があって、その箱を取り囲む棚の上にありとあらゆる小物が雑多に並べてあって、受診者は思うがままに小物を選んで砂の上に並べていくのである。もちろん、砂自体を動かしても良い。
あの時、俺が棚に並ぶ小物の中から選んだのは拳大のガラス玉一つだけだった。それを砂で作った山の頂に乗せて、それから、山の周りに丸く外堀のような溝を作って「できました」と言った。
あれで何がわかったのかは知らない。教えてくれなかったから、相当残念な結果だったのかもしれない。ま、今となっては別にどうでもいいんだけど、一つ興味深いのは、もし今、もう一度あれをやったとしても全く同じものを拵えるだろうということだ。
どうせ、小物は一つしか使わないだろうし、選ぶとしたら無色透明の丸い物だろうし、砂で出来る限り大きな山を一つ作るだろうし、外堀を作るだろうし。
これは一体何を意味してるんだろう。病んでようが病んでまいが変わらず俺の中にある何かの現れなのではなかろうか。自分じゃさっぱりわからないけど、わかる人がいて教えてくれるというのなら教えて欲しい。
昨日、新曲『伊丹DABADAで逢いましょう』が完成した。作曲と作詞を並行して、約2時間ほどで完成に漕ぎ着けた。
出来る限り時間をかけないこと。これを自分に義務付けることで、曲は閃きに任せたシンプルなものになるし、言葉は誰にでも理解できるストレートなものになるーということを『果物をてんこ盛った巨大なケーキ』を作った時に学んだので、もう一度挑戦してみた。
以前から、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」とか「ペニーレイン」とか、ビートルズみたいに自分にとって思い入れのある場所をタイトルにした曲を書いてみたいと思っていた。歌詞は、「今まで、俺には帰る家があっても俺の音楽には帰る家がなかった。でも、遂に見つけた」といった内容で、柄でもなく「涙を拭って」「自分を信じて」などというフレーズが登場するが、俺が人に向かってこんな言葉を吐くわけがない。過小評価の雨にさらされてきた自分の音楽に対して投げ掛けた言葉だ(歌詞の中の「いわれのない雨」とはつまり、そういう意味)。
メロディーは、最初に浮かんだメロディーをボツにして、ボツにしたメロディーと一緒に閃いたピアノのフレーズをメインに持ってきた。サビのコード感はロック。でも、サビ以外はポップ。シンプルなようで、実は結構ひねくれている。
前奏なし、間奏なしの3分間ポップナンバー。歌ってて気持ち良いんだから、きっと良い曲なんだろう。
電話かけること40回。
リアムの9月の大阪公演の2階指定席のチケット予約が取れたああああああああああああああああああ!
あ?
ああああああああああああ!
あ〜あ…。
ああああ〜ああ、ああ〜あああっあ、ああああああああ〜あああっああ、あああああ!(訳:声の調子がわりぃとか言って3曲とかで帰りやがったらブチ殺す!)
ある人が言った。「私の家ね、軒先にアシナガバチが巣ぅ作りよるんです。業者に頼んで駆除してもまたすぐ作りよるんです。アシナガバチが来ぇへんようになるええ方法、何かないですかねえ?」
「僕、ええ方法知ってますよ。知りたいですか?」答えると、その人は身を乗り出して食い付いてきた。「え!?知ってはるんですか?」「知ってますよ。アシナガバチが絶対に来なくなる方法でしょ?知ってますよ」「お金かかりますか?」「かかりません。ただ、少し気合いがいります」「気合いには自信があります。是非教えて下さい!」「あのね、アシナガバチが巣ぅ作る場所っていつもだいたい決まってるでしょ?」「はい」「そこにね、スズメバチの巣ぅぶら下げるんです」
いや、そうじゃねえだろう…と思った。