登場!マルちゃん

職場のおっちゃんから譲り受けた。

50年前、ハワイアンバンドで弾くために月給をはたいて買った非常に思い入れのある品だそうで、ずっと後継者を探していたのだそうだ。

ケースを開けた瞬間、腰を抜かしそうになった。fホールで、ケツがデカくて…まさに俺の「タイプ」だったのである。

磨いて、弦を張り替えて、ガイーン!とやったらどデカい音が出て、うちの奥さんが隣の部屋に避難した。避難しながらも、「ええ音!」と言った。

おっちゃんへの最高のお返しはこのギターをライヴで使うことだと思うから、ベストな弾き方を習得したら(ピックアップを付けるべきか否かとか色々と検討中)使い倒してやろうと思っている。

俺はいつもギターに名前を付ける。「マルハ」というメーカーのギターなので「マルちゃん」と名付けたが、音は全っ然マルちゃんではない。


組曲『綺麗な動物』解説〜②綺麗な動物

組曲の軸となる表題曲であり、いわば組曲に組み込まれた組曲であって、この曲自体がいくつかの曲の断片を繋ぎ合わせて成り立っている。この曲がなかったら、7つの曲をひとくくりにして一つの作品にするという発想は閃かなかったと思う。

FLOWERS IN〜がフェイドアウト気味に終わったところへ間髪入れずにニルヴァーナ調のギターリフを叩きつける。でも、ニルヴァーナ調なのは曲の冒頭と終わりに出てくるギターリフだけで、メロディーは柔らかくせわしなくあちらこちらへ動き回る。そして、「プライドを捨てて地雷を踏め」のところがピークかと思いきや、ここを踏み台にしてさらにピークがやってきて、中盤には「あれ?」と思うくらい穏やかな箇所があって、そこからまた一気に荒れて…という、俺の精神構造の縮図のような曲。

サビらしいサビがなくて、つまりはサビに頼っていないところが気に入っていて、この曲をもって俺もいよいよ天才呼ばわりされることになるのかなと思っていたのだが、今のところ誰からも天才呼ばわりされていない。

生まれてくる国を間違えたか?


組曲『綺麗な動物』解説〜①FLOWERS IN THE DIRT

ライヴのセットリストを組むというのはまさに「適材適所」を考えることであって、中でも、最も苦心するのが一曲目で、俺も色々と試行錯誤を重ねたのだが、結果、『綺麗な動物』という組曲が誕生するにあたって、序曲の座を射止めたのはこの曲だった。

イントロのギターは音を鳴らしている部分以上に、音を鳴らしていない「間」の部分に意味がある。間の部分の緊迫感が照明の暗転と相まって、前のバンドが終わって散漫になっている客の注意力をグイッとステージ上に呼び戻してくれる。そして、さっきまでざわついていた客席がシンと静まり返る。

客が静まり返ったのを合図に、イントロと同じコード進行から間を取っ払った音の塊を叩きつけて、組曲の開演を告げ、歌い始める。

メロディーは俺が最も得意とする、俺だけがビートルズっぽいと思い込んでいるタイプのもの。また、短い曲ながら展開が緩急に富んでいて、動と静がせわしく交互するので、冒頭の緊迫感を持続させたまま、気分を高揚させていくことができる。

組曲の序曲としてこれ以上の曲はないし、何度やっても飽きないし、この曲を書いて本当に良かったと思っている。


次回ライヴ情報

『すだち』

2018.1.30.tue 扇町para-dice

<open/start> 19:00/19:30

<adv/door> ¥1200+1drink

<act>キタ(than)、バニー・マツモロ、和田怜士、s.ilver

※ライヴハウスのHPに一点、不明な点があり、ひょっとしたらもう一組増えるかもしれず、そうなるとタイムテーブルも変わってくるのだが、おそらくはこの4組で決まりで俺の出番は2番ということになると思う。

俺は今回も組曲『綺麗な動物』で挑もうと思っている。『綺麗な動物』を演るのはこれで4度目だが、まったくもって飽きが来ず、やるたびに変化や進化を感じているものをわざわざ変える必要もないだろう。

40歳最後の日。有終の美を飾って、胸を張って先へ進む。


好きじゃないバンド名10選

⬆︎わけのわからない名前のバンドは、アルバムジャケットもわけがわからない。

THE ALMIGHTY(ジ・オールマイティー)

自分で言うなと思うと同時にハードル上げ過ぎだと思う。上げ過ぎたハードルを前にして力み過ぎたがゆえの「ぢ」なのかなと思う。

THE BEACH BOYS(ビーチ・ボーイズ)

ダサ過ぎて話にならない。

THE 52’s

読み方がわからないし、わかりたくもないし、どうしても「ごじゅうにず」と読んでしまうから嫌い。

GREEN DAY(グリーン・デイ)

音楽は好きだけどバンド名は0点だと思う。

radiohead(レディオヘッド)

このバンドも音楽は大好きなんだけど名前が…。頭の良い人にしかわからない笑いみたいで苦手。

THE MUSIC(ミュージック)

全っ然おもろない奴が全っ然おもろないことを大きな声で言うてる感じが嫌。

THERAPY?(セラピー?)

癒し?って言われても答えに困る。だいたい、名前に「!」や「?」は使うべきじゃない。「山田よしお?」って名前の奴がいたら嫌だろう。「知らんわ!」としか言いようがない。

!!!(チック・チック・チック)

…。

THIN LIZZY(シンリジィ)

竹藪か!と言いたくなるくらい棒が並んでるようにしか見えない字体が嫌なら、やたらと母音が「い」なのも嫌で、バンドのルックスも嫌。

RAINBOW(レインボー)

ハードロック/メタル系には残念なものが多い。その中でも特に残念なのがこれ。ダサいにもほどがある。「Deep Purple」の生みの親が名付けたものとは到底思えない。


好きなバンド名10選

Deep Purple(ディープ・パープル)

バンドの音楽とイメージを表現し切ったバンド名界の傑作。字体もこのように頭だけ大文字にすると凄く綺麗。

sonic youth(ソニック・ユース)

「sonic」と「youth」。単体で十分カッコいいものを合体させてあるんだから、そりゃカッコよくて当然だと思う。

Teenage Funclub(ティーンエイジ・ファンクラブ)

名前だけでギターポップ・バンドだとわかるから凄い。個人的にはこれも頭だけ大文字にした時の字体が好き。

U2(ユーツー)

一つのアルファベットと一つの数字を合体させる場合、この組み合わせ以上にカッコ良く仕上がるものはないと思う。

THE VELVET UNDERGROUND(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド)

これもsonic youth同様、単体で十分カッコいい文字同士を合体させたパターン。音もカッコ良くて、発音すると気持ちいい。「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが好き」って言うロック好きが多いのはただ「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」って言いたいだけのような気もする。

menswear(メンズウェア)

ブリットポップ最後の華。シングルで散々期待させておいて、満を持して出したファーストアルバムで大コケして消滅したグズグズのバンドだったけど、名前は今でも好き。これは全部小文字でないといけない。

MARCHOSIAS VAMP(マルコシアス・バンプ)

日本のバンドとは思えないアメージングな言葉のチョイス。音楽もこのミステリアスな響きの名前に相応しいエキセントリックなグラムロックだった。ベーシストが変態のジュリーみたいだった。

northern bright(ノーザン・ブライト)

これも日本のバンド。昔、「ジャケ買い」ならぬ「名前書い」をしたのだが、音やルックスは期待通りUK寄りだったものの、曲がひとつも良くなかったので金返せと呟いた。

LED ZEPPELIN(レッド・ツェッペリン)

自分のバンドを組んで、ライヴハウスに音源を持っていって、店の人に「バンド名は?」と訊かれた時に、「レッド・ツェッペリン」と答えることができたらどんなに気持ちいいだろうと思う。

THE BLACK CROWES(ブラック・クロウズ)

「黒いカラス」って、カラスは大抵黒いと思うのだが、「THE CROWES」ではアカン。やはり「THE BLACK CROWES」じゃないとアカンのだ。ちなみにこのバンド、カッコいいのは名前だけじゃない。音楽もルックスもめちゃくちゃカッコいいのだ。昔、オアシスとジョイントツアーしてたけど、雰囲気が完全にジャニーズ事務所と吉本興業だった。


友達に顔を

たかがFacebook。されどFacebook。

Facebookをやってると、人が、人間関係というものをどう捉えているのかがよくわかる。

俺みたいに、Facebookの「友達」を、あくまで「Facebookの友達」だと割り切れない奴は稀で、皆、俺にしてみれば不思議なくらい、上手く割り切っている。仕事で、円滑な人間関係の為にやっている人が社会人らしく綺麗な割り切り方をしているのはわかるけど、あくまで私的に、個人的感情の下でやってる人が見事に割り切った使い方をしているのには驚かされる。とはいえ、俺だって、Facebookの「友達」が本来の友達とは意味合いが違うことくらいわかっているし、それなりに使い分けてるつもりだけど、それにしても、世間一般と比べると、割り切り方がシャープではない。デジタルではない。俺の思考回路はデジタルなものを扱うにはアナログ過ぎるのかもしれない。

人は、何百人、何千人と「友達」が存在する状況を異常だとは思わない。そして、そうやって、掃いて捨てるほど「友達」がいるにも関わらず、「いいね」等のリアクションが、「ちゃんと見てるよ」という気持ちの表れが、20とか30とかしかないことに疑問を感じることもない。また、自分が幾度となくリアクションをした、元はと言えば「友達になって下さい」と言ってきた相手からの自分の記事に対するリアクションが一切なくても少しも腹を立てず、相手の人格を疑うようなこともない。

皆、器がデカいというか、落ち着きがあるというか、薄情というか…どんだけ人間できとんねんと思う。

俺はどうしても、「友達」と呼ぶ以上は…などと考えてしまう。同時に、余計な人間関係ほど重く、面倒なものはないから、「質より量」的な考え方はもってのほかで、理想的には「質も量も」だが、それはあくまで理想論なので、「量より質」的な考え方を良しとしてしまう。結果、「要るものは要る。要らないものは要らない」という、断捨離の考え方を人間関係に持ち込んで、押し進めて、「少数精鋭」という言葉があるのを良いことに、じゃんじゃんじゃんじゃん人との関係を断ってしまう。この辺の見限りの速さ、シャープさは人一倍デジタルなんだけどな…。

ま、俺は俺なりに自分の中の常識や道徳に基づいてやってるわけで、一概に間違えてるとは思わないんだけどね。ただ、他の人たちとの認識のズレがあまりに甚だしいものだから、時々、気になるんだよね。でも、一つだけはっきり言っておきたいのは、俺が「友達」と呼ぶ人たちは、それが本来の意味の友達であれ、Facebookの友達であれ、数として捉えることなく人として捉えている、自分にとって意味があると思っている人たちだけだということなんでございますよ。


初夢

夢に兄貴が出てきた。

夢の中で俺と兄貴はめちゃくちゃ仲の良い友達だった。

雨が降ってきて、兄貴は外に置きっ放しになっていた物を次々とビニールでできたテントのような小屋の中に避難させていた。

俺はその手際の良さに感心しながら、用事を思い出して少し兄貴から離れた。と、その瞬間、空から猛烈な勢いで渦巻く透明の雷のようなものが落ちてきて、兄貴のいるテントを直撃した。

ゔわあああああああああああああああああ!

うなされて目が覚めた。

目を覚まして、身支度を済ませて家を出て、雨の中、傘をさして職場へ向かう道中、安否確認をするかの如く、兄貴のニューアルバムを爆音で聴いた。

生きていた。


「いい人」について

俺の大好きな野村克也さんの新しい本、名言集みたいな本がコンビニに並んでいたので立ち読みをしたら、「そう!そうやねん!!」と唸ってしまう、震えるほど嬉しい一言があった。

「いい人」は信念に欠ける。

先日、ある友人が「何が嫌いって、八方美人な奴が嫌いや」と言って、あまりに同感なので笑ってしまったのだが、なぜ八方美人が嫌いなのかと言えば、そう、まさに「信念に欠ける」からで、なぜ信念に欠ける人間が嫌いなのかと言えば、常にどっちつかずで信用できひんからなんだよなと思った。

「いい人」は信念に欠ける。

さすがは名捕手。外角低めにビシッときてる。