「バリむかつくわ」とか「バリわらうわ」とか、バリバリバリバリやかましい奴とは友達になれない。
秋の遠征を終えて
秋の遠征は、店の内外で嵐が吹き荒れた。外では台風21号が、内ではさだまさしが猛威をふるった。
1番手のバンド、2番手の弾き語りともにさだまさしのカバーというアナーキーな流れの中、私の中にも巨大な台風が発生。私のパフォーマンスがどんな感じになったのかは写真を参照の上、読者の皆さんのご想像におまかせする。
<セットリスト>1.FLOWERS IN THE DIRT 2.綺麗な動物 3.バタフライ 4.果物をてんこ盛った巨大なケーキ 5.紙吹雪舞う 6.復活の予感 7.未来へ
なお、3番目に出演された愛西垣戸さんのピアノが感情の込もった非常に力強いものであったこと。私の後、6番目に出演されたちきらまさひろさんのパフォーマンスが声、ギターともに素晴らしいものであったこと。そして、7番目に出演された風来坊のまささんのルックスと声とのギャップが壮絶なものであったことを追記しておく。
暴君と傘
これだけ科学技術の進歩した現代にあって、傘のアナログ感って凄まじいと思う。
雨の日、傘をさしてスマホをいじっている人を見るたび、「どっちやねん」と思う。かたやデジタルの王様。かたやアナログの女王。
どんなに激しくデジタル化の波が押し寄せても、傘だけは侵食されることがない。誰も傘をデジタル化しようとはしない。暴君デジタルも完全にお手上げーそれが傘。
傘は、いかにして雨をしのぐかを考えた場合の子供の発想そのもので、おそらく永遠に、成長や発達とは無縁。アナログの女王は永遠にピュアなのだ。
嘘か真実か、ヒトラーが愛妻家だったという話を聞いたことがあるけど、暴君デジタルも、傘だけは侵さない、汚してはならないと強く心に決めているのかもしれない。
点と線
今回、10月のライヴを「秋の遠征」と名付けて、11月のライヴを「冬の帰還」と名付けてみたのだが、これが思いのほかいい感じなので、今後のライヴについても一つ一つタイトルを付けていこうと思っている。
私は毎回全力でやる。そして、毎回燃え尽きる。だから、一つ一つのライヴがさらっと終わって流れていく感じが耐え難い。線は見えても点が見えてこないというのは嫌だ。と、そんな思いがあって、これまで、コンスタントにライヴ盤を制作してきた。
一つ一つのライヴを作品と捉えてタイトルを付けることで、一つ一つのライヴに意味を持たせることができる。線の中に埋もれがちな点をちょっとだけ浮かび上がらせることができる。
そういえば、天皇陛下の退位が決まって、再来年の4月から新しい元号になるらしいけど、私が自分のライヴに付けるタイトルというのはこの元号と似たようなものだと思う。西暦だけじゃ、線だけじゃ、わけがわからんようになるから、名前を付けて、線の上に点を打つんだな。
数字には、水のようにさらっと流れていくという特性があって、それは人間の年齢を数字だけを見て捉えた場合にも同じことが言えると思う。でも、数字は数字。ただの数字。大切なのはその内容であって、内容をもって歳月の経過を捉えるならば、人間、そんなにさらっと老いていくものではないと思う。
「し」を見つめて
長年、漫才師とか弁護士とか占い師とか整備士といった職業の語尾の響きに対して憧れがあったから、介護職をしていた時には「そういえば俺、介護士なんだな」なんて思ってちょっと嬉しかったりもした自分の名前が和田怜士であることに気付いたのは昨日のこと。
職業でもないのに名前にこのイカした語尾を搭載しているのは私と詐欺師くらいのものである。
予想的中〜破格の飛躍〜
⬆︎左手を見るに、たぶん、相当ビビってる。カメラマンに「お前持てや!」って言うてる。
リアムのアルバムが発売から僅か4日でUKチャートの1位に!爆発的に売れてて、2位〜20位にランクインしているアルバムのセールスを合算しても追い付かないらしい。
オアシス時代のリアムには迷いがなかった。だから、オアシスが出したアルバムは全て1位になった。でも、ビーディ・アイ時代のリアムには迷いがあって、2枚アルバムを出したけど、2枚とも1位にはなれなかった。で、今回、ソロに転向したリアムには迷いの「ま」の字もなくて、出したアルバムが一瞬で1位になった。
人間、迷いがなくなったら強い。それはリアムに限った話ではない。
買い物をしている時に私の奥さんがよく言う「少しでも迷いがあるんだったら買わない。迷いなく「これ!」と思った時には、多少高くても関係ない。買う」は、その辺のHOW TO本が束になっても敵わない、間違いのない人生哲学だと思う。