ラブレター

こんなことを言うと意外に思われるかもしれないが、私は、「祈り」というものは、基本的に、神様にちゃんと届いて、叶えてもらえるものだと思っている。ただ、叶う祈りと叶わない祈りというものがあって、叶う祈りというものは、自分でも明確に意識できていない、意識上に浮かび上がってこない、言葉に置き換えるということに無縁な、心の奥底の奥底の奥底の奥底に、無意識にではあるが真摯で誠実で切実な想いがあった場合に、これを「祈り」と呼んでも差し支えないのであれば、この祈りは必ず叶うと思っている。一方、叶わない祈りというのは、単純に、叶う祈りの逆で、意識的で、言葉に置き換えることのできるものだと思っている。そして、祈りというものは、たとえ叶う祈りであっても、ある程度の時間差があって初めて叶うものだと思っている。これは手紙のやり取りと全く同じ理屈で、手紙を書き、投函してから相手に届くまでに多少の時間がかかり、相手が手紙を受け取って、読んで、返事を書いて、投函して、それからまた自分の手元に届くまでに多少の時間がかかるというのと、全く同じ理屈だと思っている。あと、叶う祈りの母体である「無意識」を育む
のは、日々の意識的な思考や、思想や、行動だと思っている。


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