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「彼女が欲しい」という言葉の馬鹿っぽさったらない。完全に頭の悪い人の言葉である。けれども私は今、死ぬほど彼女が欲しい。もちろん、誰でもいいってわけじゃない。死ぬほど好きな人に、「一憩の彼女」という、いかなるシチュエーションに於いても自慢の種にはなり得ない、不名誉の塊の如き称号を好き好んで承って欲しいのである。私は、そんなドM女史の出現を渇望していて、常に喉から手が垂れ下がっておるような状態なのである。

「きゃあ!バケモノ!」

うるさい!私は、日常に於ける勝負時、人生に於ける勝負時、根性と気合いが勝ち負けを左右する時、レノンやリアムの顔を思い浮かべる時がある。多々ある。そうすることによって、自分の潜在能力を引き出して、引き出せたつもりになって、どうにかこうにか困難な状況を乗り切るのであるが、これはあくまで、想像上の信頼から来るパワーであって、現実的なものではないから、「彼女」という、現実的な信頼、パワーの出所、後ろ立て、支えが欲しくてたまらなくて、常に喉から手が垂れ下がっている状態なのである。

「きゃあ!バケモノ!」

うるさい!ところで、私の携帯には、私が昔撮った我が娘の写真が何枚か入っているが、これはちっともパワーにはならない。これを待ち受けにしたところで、ちっともパワーにはならない。現実的に側にいるわけじゃないし、声が聞けるわけでもないし、そして、そんな状況が何年も続いてるんだから、我が娘の存在感は、我が娘でありながら、私の中で、レノンやリアムのそれと差して変わりはないのである。だから、やっぱり、「彼女」である。いつも側にいて、いつでも声が聞けて―そんな存在からもらうパワーこそが即戦力、パワー・オブ・パワーであるに違いないんだから、そういった理由から、昨今の私の喉からは常に手が垂れ下がっているのである。

「きゃあ!バケモノ!」

うるさい!


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