Monthly Archives: 10月 2012

軌道修正

4月だったか、5月だったか、当ブログ上で、「11月までに我が人生の3本柱―仕事と恋愛と音楽と―を安定させてみせる!」と豪語した私であったが…かなわなかった。

愛読者の皆さんを証人と位置付けた『マニフェスト』を達成できなかったことを、ここに深くお詫び申し上げます。

私は間違えていた。

仕事→恋愛→音楽ではなく、仕事→音楽→恋愛が、私の辿るべき道だったらしい。

急遽軌道修正。2012―あと2ヶ月ある。


予兆

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大阪に行ったついでに、いつも立ち寄るバンドグッズ店に立ち寄ったら、これが売っていて驚いた。この店には一週間ほど前にも立ち寄ったばかりなのだが、その時にはこれはなかった。

私の部屋の中央。十字架に磔り付けられたジョニーロットンを剥がして、これを貼った。

何かが変わる。きっと何かが変わる。


蜂起の朝

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雨の音で目を覚ました。

「そろそろ動くとしますかっ!」と思って、机に向かい、紙に字を書くとびっくりするくらい字の調子が良くて、やる気が俄然湧いてきて、ダアーッと書き上げた。

今回はあえて、イラストも着色もなし。その代わり、一字一句心を込めて書いた。あとは貼り出しに行くのみ!

一憩がまたロックンロールバンドをやるぞ!


爆発爆撃機

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今聴いているのが、1973年発表、イギー・ポップ&ザ・ストゥージズの『ロー・パワー』

レコーディングの段階で爆音過ぎて音割れしてて、凄まじいったらありゃしない。

この狭い部屋めがけて、この狭い部屋限定で、爆弾がじゃんじゃんじゃんじゃん落ちてくる感じ。

もう、ど〜でもよくなってきた。

いい感じだ。


絶対的自信

誰か私に、酔っ払ってる私に、ギターを押し付けて、コードを3つだけ提示して、「この3つのコードだけで曲を書け!」と言ってくれないだろうか。

間違いなく、びっくりしてもらえると思う。


ズルはなしだ!

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この、ビートルズの『アンソロジー3』に、名曲「レット・イット・ビー」の未発表音源が入っていて、曲の最後でレノンがこう言っているのが聞けるのである。

「よし、トラックを重ねよう。いや…やっぱそれは卑怯ってもんだよな。ズルはなしでいこう!」

「オーバーダビングはしない。」がモットーのビートルズ。レノンの言葉は要するに、オーバーダビングの誘惑に打ち克った末の「やっぱ潔くいこうぜ!」ってことなんだと思う。

『アンソロジー3』のライナーに、レノンのこの言葉がレコーディングされた日が載っていた。

「1969年1月31日」

1月31日!?

私の誕生日だ。

卑怯はなしだ!ズルもなしだ!潔くいこう!


黒い安息日

「南無三!」と叫んで、焼酎を野菜ジュースとアイスコーヒーで割ってみた。

おぞましく不味い。殺す気か。

私は、この不吉な飲み物を「ブラックサバス」と呼んで、二度と口にしないことを誓った。


好きな自分とふたりきり

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今、生きていて一番落ち着くのは、楽しいのは、やはり、部屋で一人、音楽を聴きながら酒を飲んでいる時である。

当然ながら、一言も喋らない。当たり前だ。でも、頭はひっきりなしに、とっかえひっかえ、何かを考えている。「あの人の目に、俺という人間はどう映ってるんだろうか?」ということを考えた2秒後には、「やっぱりマッカートニーのベースラインは世界最強だ。」とか思っている。

色んなシチュエーションごとに、「好きな自分」「嫌いな自分」というのがあって、私は、こうやって、部屋で一人、音楽を聴きながら酒を飲んでいる時の穏やかな自分が結構好きで、こういった自分の姿こそをもっと人に見てもらいたいのだが、それは到底無理な話。

日々、人と接している時の私というのは、大して好きではない自分―演じてるか壊れてるかしてる自分―なのだな…と思うと泣けてくるので、酒がすすんでレノンが叫ぶ。


とりあえず生!

先日、あるお年寄りが「話題は何でも結構ですから、少し話し相手になっていただけませんか?」と言うので、ここぞとばかり恋愛相談を持ち掛けたところ、このような答えが返ってきた。

「和田さんは自分の考え方をきちんと持っておられるから、そのうちきっといい人が見つかりますよ。」

嬉しかった。が、私が引っかかったのは、別に珍しくもなんともないが、「自分の考え方を持っている」という言葉であった。

自分の考え方を持っている人間がいるということはつまり、自分の考え方を持っていない人間がいるということになる。そして、そんな人間はザラにいるということになってはいるが、そんなけったいな、気持ちの悪い人間が、世の中に、本当にいるのだろうか?

自分の考え方を持っていない人間というのは、考え方そのものを持っていない人のことを言うのだろうか。それとも、誰か他の人の考え方を持って生きている人のことを言うのだろうか。
前者は植物人間以外の何物でもないし、後者は他人の脳でもって自分の身体を動かすという器用極まる芸当、離れ業を平然とやってのけてしまえている超人だとしか思えない。

私は、植物人間にはなりたくない。かといって、超人になろうと思えば、35にもなって、「肉」とか「中」とか、何でもいいから適当な漢字を額に一字彫らねばならんことになることを思うと、自分の考え方に忠実に生きるのが一番楽なことであるかのように思われるのだがしかし、これがまたやってみると結構難しくて、往生している。

―ところで、私が超人を目指すとして、額に一字彫るとしたら…「生」になる。「セイ」ではなく「ナマ」と読んでいただきたい。