ジプシーのひとりごと

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ここまでの人生、一所に留まって根を張るということが一切できなかった。自分でもビックリするくらい「維持」とか「保持」とかいうことができない。ひょっとしたら、「できない」んじゃなくて、しようとしないだけなのかもしれないが、いずれにせよ、積み上げては壊し、積み上げては壊しを繰り返してきた。自分では、「壊した」んじゃなくて「壊れた」んだと思っているんだけれども、大きな意味で言えばやっぱり私が「壊した」ってことになるんだろう。

そんなこんなで、私の人生は、よく振り出しに戻る。そしてその都度、多分に自業自得であるにも関わらず、自業自得だという自覚に乏しいので、いちいち途方に暮れる。

でも、「一所に留まって根を張るということができなかった」ということイコール「前進してこなかった」ということでもないような気もする。だいたい「根を張る」という言葉自体が、「前進」の真逆をいくものだ。なのになぜ、私は、根を張っている人に比べて自分は前進していないと感じるのだろう。
この振り出しは本当に振り出しなのだろうか。ゼロなのだろうか。私は、私なりに前進してこれたのではなかろうか。高い所から滑り落ちたり、落ちた所から飛び上がったりと、浮き沈みこそ激しいが、前進してきたか、停滞してきたか、後退してきたかで言えば、私はちゃんと前進してこれたのではなかろうか。

私が継続してこれたのはなにも「生きている」ということだけではあるまい。ただ生きてきただけで1mmも前進してこなかったというわけではあるまい。何かがきっと、少なくとも5mmくらいは前進しているだろう…という希望的観測の一つもなければ、とてもじゃないが生きていけん。

とにもかくにも、昨今の私はまたもや振り出しに戻ってしまったかのような心境に苛まれておるが、これは断じて振り出しではないと信じて、生きていくより仕方ない。歩いていくより仕方ない。千鳥足だって歩行だ。匍匐前進の何倍も歩行らしい歩行だ。

妥協だけはせずに、一歩一歩噛み締めるように、歩き始めることにしよう。


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