見えてくるもの

アーティストが震災について語るのって、個人的にはあまり好きじゃない。

何を勘違いしたか、報道されている情報をそのまま、親切心からだか何だか知らんがネット等で配信、拡散して、これ見よがしにいい人アピールしているアーティストが掃いて捨てるほどいるけど、それって、「僕、才能ないで〜す!」と言って、手を挙げているようなものだと思う。

震災について語るのは物凄くデリケートな問題。だから、よほどセンスがないとただひたすらに胡散臭くなる。センスのある人は、毒や笑いを隠し味的に上手く絡めた品のある言葉で震災を語る。どこを切っても彼自身の言葉。そういうアーティストはやはり、アーティストとしても才能がある。

ブログしかり、Facebookしかり、震災の後に書かれた記事の中に、才能あるアーティストとそうでないアーティストとの差が浮き彫りになる。

俺自身は、こんな時こそ、音楽やる人間は音楽をやれ、絵を描く人間は絵を描け、としか思えない。こんな時こそ、お前が最も得意とする「言葉」で語らんかい、と。

人間、それぞれがそれぞれに、何があっても揺さぶられてはいけないものを持って生きているんだろうと思う。


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