勃発!たこ焼き三国志

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阪急山本のコープ前に突如、たこ焼き屋ができた。

たこがデカくて美味い!その上、8個300円という安さ!
伊丹最北端界隈(山本は宝塚だが)では、桑田の大玉「たこ焼き三太」、北野の老舗「いさ」に並ぶ新勢力。

店にはまだ名前がないみたいなのだが、たこをデカく切っている自覚のない男前マスターのハスキーボイスにちなんで、「たこ焼きブルース」というのはどうだろう。「ろくでなしブルース」みたいな感じで。少なくとも私は、店の名前が決まるまでは、そう呼ぼうと思っている。

たこ焼き三太、いさ、たこ焼きブルース。
これはこれで三国志。


「嫌な奴」の定義

それにひきかえ、介護施設には嫌な奴が必ず一人はいる。これが後輩ならまだ良いが、先輩となると最低だ。

「自分はイケてる」と思っている、鼻持ちならないタイプの人間が、どの施設にも必ず一人はいる。私はこれまで、4つの施設を渡り歩いたが、嫌な奴を4人見た。

あえて言うまでのことではないのかもしれないが、「嫌な奴」とはつまり、「自惚れの強さを露骨に態度に露出している鼻持ちならない人間」のことだと、私は思っている。

「鼻持ちならない」という表現がミソだ。


追憶のミラクル・ファクトリー

ちょっとした裏話。ブログ上のコメントにその反響のほどが表れているわけではないが、別ルートからの反応によれば、思いの他、「前田さん伝説」が好評だったみたいで、そのリアクションを受けて続編として書いたのが「寺方さん伝説」なのである。

先日、「寺方さん伝説」を読んだある人が、こんなメールをくれた。

「最後は寺方さんが死んじゃった」

仕事をズル休みするたびに人殺しを繰り返してきた寺方さんが、最後は、仕事をズル休みするたびに迷惑をかけてきた同僚たちに殺された。自分で自分の首を絞める結果になった…と読んだのである。

私は「なるほど」と唸ると同時に、そんな興味深い読み方をしてくれている読者がいるということを知り、嬉しく思った。書き甲斐がある。

それにしても、「前田さん伝説」と「寺方さん伝説」を生んだあの大阪の工場は、超人的に濃いキャラを持った人間のるつぼであった。あの中では、私の個性のレベルなど、極めて凡庸。中の中くらいでしかなかった。私はやはり伊丹の人間。外部から入り込んだ傍観者で、ただひたすらに人間観察を楽しんでいた。
今にして思えば奇跡。あの時、あのタイミングで、大阪各地に散らばっていた選りすぐりのけったいな奴らが、物の見事にあの工場に結集したんだと思う。あの時、あの場に居合わせることができたことを、本当に嬉しく思う。

恐ろしくけったいな奴らばかりだった。一人残らず、奇人変人の類であった。でも、不思議なことに、「嫌な奴」は一人もいなかった。


寺方さん伝説

前田さんが、一体何を考えたいのか「考えさせてもらうわ…」なる捨てゼリフを残して工場を去った後、「寺方(てらかた)さん」が入ってきた。寺方さんの凄さは、前田さんの比ではなかった。

寺方さんは、私より二つほど歳上であった。髪型は角刈り、体型はガリガリ。貧相な横山やすしみたいだった。
歯はほとんど無くて、僅かに残っている歯は片っ端から黒くて、笑い方は引き笑いで、物の見事に下品だった。
メガネのフレームがあり得ない折れ方をしていて、折れている部分をセロテープでとめているのだが顔に全くフィットしておらず、常にズレていて、前から見るといつ見ても「殴られた人」みたいだったが、買い替える気は無いらしかった。また、仕事中に着る白い防塵服が、どういうわけだか寺方さんのものだけ3日もすれば黄色く変色しており、若干の悪臭を放っていたが、洗濯する気は無いらしかった。

前田さんが競馬狂なら、寺方さんはパチンコ狂であった。持ち金の全てをパチンコに投入するので、休憩時間の缶ジュース一本を買えなかった。ある日、寺方さんは同僚に60円借りてジュースを買ったのだが、その60円を、僅か60円であるにも関わらず、給料日まで返せなかった。でも、給料日にはちゃんと返した。返したのだが、なぜか恩着せがましかった。

寺方さんの口癖は「俺が怒ったら血まみれやで!」だった。が、私と同僚たちは皆、口を揃えて「寺方さんが血まみれになるんやろな」と言っていた。

寺方さんはしょっちゅう仕事を休んだ。休むたびに寺方さんの身内が犠牲になった。まず手近なところから父親や母親が亡くなり、半年もすれば祖父や祖母、親戚までもが亡くなり始めて、一年後には寺方一族が全滅してしまい、最終的には友人たちまでもが次々に息を引き取った。

そんな寺方さんではあったが、決して「嫌な奴」というわけではなかった。嫌な奴ではなかったのだが、工場の経営が大きく傾き、私を含めた派遣社員全員が一斉にクビになって、クビになったみんなで盛大な飲み会が催された時、寺方さんだけ呼ばれてなかった。


前田さん伝説

「人間は皆、一人残らず変態である」というのが私の持論である。もし、「いや!俺は(私は)変態じゃない!」と言う人がいたら、それはそれでそういう形態の変態であると思って間違いない。

例えば、世の中には、歯医者が好きだという人が少なからずいるらしく、現に私も、今まで何度かそういう人種に出会ったことがあるが、あれは間違いなく変態だ。歯医者が好き…私にしてみれば、「関節が好き」と同じくらいわけのわからない言葉だ。歯医者ではなく病院へ行け。
しかしながら、上には上がいるものである。これは私が大阪の工場で働いている時に知り合った「前田さん」という男の人の話なのだが、前田さんは重度の競馬狂で、競馬に持ち金の全てを投入したいが為に国民健康保険に加入していなかった。でも、もし虫歯になって歯が痛くなったらどうするのか。疑問に思い尋ねると、前田さんはただ「気合い」と答えた。昔、激烈に歯が痛くなったことがあって、それはそれは床を転げ回るほどの激痛であったが、気合いで治したと胸を張って言い張るのである。しかしながら、気合いで虫歯が治るくらいなら歯医者はいらない。病院もいらない。宗教家や格闘家に歯科医や医師の代わりが務まるとは思えない。なので、私は更に問い詰めた。「気合い…は確かに大事かもしれませんけど、気合いだけでは無理でしょ?」前田さんは少し考えて「気合いと…」と呟いた。気合いと…何なのか。私が固唾を飲んで顔を覗き込んでいると、前田さんは俯いていた顔を急に上げ、眼前に流れる神崎川の煌めきを眩しそうに見つめてこう言った。

「ヤスリ」

それ以上は訊かなかった。


笑福亭一憩は駄目だ

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「何の為の仕事か」ってなことをよく申しまして。
「仕事の為の人生ではなかろう」ってなこともよく申しまして。

それはまあ、徹頭徹尾その通りではございますが、仕事を、恋愛や夢同様に、人生の勉強であると捉えました場合に、「何の為の勉強か」の「何の為の」をこの際完全に取っ払ってしまいまして、「勉強は勉強だ。「何の為の」もへったくれもあるか!」ってんで、人間は、特にこれといった目的もなく、ただひたすらに勉強して死んでいくものだと思えば、諦めれば、それはそれでなかなかに納得がいくものでございまして、身も心もそれなりに…あくまで「それなりに」ではございますが、躍動するものでございますな。

お後がよろしいようで…

って、え?この噺、どこで笑うのかって?ご安心を。私も噺家の端くれ。自称「笑福亭福笑の弟子」でございますから、お望みとあれば最後はちゃんと笑わせますよ。ただ、ものすごく小さい声で呟きますから、お聞き逃しなく。

…うんこ。


ジプシーのひとりごと

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ここまでの人生、一所に留まって根を張るということが一切できなかった。自分でもビックリするくらい「維持」とか「保持」とかいうことができない。ひょっとしたら、「できない」んじゃなくて、しようとしないだけなのかもしれないが、いずれにせよ、積み上げては壊し、積み上げては壊しを繰り返してきた。自分では、「壊した」んじゃなくて「壊れた」んだと思っているんだけれども、大きな意味で言えばやっぱり私が「壊した」ってことになるんだろう。

そんなこんなで、私の人生は、よく振り出しに戻る。そしてその都度、多分に自業自得であるにも関わらず、自業自得だという自覚に乏しいので、いちいち途方に暮れる。

でも、「一所に留まって根を張るということができなかった」ということイコール「前進してこなかった」ということでもないような気もする。だいたい「根を張る」という言葉自体が、「前進」の真逆をいくものだ。なのになぜ、私は、根を張っている人に比べて自分は前進していないと感じるのだろう。
この振り出しは本当に振り出しなのだろうか。ゼロなのだろうか。私は、私なりに前進してこれたのではなかろうか。高い所から滑り落ちたり、落ちた所から飛び上がったりと、浮き沈みこそ激しいが、前進してきたか、停滞してきたか、後退してきたかで言えば、私はちゃんと前進してこれたのではなかろうか。

私が継続してこれたのはなにも「生きている」ということだけではあるまい。ただ生きてきただけで1mmも前進してこなかったというわけではあるまい。何かがきっと、少なくとも5mmくらいは前進しているだろう…という希望的観測の一つもなければ、とてもじゃないが生きていけん。

とにもかくにも、昨今の私はまたもや振り出しに戻ってしまったかのような心境に苛まれておるが、これは断じて振り出しではないと信じて、生きていくより仕方ない。歩いていくより仕方ない。千鳥足だって歩行だ。匍匐前進の何倍も歩行らしい歩行だ。

妥協だけはせずに、一歩一歩噛み締めるように、歩き始めることにしよう。