奇跡の笑い〜ドラゴンズレア〜

たまには笑える情報を。

昨夜、YouTubeで、私の笑いのツボをこれでもかと刺激してくる動画を発見。笑って笑って腹がよじれたので紹介したい。今、笑いに飢えているという方は絶対に見て欲しい。

「伝説のクソゲー ドラゴンズレア」と検索して欲しい。開くと、「ドラゴンズレアをゆっくり初見実況」とか「ブチ切れゲーマー ドラゴンズレア編」とか色んなタイトルが出てくるけど、これはとりあえず後回しにして、一番シンプルな「伝説のクソゲー ドラゴンズレア」を見て欲しい。

100%笑えると思う。ジワジワ込み上げてくる。特に、ファミコン世代の男はヤバいと思うので、電車の中では絶対に見ない方が良いと思う。


理(ことわり)

アホじゃ生きていけないし、アホでなくちゃ生きていけないという、非常に難しい歳になった。非常に難しい選択を迫られる歳になった。

どいつもこいつもアホ過ぎるだろうと思う一方で、どいつもこいつもかしこ過ぎるだろうと思う、わけの分からないゾーンに足を踏み入れた。

でも、頭のどこかで、わけが分からないということほど、意味不明ということほど、理にかなっていないということほど、現実味に欠けているということほど、面白いものもないなと思っている自分がいる。


サマー・オブ・キラーズ

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▲友人マスキィ(エレキテル1.3)と。

神戸ウィンターランドで行われたエレキテル1.3のレコ発ワンマンライヴを観てきた。期待通りの、ロックンロール魂溢れる爆発的なライヴで客もノリノリ。クールなマスキィ(ちょっとリッチー・ブラックモアに似ていると思った)と、終始笑顔のベーシストとの対比が素晴らしかった。ニューアルバム「サマー・オブ・キラーズ」を買い、聴かせてもらった。非常に良くできている。
相当に悔しい思いをさせてもらった。

追記)ライヴ後に立ち寄ったBARで、29歳のベーシストと知り合った。話が合ったので連絡先を教えたが、どうなるのかは分からない。


鋼の法を持つ男

国が定めている法律だけが法律じゃないんだから、「法の番人」というのも、国が雇っている人のことだけを言うのではないと思う。

国が雇っていない方の法の番人は、覆面パトカーや私服警官のようなもので、どこに潜んでおるのかわからん上、老人かもしらんし、若者かもしらんし、男かもしらんし、女かもしらんという怖さがあるのだが、雇い主に実態がなくて、確たる雇用契約もないみたいだから、俸給が発生しない。つまり、彼らは皆、見上げたボランティア精神の持ち主なのである。しかしながら、残念ながら、烏合の衆は烏合の衆。そんな、責任感に乏しいボランティアに、それも一切統制のとれていない烏合の衆に、「法律を守る」という重要な役目をやらせるというのはいかがなものか。だいたい、誰がやらせているのか。誰が雇用主なのか。そして、彼らが自らボランティアを名乗り出てまでして守らんとする法律は一体どこに、何の為にあるのか。

彼らが守らんとしている法律は、彼らの外ではなく内、彼らの中にある。そしてその法律は、彼ら自身の為だけにあって、その色形は彼らの頭数だけあって、全く同じものは一つとしてなくて、てんでバラバラなのだが、これを巧妙に、同じ一つのものであるかのように見せて、一つの呼び名を設けて、手に手をとって仲良く協力し合ってこれを守っているようでありながら、内実は皆が皆、てんでバラバラな方向を向いて、てんでバラバラなことをしている。だから、つまり、やはり、雇用主などはなっから存在しなくて、誰かがやらせているということではないのである。それぞれがそれぞれの都合で勝手にやってるだけ。だからこそ、ボランティアであり、烏合の衆なのである。

それぞれが別々の法律を持っている。でも、これを守るに自分一人では不安なので、自分と同じような臆病者を見つけてきては結託。同じ一つのものを協力し合って守っているかのような錯覚に酔い痴れて安心しているが、烏合の衆は烏合の衆。本当は皆、バラバラな方向を向いてバラバラなことをしているだけなのである。

たまに彼らが、警棒で肩をポンポンしながら近寄ってきて、「抜け駆けは困りますなあ」とか「出る杭は…何というんでしたっけ?」などと脅迫としか思えない言葉を投げかけてくることがあるが、気にするこたあない。そんなものは相手にするだけ無駄。たとえその時、自分が一人で相手が十人という完全なる多勢に無勢であっても、見える目で見りゃ相手は一人、何人いようが一人なんだから、まったくもって恐るるに足らん。自分の中に強靭な法律があれば、絶対に負けることはない。


死せる孔明 生ける仲達を走らす

「やっぱり息子さんも絵を描いてはるんですか?」
「いえ」
「じゃ、息子さんは何を?」
「僕は音楽の方を…」

最近、何度この問答に見舞われたことやら。親父の友人知人はもちろんのこと、葬儀屋の人や母親の友人にまで同じことを訊かれ、同じ返事をした。そしてその都度、自分が音楽から完全に遠ざかってしまっていることを実感させられたのだが、だからと言って「僕は特に何も…」とは口が裂けても言えず、自分の中で何とも言えない歯痒さが募った。で、その後、私がどういう結論を出して、どう動き出したのかは皆さんご存知の通り。

考えてみれば、驚くべきことに、私を焚き付けたのは親父だったというわけだ。


風よ吹け!

メンバー募集の紙を貼り出してから、大阪は8日が経過し、神戸は4日が経過した。

経験から言って、何かしら反応があるとすれば、貼り出し後2週間が経過したあたりだと踏んでいるが、こういったことはまさに風の問題なのでわからない。ただ、理想を言えば、友人のバンドのライヴを観にいく明後日までに、何らかの反応が神戸から来ることをひそかに期待している。


負の咆哮~せめてリズミカルに~

どないなっとんね〜ん!

阪神弱っ!!
弱っ!
弱っ!
弱っ!

マートンイライラし過ぎ!

阪神弱っ!!
弱っ!
弱っ!
弱っ!

新井全っ然打たへん!

阪神弱っ!!
弱っ!
弱っ!
弱っ!

誰がホームラン打つねん!

阪神弱っ!!
弱っ!
弱っ!
弱っ!

加藤ってあれ、完全に50過ぎやろ!

阪神弱っ!!
弱っ!
弱っ!
弱っ!

ボイヤー手ぇなめ過ぎ!

阪神弱っ!!
弱っ!
弱っ!
弱っ!

能見男前!

顔面シュッとしてるね!!
シュッとしてるね!
シュッとしてるね!
シュッとしてるね!

今日の解説!

江夏怖っ!!
怖っ!
怖っ!
怖っ!

来年から監督川藤!

絶対あかん!!
あかん!
あかん!
あかん!

来年からトラッキーの中、川藤!

着ぐるみいらん!!
いらん!
いらん!
いらん!

来年から川藤の中、加藤!


晴天航路

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何かが弾け飛んでしまったのは事実。でも、そのおかげで、弾け飛んでしまう前の自分に対する拘りの一切が吹き飛んで、恐ろしく身軽になったというのもまた事実。

先日、台風が直撃した時、まさにその最中に、台風が去ったらこういった光景が広がるであろうことをわかり切っている自分がいた。


十八年周期

最近、自然と思うようになったのは、今やロックって、ある程度歳を重ねた人間がやった方がカッコいいんじゃないのか?ということ。だって、「ロックは若者の音楽」という感覚自体が相当に時代遅れだ。あの頃はロック自体が若かった。でも今やロック自体が60を越えたジジイ。ジャズやブルースに言わせればまだまだ若造なのかもしれないが、若造ったって60過ぎのジジイ。生きることの酸いも甘いも知ってしまっている。しかしながら、ジジイはジジイでも不良ジジイ。ジャズやブルースよりもずっと若々しくて、わかりやすくて、カッコ良くて、アホだ。

ところで、私の親父が私とまともに喋ってくれるようになったのは、私が高校を出て、働き、煙草を吸い、酒を飲み始めた18の時だった。
0歳から18歳になるまでは完全なる子供扱いだったが、18歳から36歳までは大人として接してくれた。あれと同じ要領で、ロックが私とまともに喋ってくれるようになるのは、これからのような気がする。姿形は違えど、私にとっちゃ親父は親父なんだから、似たような道を辿るんだろう。つまり、私がバンドマンになる方向で具体的に動き出したのが18の時。だから、「もう一人の親父」の前では、私は18の時に生まれたということになる。18歳から36歳になるまでは完全なる子供扱いだったが、36歳以降はようやく大人として接してくれるようになるのではなかろうか。で、この計算でいくと、私の人生にまた大きな変革期が訪れるとすれば、私が54歳になった時なのかもしれない。

ーというわけで、もし私の人生に18年周期というものがあるとすれば、0歳から18歳までが第一期で、18歳から36歳までが第二期ということになるんだから、私は今、人生3度目の節目の入口に立っている…ということになる。

気分一新。思想刷新。新しい自分だ。